アイディアの出し方の。。。
アイディアの出し方、特に新規事業、起業アイディアに関して、よく私がいうのは、
一つは、書き出す⇒無理やりいっぱい書き出す、です。理由としては:
・自分の考えを客観視できる
・書き出したものから、別のアイディアが思いつく
・書き出したアイディア同士の組み合わせで新しいアイディアができる
・同じようなことなどが多ければ、自分の興味のあるところが把握できる
などです。
なまじ頭のいい人は、頭の中だけで考えていこうとします。しかし、一旦、頭の外にだし、客観視することの効用はよく言われていることです。ぜひ、一度試してください。
また、「いっぱい」というと、普通の人は20~30といいます(これは、実際に相談者やクライアントの担当者に聞いてみた結果です)。私は200くらいといいます。そういうと、えっといわれる場合が多いですが、無理やり書き出してくださいと。日本人はまじめだし(?)、会社では会議や検討は結果を出すためにやるという教育がされているので、結果に結びつかないようなことをいうのを嫌います、また、無意識のうちに避けます。しかし、新しいアイディアを考える場合は、まず「発散」させてくださいと、私は強く説明します。通常の会議などで発散するような発言をすると、会議はまとまらなくなるで、他の参加者から冷たい目で見られたり、無視されます。
もちろん、既存の事業の路線が決まっているようなことではだめです。ですが、全く新しいビジネスなどのためには、これまでの枠を大きくはみ出すくらいの発言と検討が必要です。多くの人は、周りの顔色を見ながら、多分落ち着きそうな内容に合わせて、「置きにいく」発言をします。それでは、本来求められるような新しいものは生まれてきません。せいぜい、あまり無理をしたくない上司やリスクを取りたくない当事者の無意識の範囲のものとなります。なので、「いっぱい」なのです。ある程度以上の数になると、同じような発言が増えたりします。これは構いません。傾向が見えるからです。さらに超えていくと、苦し紛れに、普段ならこんなことを言ってもしょうがないといった考えや、レベルが低いと思われるもの、みんな知っていると思っていること、話していることの次元の違うようなことなどがでてきます。そのへんに、アイディアを生む源泉がよくあるというのが私の経験です。また、参加者がヘロヘロになり、ふざけていると思われるようなアイディアが出てくればしめたものです。第3者でそんなセッションに参加していて、それに価値を見出してほっていけると、参加者が腑に落ちたり、盛り上がったりするものです。
ブレストと一般に呼ばれるものがよくわからないのですが、おそらく、私が「発散ミーティング」と呼ぶセッションとはだいぶ違っているのではないでしょうか(以前にも同じようなことをnoteで書いていました)。
発散のあとは、できたものを集約/収束していきます。なぜ、発散が大事かというと、最初からありきたりの考え等をある程度出していても、そこで、集約していくと、とても小さな、やってもしょうがない、議論する必要がなかったような、小さな塊となることが多いのです。思い切り発散させると、集約してもある程度の塊感のある結果となります
私は、新しいことを考えていくことは、全体の「発散」⇒「集約/収束」⇒各論での「発散」⇒「集約/収束」として、だんだんブレークダウンしていくことと考えています。
二つ目は、締め切りを決めて検討しましょう、です。
「発散」ミーティングをしても、必ず新しいアイディアが出るわけではありません。ずるずるとやっていてもだんだんダレてきたり、頭の中だけで考えていくとなんだかマヒしたようになってきます。また、よくないのが、いつかびっくりするようないいアイディアが出てくると「白馬に乗った王子様」症候群的な状況に陥ることです。なので、今週いっぱい考える、3回のミーティングで考えるなど〆切を決めて集中的に実施し、もし、期限内でよいものが思いつかなければ、その中のベストのアイディアが目的にかなうか考え、もし、違うようであれば、しばらく間をおいてから、また〆切を決めて集中的に実施しましょうということです。メリハリをつけて考えましょう、です。
そして、期間内は、常にその検討に向けて考えます。期間、締め切りは人によって違うものと思いますが、常に考える≒準備しているということです。よくアイディアの出し方の本にも書かれていますが、神様は準備されている者にしか微笑まない、です。突飛な言い方ですが、私がよく言うのは、ニュートンはリンゴが落ちるのは見たから万有引力を発見したのではない、よくわかっていなかった万有引力のようなものを常に考えていてリンゴが木から落ちるのを見て、その考えの像がむすび、発見に至ったのだと。
ここに書いたことで、必ず、新しいアイディアが生まれるわけではりませんが、これまで、当たり前だと思っていたことを外れて検討することのきっかけにでもなれば。