生徒からのタメ口(ためぐち)に対して認識が変わったときの話
兵庫県のとある中山間地域のまちの県立高校で地域コーディネーターという仕事をしている。
高校へ通勤するのは週に2,3回で、いわゆる探究授業で直接教壇に立つこともあるし、放課後の活動で生徒たちにコミュニケーションやロジカルシンキングについて指導のようなことをすることもある。
ただ、教員免許はもってないので、当然、教員ではない。
だからこそ、いわゆる学校の先生たちにとっての常識というものには縛られてはいない。生徒指導もしなければ進路指導もしない(全くしないわけではないが、最終的な責任はない)。
そう考えるととても気楽な仕事と考えることができるかもしれない。
でも、この高校は私が住むまちにある学校なので、この学校に入学し、卒業する子の人生がどのようになるのか・・・ということはひいてはまちの未来に繋がることなので無責任ではいられない。そんなポジションだ。
さて、前述の通り、生徒との直接のコミュニケーションの機会は日常的にあるので色々と話すこともある。
そんな中で、一時まで気になっていたのは生徒たちの言葉遣い。
生徒の人数はそこそこいるけれど、少なからず、何人かはタメ口で話をしてくるのだ。
なめられたものだなぁと思いつつ最初はあえて気にしていなかったが、それでもその生徒が後々社会に出てからのことを考えるて、たしなめるように伝えたことがある。
すると。
「あ、ごめんー。だって、信頼している相手やからやんー⤴」
という言葉が返ってきた。
よくよく聞いてみると、信頼関係があるからこそ気を許しているのだとか。
タメ口をきく生徒の全てが同じような考え方だとは思わない。
ただ、生徒の中には信頼しているからこそ親しみのあるコミュニケーションをしたいという価値観があることを知れた気がする。
過去の自分は、特に中学の時は上下関係の厳しい部活に所属していたこともあり、先生相手は当然のこと先輩に対しても言葉遣いに気を遣っていたことを思い出す。
自分の経験が自分の中の当たり前をつくっていたことに気づくこととなった。
少なくとも、この生徒からはなめられていたわけではないことが分かったが、それでも異なる世代ではその価値観は通用しないかもしれないから今のうちから気を付けるようにと念押しをしておいた。