きょうで釜石シーウェイブスが誕生して21年が経ちました。
釜石ラグビーの始まりの日。
🐯が勝手に思っている釜石ラグビー始まりの日は3つ。
ひとつめは、富士鉄釜石ラグビー部が発足した日。
この資料によると、「昭和34年4月発足」としか記されていません。
このときに同好会としてスタートした釜石ラグビー部。
その前年から発足の準備をしていたことが記されていますので、新年度の最初の日が発足の日であると想定すると...…
1959年(昭和34年)4月1日(水)が釜石ラグビー部創部の日となります!
松倉グランドが竣工したのは1961年(昭和36年5月)。創部当時、練習は昭和園グランド(現在の岩手県沿岸運転免許センター)で、試合は1959年5月24日に小佐野球場(現在のせいてつ記念病院)で行われたそうです。
メンバー18人と監督、マネージャーの計20人。
釜石ラグビー部の航海はこの日、始まりました。
ふたつめ。2018年8月19日。うのスタが生まれた日。
うのスタが未来へ向けて出航した日です。
そして三つめ。2001年4月25日。釜石シーウェイブスRFCが発足した日です。
明治、大正期に職場での福利厚生や一体感の醸成を目的として発生した「職場スポーツ」は、戦後の高度成長やテレビの普及に伴って、広告宣伝、企業イメージの向上という役割も担い、「企業スポーツ」へ変化を遂げました。
1959年に産声を上げた釜石シーウェイブスの前身である新日鐵釜石ラグビー部。V7(日本選手権7連覇)という偉業を達成したこのチームは、まさに企業スポーツの成功例でした。
しかし。
1990年代のバブル崩壊以降、企業業績の落ち込みに伴い、日本の各企業が保有していた企業スポーツチームは休部、廃部が相次ぎました。
創部から42年。V7から16年。
2001年、新日鐵が企業スポーツついて、「所有から支援へ」の転換を図り、ラグビー部は釜石シーウェイブスRFCに衣替えしました。
単独の企業がチームを所有していては、業績によって存続が左右されてしまう。休部・廃部ではなく、地域と密着、共生していくスポーツ活動を支援し、存続させることを目的とした新しい観点による転換でした。
このとき、クラブ化に伴うさまざまな障壁がありました。関係者や釜石ラグビーを応援するみなさんは、それらをひとつづつ解決していったのです。
そのひとつに、当時のラグビー協会の規約では社会人チームのカテゴリーに参加できるのは企業チームに限られていた、ということがありました。
この障壁を動かしたのは釜石の、そして全国の釜石ラグビーを愛する人々でした。
私設応援団の故佐野隆夫さんたちをはじめとする人々がラグビー協会を動かしたのです。佐野隆夫さんたちがわずか数日で集めた14,816人の署名。当時、釜石の人口は約4万6千人。釜石だけでなく全国から署名は集まりました。
日本協会はそれを受けて、クラブチームが社会人大会に参加できるよう規定を改訂することになったのですがお。
今のシーウェイブスがあるのは佐野のおんちゃんや釜石の皆さん、釜石ラグビーを応援して下さる方々のおかげです。
なかぴーも、なかぴーの中の人も、いま、こうしてうのスタで行われる試合に向けて、心躍らせていられるのもたくさんのたくさんの方々のおかげですがお。
この記事の冒頭の写真。後ろの列の真ん中で黄色いジャージを着て笑っているのが佐野隆夫さん。
前の列の左の方にも黄色いジャージの方がいます。のちの日本代表選手、小林一郎さんです。その右隣も新日鉄釜石で活躍した干場さん。
釜石の高校チームは花園に出場したことはありません。でも、1回だけ全国大会に出たことがあるんです。昭和42(1967)年の埼玉国体に出場したのが、この写真の釜石北高の方々なんです。
佐野のおんちゃんは松倉で「佐野スポーツ」を経営していましたがお。
ぼくら釜石南高校ラグビー部のみんなは、練習帰りに佐野スポーツで道草して、佐野のおんちゃんの熱いラグビー談義を聞いてから帰路に就くのが日常でした。はじめてラグビージャージを買ったのも、はじめてスパイクを買ったのも佐野のおんちゃんのお店でした。
熱い熱いおんちゃん。いま、シーウェイブスがあるのは佐野のおんちゃんのようなひとたちの熱意があったからこそなんですがお。
こんな幸せなことはめったにない🐯
日本中の人が「釜石」と聞くと
「ああ、ラグビー。ワールドカップがありましたね」
「新日鐵釜石!釜石シーウェイブス!」
と言ってくれる。
日本だけでなく、世界のひとたちも釜石に来てくださった。
それを釜石の人たちはいまでもいつまでも誇りに思っている。
釜石に遠くから足を運んでくださる方々がいる。それを喜んでいる。
そして、釜石には美しいスタジアムがある。
釜石シーウェイブスの航海はこれからも続きます。
こんなスポーツチームはどこにもないんです。
自分のふるさとに、そんなチームがある。
ぼくらは恵まれている。こんな幸せなことはそうそうありません。