黒鐵(くろがね)のラガー
あす開幕を迎える #リーグワン 2022-23 シーズン!
きょう、今シーズンに向けた #釜石シーウェイブス のPVが公開されました!
🐯なかぴーの釜石ラグビーオタクネタ🐯
ちなみに…..
この #黒鐵のラガー は富士鉄釜石ラグビー部、新日鐵釜石ラグビー部の部歌です。富士製鉄の社歌からメロディを拝借し、歌詞をつけたものなのだそうです。
鉄と魚とラグビーのまち、釜石
1959年(昭和34年)4月。18人の選手と、監督・マネージャーの計20人で、富士鉄釜石ラグビー部は同好会として発足しました。
いまから63年前のことです。「西の八幡 東の釜石」を掲げ、#黒鐵のラガー たちの挑戦が始まったのですがお。
3年後の1962年、東北代表として全国社会人大会に初出場。そのさらに8年後、1970年には全国社会人大会で優勝を果たし、1978年からは日本選手権7連覇 V7 を達成。
2001年からは #釜石シーウェイブスRFC として再出発し、2022年の今日に至るまで釜石ラグビーの灯を、炎を、ともし続けています🔥
東北の三陸沿岸のまち、釜石。かつては人口が10万人に迫った時代もありました。
でも、10万人です。「大都市」ではありません。三陸では人々が暮らしている場所は広大な自然のうちのほんの少しの場所。大部分は果てしない山々、そして海なんですがお。
今も昔も釜石は三陸の山と海に囲まれた、自然の中にある小さなまちなんですがお。
この小さなまちに暮らす人たちにとって、ラグビーは、日本中、世界中に「釜石/KAMAISHI」の名を知ってもらえる手段の一つであり、大きな大きな誇りなのです。
そして、それは釜石に暮らす人々だけにとってではありません。
ありがたいことに、「釜石」に特別な思いを持ってくださる方は、釜石に住んでいるひとたちの他にもたくさんいらっしゃるのです。同じ岩手にも、三陸にも、東北にも、釜石ラグビーは岩手の、三陸の、東北の「おらほのチーム」という思いを持ってくださる方々がいるのです。
それだけではないのです。
鉄のつながりで、北は室蘭、南は八幡、大分。
釜石とつながりがある方々、釜石に住んだことがある方々は日本全国にいらっしゃいます。
🐯が通っていた小学校、中学校は、毎年春になると多くの友達を転校生として送り出し、そして日本各地からの友達を迎え入れました。
そして、魚のまち、港のまち。釜石は、たくさんの船と人が行き交うまち。
海を越えて、釜石の地を踏んだ方は日本中、世界中にいらっしゃいます。
「釜石?知ってるよ!行ったことありますよ!」
「ああ、わたしの知り合いが釜石にご縁があります!」
そんな言葉を聞くと、ぼくらはほんとうにほんとうにうれしいのです。
沖縄からも!遠い遠い国からも!
石垣航平選手。今シーズン、福岡県宗像市の宗像サニックスブルースから釜石シーウェイブスへ移籍してきました。沖縄県宮古島市出身です。
ぼくらのシーウェイブスは、北海道、東北出身者が多いのが特色のひとつ。
でも、西日本、九州、そして沖縄からも、さらには海を越えてラグビーをするために釜石に来ている #KAMAISHIJIN たちがいます。
日本中、世界中からの声援が、思いが、三陸の小さなまち、鉄と魚とラグビーのまち釜石の、ぼくらのチームに向けられています。
ありがたいことです。幸せなことですがお。
🐯#なかぴー 🐯#なかりん 、そして🐈#フライキー は、今シーズンもたくたんのたくさんのみなさまといっしょに、釜石シーウェイブスを応援しますがお!🔥