釜石のラグビー史跡(4)最終章 和山高原のラグビー場
2019年秋の熱狂。うのスタはたくさんのフライキと、笑顔と、そして釜石ラグビーを愛する人たちの熱でいっぱいになりました。
その熱の源流のひとつが、今から30年以上前、うのスタのすぐそばを流れる鵜住居川を30kmほどさかのぼった高原にあったのですがお🔥
*前回のnoteはこちら。
和山高原。釜石市街地から北に海沿いをのぼり、鵜住居から内陸側へ。
世界遺産の橋野鉄鉱山方面に向かいます。
和山高原は橋野鉄鉱山の少し手前で北に向かい、さらに山中の道を上った先にあるなだらかな高原。
ここに、ラグビー場があったのです。
写真の📍のところ。うっすらと長方形の跡がみえます。
これが和山高原のラグビー場の跡なんですがお🐯
1986年8月9日(土)10日(月)の二日間に亘って第1回が開催された『アクティブ・ヒル 和山フェスティバル』。
釜石青年会議所と遠野青年会議所が主催したイベント。この年以降、毎年夏に6年間にわたって開催されたのだそうですがお。3回目の1988年に、このラグビー場が作られ、釜石ラグビースクール v 宮古ラグビースクールの試合が開催されたそうですがお🐯
この『アクティブ・ヒル 和山フェスティバル』の実行委員長だった丸木久忠さんに当時のお話を聞くことができました。
きょう、丸木さんがなかぴーに送ってくださったメールにこう書いてありました。
「釜石青年会議所に佐野隆夫なる会員(第1回実行副委員長)がおり、彼の提案だったと思います。彼は釜石高校正門に曲がる角にあったサノスポーツの旦那です」
「佐野隆夫とは大親友でした」
佐野隆夫さんのお名前がここで出てくるのか。
思いがけずiPhoneに映し出された佐野のおんちゃんのお名前に驚くとともに、ぶわっと涙が出てきたなかぴーでした。
佐野のおんちゃん
故佐野隆夫さん。釜石ラグビーにとっても、なかぴー(中の人たち多数)にとっても、大変思い出深い方です。佐野のおんちゃんを知っている方は、みな「隆夫さん」って呼びますがお。でも、ぼくらは同期のラグビー部にも「タカオ」がいたので、「佐野のおんちゃん」と呼んでいました。
実はこの和山高原のラグビー場の話に興味を持ったのは、ホテルマルエ(*)さんのSNSでつい最近見かけたのがきっかけ。
これは面白そうな匂いがプンプンするぞと閃いたなかぴーは、なにも調べないまま勢いに乗ってこのnoteの続き物を書き始めたのです。
(*) ホテルマルエさんの中の人もなかぴー高校ラグビー部の同期ですがお。ちなみにポジションはフランカー。
それが。
佐野のおんちゃんの話につながっていたとは・・・。
続きで読んでくださっている方は気が付いたかもしれませんが「釜石ラグビー史跡と釜石ラグビー創成期(2)」の釜石北高のところで、佐野のおんちゃんのことをすこしだけ書いてたんです。
この記事の冒頭の写真。後ろの列の真ん中で黄色いジャージを着て笑っているのが佐野隆夫さん。
前の列の左の方にも黄色いジャージの方がいます。のちの日本代表選手、小林一郎さんです。その右隣も新日鉄釜石で活躍した干場さん。
釜石の高校チームは花園に出場したことはありません。でも、1回だけ全国大会に出たことがあるんです。
昭和42(1967)年の埼玉国体に出場したのが、この写真の釜石北高の方々なんです。
佐野のおんちゃんは松倉で「佐野スポーツ」を経営していましたがお。
ぼくらは練習帰りに佐野スポーツで道草して、佐野のおんちゃんの熱いラグビー談義を聞いてから帰路に就くのが日常でした。はじめてラグビージャージを買ったのも、はじめてスパイクを買ったのも佐野のおんちゃんのお店でした。
熱い熱いおんちゃん。いま、シーウェイブスがあるのは佐野のおんちゃんの熱意があったからこそなんですがお。
シーウェイブスクラブ化のとき、佐野のおんちゃんが中心となって集めた14,816人の署名。この署名を携えて釜石から東京・北青山の日本ラグビー協会に向かった二人。それは、佐野のおんちゃんと、この和山高原のラグビー場の話をなかぴーに教えてくださった丸木さんだったんだそうです。
そうそう。こんな話も。
釜石ラグビーの特徴は「先進性」。それは製鉄所のラグビー部だけではなく、高校のラグビー部にも取り入れられていました。藤島大さんが大好きそうな話。実際によくご存じでした(笑)
かつて、佐野のおんちゃんが藤島大さんに熱く語ったそうです。釜石北高ではグリッドを使った練習をしていたって。
大さん。留伊さんとりったんにそれを語ってどうする(笑)
震災の数週間後でした。病気を患っていた佐野のおんちゃんがお亡くなりになりました。
釜石でワールドカップを、という声がでるずっと前のことでした。
おんちゃん。うのスタに行った?来てた?来てましたよね。
おんちゃんの熱はまだ冷めてないんですね。
あのスタジアムの美しさは、興奮は、熱気は、おんちゃんの熱がいまでも冷めずに釜石のひとたちに、次の世代に伝わっているってことなんですね🔥
なかぴーも目から塩水出している場合ではないですねがお。
🐯これからも燃やし続けなければ🔥❗
どんとはれ。