私たちの間にあるもの
ミレニアルとZのはざま、いや干支?
「ミレニアル世代」「Z世代」という世代の分け目がある。前者は、1980〜1995年に生まれた者を指し、後者は、1990年代後半〜2010年代初頭に生まれた者を指す。
これについて調べると、主にマーケティングの際に訴求したい年齢層の特定に使われるようだ。しかし、そこまで世代間の差があるのだろうか。そう思って調べてみると、確かに差は存在するようだ。出所がこれまたメディアなので、この情報もまた分断をうむための情報なのかもしれないけど。
ところで、私たちの「家」という1つのコミュニティの中には、いくつかのコミュニティがある。その中で異彩を放っているものについて、この文章を読んでくださっているあなたはどの集団を思い浮かべるだろうか。見出しで若干ネタバレしているけど、私は「ラビッツ」「ドラゴンズ」と呼ばれる集団を思い浮かべる。理由は2つある。
1つは、今回のテーマである「世代」だ。12歳の差がある住人が一堂に会する空間が存在することがそもそも異質と言えるだろう。2つ目の理由はどうでもいいのだが、この物件にきて、初めて遭遇した酒飲み集団(悪意はない)が、ちょうど飲み会から帰ってきた「ラビッツ」だった。
分断?
さきほど、ミレニアル世代とZ世代の差はどうやら存在するようだ、と述べた話に戻してみたい。
参考にしたメディアはPR TIMES社がリリースしている、「PR TIMES MAGAZINE」という記事だ。それによれば、ミレニアル世代とZ世代の特徴的な違いは、時間の使い方や消費行動にあるようだ。3つの例を挙げている。
テレビの視聴時間
活字に触れる機会
消費行動の動機
この中で、「3.消費行動の動機」に着目したい。というのも、12歳差ある集団が飲酒という消費行動を一緒にすることこそが、本稿のテーマの一つでもあるからだ。ミレニアル世代とZ世代の消費行動の特徴については、次のように記述されている。みなさんは、どの程度自分に当てはまると思うだろうか。
アルコール消費大国日本
話をガラッと変えるが、この先に進むにあたって、「酒を飲む」ことについても問い直しておきたい。
はじめに、PRESIDENT ONLINEに寄稿された肥田美佐子さんの「なぜ”いかに酔っているか”を競うのか…米国人研究者が『日本は世界一お酒にだらしない国』と主張するワケ−酔いつぶれることを前提に社会が作られている」という記事を踏まえておきたい。
この記事には、このような記述がある。
記事全体としては、日本には泥酔することを前提としたインフラが形成されていることに疑問を投げかけるテイストではあるが、諸所に示唆的なところがある。
例えば上記の記述は、ミレニアルともZとも取れない、むしろ大量消費を重んじる傾向だろう。アルコールは美味くならずとも、酒は美味くなる。
○○○を求めて
ここまで、ミレニアル世代とZ世代の違い、そして日本は仲間との絆を深めるために酒を飲み、それによって泥酔することが許容されている国であることを述べてきた。
ミレニアル世代は、商品が持つ個性やストーリー、かけがえのない顧客体験を重んじる傾向があり、Z世代は、自分に適したものを必要な分だけ好んで買う傾向にある。つまり、どちらも大量消費を重んじる傾向にはない。つまり、ミレニアル世代はかけがえのない顧客体験のために、Z世代は自分に適したものを必要な分だけ好んで消費する傾向にある。そこに果たして分断などあるのだろうか。
ところで、我らが家には、いくつかのコミュニティがある。LINEには、グループがつくられたものの全く動いていないグループも0ではない。なぜこのようなことが起こるのだろうか。なぜ、同じ干支で集まって飲みに行こう、なんて発想がでるのか。ミレニアルもZも「大量に消費すればいいってもんじゃない」という点に関しては、共通しているはずだ。
はじめは、酒を飲む理由を求めてこのようなグルーピングがされているのかと思っていた。
しかし私たちは、人とのつながりや、何かの意味を求めて酒を飲んでいるのではないだろうか。
かけがえのない体験、必要なことだと感じたからこそ、酒を消費しているのではないだろうか。
人が集まるこの空間で、十人十色の人が集まり、その人々の間にある壁を破壊してくれるものは、さまざまあるが、それは私たちにとって必要なものであることに間違いはないだろう。