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ミツカン御家騒動《父子引離し事件》の真実

中埜大輔です。ミツカン御家騒動《父子引離し事件》の婿本人です。事件の経緯をまとめました。

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はじめに

端的に説明すると、「僕がミツカン創業家に婿入りし息子を授かった瞬間、義父母の態度が豹変し、組織ぐるみで妻子と引き離されたうえに息子を奪われ、創業家や会社からも追い出された」という話です。

ミツカンは親子を引き離して敗訴しているにも拘らず(「名古屋地方裁判所 半田支部・平成27年(ヨ)第22号仮処分命令申立事件」)、僕はいまだに息子に会うことが出来ません。

色々な疑問が皆さまの頭の中に浮かぶと思います。よくある質問は末尾のQ&A集にまとめましたのでご覧ください。

僕の戦いの相手は、ミツカン創業家八代目当主中埜和英会長(以下、和英という)とその妻の中埜美和副会長(以下、美和という)です。

和英と美和は、僕の元妻である中埜聖子(以下、聖子という)の実父・実母です。ミツカンは215年も続く日本でも有数の老舗大企業・同族非公開企業ということもあり、通常の家庭では信じられないかもしれませんが、聖子は幼い頃から両親に逆らえる状態ではなく、現在も僕と音信不通になっています。(両親の考えに背いた場合、離婚の強要や財産の剥奪等の脅迫が行われました)。

連絡が取れなくなってしまった聖子も、悲しいことに今では実質的に(裁判での)戦いの相手方になってしまいました。それでも元妻であり愛する息子の母親を必要以上に悪く言いたくない僕の心情をどうかお察しください。

僕と妻は、当時僕が勤めていた香港の金融機関の上司の紹介で知り合い、1年弱の遠距離の交際(香港と日本)を経て、二人で幸せな家庭を築けると夢見て結婚しました

姓を変えて婿入りしミツカンに入社することが結婚の条件であると、中埜家(和英・美和夫妻)から強く要望されたため、僕はそれまでの金融業界のキャリアを捨て、香港から愛知県半田市(ミツカン本社と妻の実家があります)へ移住しました。

結婚してからしばらくは、義父母の監視の目が強いと感じていたものの僕たち夫婦は幸せな生活を送っていました。ところが、妻のお腹の第一子が男の子と分かってから義父母の態度がおかしくなり始め、息子の生後4日目に事件が起きました…。

当時、ミツカン英国支店に勤務していた僕たち夫婦は、慣れない海外での出産を無事に終え、ロンドンの産後施設で生まれたばかりの息子と過ごしていました。そこへ、わざわざ日本から来られた義父母は、挨拶もそこそこに、僕たち夫婦の目の前に養子縁組届出書を広げ「この子は私たちの息子にする」と言いながらサインを迫ってきました。

藪から棒に、生後4日でまだ目も見えない、名前すら決まっていない息子を養子に差し出すよう要求してきた義父母に対して、僕は大変驚き、「せめて一晩だけ夫婦で考えさせて頂きたい」と懇願しましたが、この”一晩だけ待って頂きたい”との返事に激怒した義父母はミツカンを巻き込んだ組織ぐるみの”親子引き離し”および”僕の追い出し”を開始しました

そして、実娘(聖子)を脅したうえで、生まれたばかりの孫(僕たち夫婦の息子)と父親(僕)を無理やり引き離して自らの養子にしたうえで跡継ぎにしようと画策し、そのために手段を選ばずに次々と不当行為を繰り返しました

詳しくは後述しますが、この《ミツカン父子引離し事件》では沢山の録音・証拠が残されており、既に週刊文春やフジテレビ「直撃LIVEグッディ!」で報道されたとおり、ミツカンは組織ぐるみで僕と息子を引き離して敗訴(「名古屋地方裁判所 半田支部・平成27年(ヨ)第22号仮処分命令申立事件」)しました。

しかし、問題は、ミツカンが敗訴を無視して親子引き離しを強行し、そのうえ報復として僕を即日解雇したことです。大手食品メーカーが組織ぐるみで行なっている時代錯誤のパワハラおよび人権侵害が野放しにされている状態です。

2019年5〜6月に報じられたフジテレビ「直撃LIVE グッディ!」の内部告発報道について少し触れたいと思います。

フジテレビ「直撃LIVE グッディ!」 2019年5月31日(金)放送内容
お酢や味ぽんなどで知られる大手食品メーカー「ミツカン ホールディングス」に今、激震が走っている。ミツカンで”お家騒動”勃発。

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フジテレビ「直撃LIVE グッディ!」 2019年6月4日(火)放送内容
ミツカン創業家一族が、娘婿の追い出しを計画したともとれる音声を入手した。一族らが話し合った娘婿を追い詰めるシナリオをこの後、紹介していく。ミツカン会長ら“家族会議”娘婿追い詰めるシナリオ

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上記の告発報道は大変な反響があり、フジテレビ「直撃LIVEグッディ!」はそれまでの最高視聴率を更新しました。(以下の添付画像を御覧ください)
そして、消費者の高い関心を受けて続報が予定されました…。しかし、直前で中止になりました

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後になって発覚したのは、ミツカンが上記告発報道の直後にフジテレビのワイドショー時間帯のCMを差し替えたことです

「CMの差し替え」と「続報の中止」の因果関係は不明ですが、ミツカンは年間数十億円もの巨費を広告宣伝に投じるスポンサーですので、テレビ局との力関係は明らかだと思います。それを裏付けるかのように、ミツカンはその後、上記の告発報道を理由に僕を即日解雇したのですがフジテレビはこの事実を一切報じませんでした

ミツカンは解雇理由について、「(僕が)マスメディアの取材を受けたことによってミツカンに損害が発生した」、「法的な話ではなく(僕が取材に応じたことで)信頼関係が無くなったことが即日解雇の一番の理由」と説明していますが、仮に同局が報道機関として公平な報道に徹したというのであれば、なぜミツカンによるその後の報復人事(解雇)を一切報じなかったのか疑問が残ります。ましてや、僕は取材依頼に全て応じた一方で、ミツカンは取材拒否をして逃げ回っていたのです。

そもそも当事件は、マスメディアがワイドショー風に報じたような”御家騒動”ではなく、組織ぐるみの親子引離しであり人権侵害です。

このままでは父子の絆は完全に破壊されてしまう…。

僕は強い危機感を覚え、父親として腹を括りました。生き別れてしまった最愛の息子との絆を回復させるために、僕は、実名・顔出しのうえで《ミツカン父子引離し事件》についての真実を情報発信する覚悟を決めました

現在、”対ミツカン“および”対和英・美和夫妻“の2本の裁判を進行しておりますが、相手は世界のミツカン、かけているお金も体制も僕個人では到底かなわないのが現状です。

頼れるのは、真実を伝えそれに共感して下さる皆さまお一人お一人からのお力添えと考え、このnoteにまとめました。目的は、“最愛の息子との面会”と“絆の回復”、そして“裁判で勝訴して愛する息子に真実を残すこと”(公的文書を残してあげたい)です。

真実をどうか拡散いただき、お知恵を拝借できましたら有り難く、よろしくお願い申し上げます!

僕の経歴

1980年 東京都新宿生まれ
1999年 慶應義塾高等学校卒
高校3年時、ラグビー国体に出場(神奈川県選抜メンバー)、全国3位へ。(ポジションはスクラムハーフでした。)
2003年 慶應義塾大学商学部卒
2003年 大和証券入社
2008年 UBS銀行香港支店入社
2010年 クレディスイス銀行香港支店入社
2011年 クレディアグリコールスイス銀行香港支店入社

経緯① 聖子との出逢い〜結婚

2012年4月 クレディアグリコールの上司の紹介で、お見合話を持ち掛けられる。(この時はまさか相手がミツカンの跡継のご息女と思わず...)

2012年5月 聖子(当時株式会社ミツカン専務)・和英・美和・ミツカン番頭2名が香港に来て、初めて聖子に出逢う。翌日には聖子と2人で初めてのデートをした。

2012年5月〜翌年2月 
遠距離の交際(香港と日本)を経て、二人で幸せな家庭を築けると夢見て結婚を決意する。

2013年2月 両家の結納式をして婚約する。

2013年5月 婚姻・入籍と同時期にミツカンに入社、社長室へ配属。
 この時、中埜家より次の3点
 ①キャリアを捨てミツカンに入社すること
 ②実家の苗字を捨て、中埜の姓になること
 ③財産の遺留分放棄(配偶者が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄)

 を要求される。(結婚にあたり僕から何かを要望したことはありません)

経緯② 聖子の懐妊〜出産

2014年3月 聖子が懐妊したのが男の子であることがわかった瞬間、和英と美和の様子がおかしくなる。【←リンク】(男の子が出来たのなら僕はもう用済みであるとして、追い出す画策がこの頃から始まる)

2014年6月 創業家の税金対策の意図でミツカン英国支店へ聖子とともに赴任を命ぜられる。

2014年8月 英国で、聖子との間に息子Aが誕生。

経緯③ 追い出しの序章

2014年9月 息子の生後4日目に、養子縁組届出書(息子Aを和英・美和夫妻の息子とするための書類)へのサインを強要される。当時、「あくまで税金対策であり、僕を家から追い出すためではない」と説明されるが(後にウソだと発覚するあまりに急な話に「一晩だけ待って頂きたい」と懇願したところ、和英・美和の逆鱗に触れる。【←下線すべてリンク】

2014年9月 生後5日目、養子縁組届出書にサインする。(「サインをしないと離婚をさせる」との趣旨の脅迫が美和から聖子にあり、怯えた聖子に懇願されたため)【←リンク】

2014年9月 サインするやいなや、「3か月以内にミツカンを退職すること」を命ぜられる。【←リンク】
(和英と美和は、養子縁組書類を手に入れたことで実質的に孫をいつでも養子にすることが可能となったため、すぐに次の追い出し計画を実行した)

2014年9月〜2015年8月末  
英国で1年間の育休を取得。(和英からの指示で出社は不可)。この間毎日育児に一生懸命取組み、聖子との関係性も問題ありませんでした。

経緯④ 全面対決のはじまり

2014年12月 日本に帰国し、和英・美和と面会。「父であり夫としての立場を守れるなら命令どおりにミツカンを辞めます」と申し出たところ、「家族としても縁を切れ、妻子を置いて出ていけ」と実質的に要求されたことから、全面対決を覚悟。【←リンク】
ミツカン退職も拒否することを決意

2014年12月 和英・美和が英国の僕たちの住む家に来たが、僕だけ別部屋へ外すように命ぜられる。家族を守る目的で僕が録音を仕掛けたところ、「大輔(僕)は家と会社から追い出す」「養子縁組書類を提出して親権を奪え」「大輔は育児休暇中で解雇出来ないし解雇は露骨だからマズい」「大輔を片道切符で日本の物流センターへ飛ばせ」という趣旨の衝撃の内容が録音されていた。(特に問題なのは、和英と美和が僕を”ダマして”養子縁組書類にサインをさせていた事実が発覚したことです。)【←リンク】

2014年12月 僕は、在英日本大使館に駆け込み「養子縁組不受理届」を提出。養子縁組書類が提出される前に阻止をした形となった。【←リンク】(この頃から和英・美和に残された「僕から息子の親権を奪う手段」は、聖子と僕の離婚のみとなり、聖子に圧力を加えることになる。)

2015年2月 ミツカンと創業家が組織ぐるみで僕と息子を引き剥がそうと画策する。具体的には、人事権を使った父子引き離しの方法について、ミツカンが日本有数の大手法律事務所である ”森・濱田松本法律事務所” から助言を受けていた証拠を入手。

2015年3月 ミツカンが作成した、組織ぐるみの親子引離しのシナリオが書かれた議事録を入手。そこには、「代表ご夫妻と今後の進め方について相談しました」「以下のようなシナリオを想定」との記載に加え、日付・出席者とともに”人事権の濫用”とその”隠蔽工作”が具体的に書かれていた。

2015年3月 和英・美和が再び英国の僕たちの住む家に来たが、僕だけまた別部屋へ外すよう命ぜられる。家族を守る目的で僕が録音を仕掛けた所、聖子を精神的に追い詰め離婚するよう圧力を加える発言や、「(大輔は)種馬」との衝撃の内容が録音されていた。

2015年8月 育休期間が終了し、出社開始。英国支店の総務業務を行う。

2015年10月 和英・美和のシナリオどおり、日本の大阪物流センターへ単身赴任(出向)を命ぜられる。妻子のいる英国から離れることになり親子・夫婦引き離しを強制される。

経緯⑤ 勝訴、しかし...

2015年12月 日本で仮処分裁判(単身赴任の出向命令を無効とする訴え)を起こす。

2016年1月 和英・美和に隠れて渡英し自宅に5泊し、聖子・息子と家族3人の絆を確かめ合う。2015年10月の大阪配転からずっと聖子・息子とは頻繁にLINEビデオ電話をして絆を維持していました。
(この時、聖子からは、隠れて交流していることを「(和英・美和には)死んでも言わないでね」と頼まれており、最終的に聖子が和英・美和に見つかるまで、僕は自分の両親や弁護士にも伝えずそれに応え続けました。聖子は「死んでも言わないでね」と僕に話すほど両親を恐れていた中で、なんとか僕たち家族と家業の両立の道を模索していたように思います。)

2016年3月 上記仮処分裁判に勝訴。(ミツカンが敗訴)。このあたりから聖子の中でも、「僕一人 VS ミツカン・両親・息子」という究極の選択を迫られ、家サイドの味方をせざるを得なくなり、聖子の態度が豹変。

2016年3月~2017年3月
ミツカンが突如として組織図上の英国支店を廃止したことで、仮処分裁判に勝訴したにも拘らず僕は戻り場所を失い、自宅待機を余儀なくされる。新しい配転先を指示されないまま、ロンドンの妻子と引き離され続け、大阪府枚方市に一人で1年間の自宅待機をさせられる。

2016年4月 聖子が離婚を申し立て、離婚調停が始まる。僕に対する事実無根の「夫としての不備」を指摘する内容を聖子が記述したことに僕自身衝撃を受け、初めて聖子に怒る。離婚が成立するまで息子Aには会わせない、と聖子が言い出す。

2016年6月 面会交流調停(息子Aに会うための調停)を起こす。

2016年12月 息子Aに1時間だけ、第三者立ち合いのもと、名古屋で面会を許される。この時、息子Aはもう僕を父親として認識できなくなっていました。聖子には会えませんでした。

2017年3月 東京への出向を命ぜられ、営業統括部の業務を実施。
(後に裁判で負けないために敢えて仕事を与えた形をとっていたと考えられる)

2017年6月 息子Aに1時間だけ、第三者立ち合いのもと、名古屋で面会を許される。聖子には会えませんでした。

2017年9月 スカイプで息子Aと話した際「おじさん」と呼ばれ、それを否定しない聖子にも衝撃を受ける。

2018年2月 英国の裁判所命令が出る。年に6回英国で、年に2回日本で、面会できることになる。

2018年2月~2019年4月
英国裁判所命令を受けて、息子に頻繁に会えるようになり僕を父として再認識し始めていた。

2018年4月〜2019年4月
ミツカンの代表取締役らのコンプライアンス違反について社内通報および幹部14名全員への告発を合計4回行うも実質的に全て無視される

2019年5月 社内告発文書を入手したマスメディア(週刊文春およびフジテレビ)による「事実だとしたら重大なパワハラと人権侵害である」との報道がなされ、ミツカンの不買運動が一部起きる。

2019年6月 「息子Aのプライバシー侵害」を理由に、一方的に息子との面会が停止になる。
(現在はプライバシー侵害に配慮した旨のテレビ局等からの書面も入手したため英国で再度裁判を起こせば勝てるはずですが、コロナ禍の状況等で困難なため現在踏み切れておりません。)

2019年6月 離婚裁判で敗訴する。
(2016年1月に渡英し聖子・息子の自宅に5泊して家族の絆を深め合ったのを最後に、聖子と一度も再会できないまま離婚が成立。)

2019年8月 マスメディアの内部告発報道を理由にミツカンを即日解雇される。

現在は、裁判に専念するため、仕事もできない状況が続いております。(係属中の裁判は、“対ミツカン”、“対和英・美和夫妻”の2本。)

最後に

僕は、息子が生まれてすぐに育休を1年間取得し、毎日一緒にお風呂に入り体を綺麗にしてあげ、オムツを替え、寝かしつけをしました。この1年間の様子は育児ノートに毎日欠かさず記録をつけました。息子と”父子の絆”を深め合うことが出来た、人生で最も充実した1年間でした。

機関車トーマスのミニカーやレゴの車は引き離されてしまった当時、息子がいつも握りしめていた思い出の品です。ブルーベリー・ぶどうは特に好きで、いつも満面の笑顔で食べていました。また一緒に食べたいですし、一緒に遊びたいです…。

2016年12月および2017年6月に名古屋で1時間だけ会えた時、息子は僕のことを忘れかけていましたが、英国裁判所命令を受け2018年4月から2019年2月まで頻繁に会えるようになり息子は僕を父親として再認識し始めていたのに…2019年3月から、もう1年半以上、再び生き別れの状態が続いています。

最愛の息子の成長を父親として見守りたいのに「愛している」とすら伝えられないのは耐え難い苦しみです。何よりも息子の記憶から僕が日々消されていくことが堪らなく悲しいです…。

最愛の息子のために僕はこの戦いに絶対に負けられません。応援よろしくお願い申し上げます!!

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より沢山の皆さまに真実をお伝えするために、この事件についてのご質問に可能な限りお答えしております。よく頂く質問を以下にまとめました。

よくあるご質問 Q&A 

Q1. 大輔が仕事ができなかったのでミツカン創業家を追い出されたのでは?
A1. そもそも和英は、結婚を機に僕に”キャリアを捨ててミツカンに入るよう”要求したにもかかわらず、裏では部下に対して、僕に ”ミツカンで仕事を【させない】よう” 指示を出していました。そんな中、2015年12月に僕が起こした仮処分裁判にミツカンが敗訴したことに伴い、僕が初めて担当業務を与えられたのは2017年3月からでした。その時に一緒に働いた上司からの人事評価がありますが悪い評価は一切ありませんでした。
Q2. 聖子に対してDVはありませんでしたか?
A2. 一切ありません。聖子の証言も残っています。
Q3. 息子に対して育児放棄などはありませんでしたか?
A3. 一切ありません。聖子の証言も残っています。僕は、息子が生まれてすぐに育休を1年間取得し、毎日一緒にお風呂に入り体を綺麗にしてあげ、オムツを替え、寝かしつけをしました。この1年間の様子は、育児ノートに毎日記録をつけました。
Q4. 育休を1年もとっていたのはなぜですか?仕事をしたくなかったからですか?
A4. Q1でも申し上げたようにミツカンで仕事を【させない】よう画策されていた僕は、和英から【育休を1年間とる】よう指示されていました。聖子が望むのであれば、そして家族を守れるのであればその指示を受け入れようと思い、育児に専念した1年間でした。(その甲斐もなく、育休が明けると同時にロンドンから大阪に片道切符で飛ばされ、息子と無理やり引き剥がされてしまいました…)
Q5. 聖子との関係はどうなっているのですか?
A5. 2016年2月頃まで聖子は僕の味方でした。「Secret family(秘密の家族)」というタイトルの僕と聖子だけがアクセスできるブログを開設し、和英・美和に隠れて家族3人の交流を続けました。また、大阪に片道切符で飛ばされていた期間中の2016年1月、僕とミツカンは裁判中でしたが、僕たち夫婦は和英・美和に見つからないように英国で会う計画を立て、僕は聖子と息子の暮らす自宅に5泊して親子3人の絆を確かめ合いました。
ところが、2016年3月にミツカンが敗訴した頃から(「名古屋地方裁判所 半田支部・平成27年(ヨ)第22号仮処分命令申立事件」)聖子の態度が豹変し、和英・美和側についてしまい音信不通となってしまいました。「僕一人 VS ミツカン・両親・息子」の選択を迫るよう和英・美和から圧力があり、結果として聖子の態度が変わってしまった…、僕はこのように理解しています。現在も音信不通が続いております。
Q6. 聖子と両親(和英・美和)の関係はどうなっているのですか?
A6. 離婚の強要や財産の剥奪、ミツカン跡継の人事など、公私に渡る数々の圧力がありましたので、聖子は両親に逆らえる状況ではありませんでした。僕が特に驚いたのは、美和が、孫(僕達夫婦の息子)を出産した5日後の実娘(聖子)に対して、「(”孫を養子に差し出せ”との命令に従わなければ)殴られるくらいじゃ済まされない」「別れるのが絶対条件」との脅迫のメールを送ったことです。(このメールは裁判所に証拠提出されています。)
また、別居を強要された時のエピソードも象徴的です。聖子は両親(和英・美和)から2015年8月18日に別居を開始するように言われましたが、聖子はそれに従ったふりをして自宅に数日残り、翌日(8月19日)には僕の誕生日を家族3人(僕と息子)で祝いました。そして、8月20日以降も両親に隠れて毎日のように家族3人で食事を一緒にして絆を死守しました。聖子は隠れて交流していたことを「(両親には)死んでも言わないでね」と僕に伝え、僕もこれに応え、聖子が両親に見つかってしまうまで誰にも言いませんでした。実の両親や弁護士にも黙って約束を守りました。
「死んでも言わないでね」と僕に話すほど聖子は両親を恐れていましたので、現在も同様だと思います。
Q7. 聖子の気持ちが大輔(僕)から離れたのではないのですか?
A7. 聖子は母子の引き離し(つまり聖子と息子を引き離すこと)すら両親から提示されており、「僕一人 VS ミツカン・両親・息子」という選択を迫られていました。仮に、同じ状況下になったとしたら、ほとんどの母親は「ミツカン・両親・息子」をとらざるを得ないのではないかと思います。
Q8. なぜ離婚した現在も中埜姓を名乗っているのですか?
A8. 最愛の息子のためです。物心がつき始めた息子に、少しでも父子の繋がりを実感してもらいたいと思っております。1歳で父親(僕)と引き離されてしまった息子は、その後2年間で2時間しか父親(僕)に会えませんでした。そして、久しぶりに再開した時、息子は僕のことを「おじさん」と呼びました…、そう呼ぶよう強要されていたのです。息子に実父を「おじさん」と呼ばせるような無慈悲な仕打ちは二度とさせたくありません。
少なくとも、裁判に勝って息子に真実を残す迄は今の姓のままを考えております。誕生直後の子どもだけを奪って、家と会社から婿(僕)を追い出すような方々と同姓なのは正直気分が良くありませんので、裁判が終わって決着がついたら元の名字に戻そうと考えております。
Q9. 裁判の目的は何ですか?
A9. ”息子との再会と絆の回復”、そして”裁判で勝訴して愛する息子に真実を残すこと”です。息子が将来「なぜ僕の家族は破壊されているのか…」「パパから愛されていなかったのか…」と疑問に思った時のために、真実を公的文書で残してあげたいです。
Q10. 聖子のことを現在どのように思っていますか?
A10. 愛する息子と引き離されて追い詰められた僕には、和英・美和やミツカンを提訴する以外に選択肢がありませんでした。父子の絆を守るためです。A5でも申し上げたように、提訴した当初の僕と聖子は、和英・美和の圧力に耐えながら隠れて交流を続け、大阪とロンドンに引離されながらも夫婦・息子の家族3人の絆を死守しました。ところが、2016年3月にミツカンが敗訴した頃から(「名古屋地方裁判所 半田支部・平成27年(ヨ)第22号仮処分命令申立事件」)聖子は態度を豹変させ和英・美和側についてしまい音信不通となってしまいました。聖子が翻意してしまったことは大変残念ですが、それまで僕と息子を守ろうと両親との間で板挟みに陥っていたことは事実ですので、聖子への感謝の気持ちもあります。聖子と息子が和英・美和によって引き離されていなければ、聖子が息子に愛情を注いでくれているはずですし、元妻であり愛する息子の母親である聖子を悪く言う気にはとてもなれません。むしろ現在の聖子のストレスがとても心配です。

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