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ネットの学歴掲示板に毒された高校生の末路

こんにちは。
私は1年間の仮面浪人で偏差値50弱の国立大学から偏差値70弱の国立医学部に合格した中野と申します。(参考:駿台全国模試)


今日は高校時代に5chの学歴掲示板にはまってしまい、学歴コンプレックスをこじらせた話をしようと思います。

僕の経歴を軽く話すと小中高は全部公立の学校に通っていました。

田舎のヤンキーが沢山いる中学校で真面目に勉強する人がほとんどいなかった為、中学時代は神童扱いされていました。
完全に井の中の蛙だったのですが、大海を知らない私は完全に調子に乗りまくっていました。当時の私は大して勉強していないのにも関わらず、自分は将来を約束されたエリートであると完全に信じ切っていました。

その後、中学時代に芽生えた選民思想を抱えたまま県内最高峰の公立高校に進学することになるのですが、これこそが僕が学歴コンプレックスを拗らせる決定打となりました。
自分は優れた人間だと言い聞かせていたものの、当時の私はルックスにも自信が無く、部活で結果を出している訳でもなく、何か自分に自信が持てるような特技があるわけでも無かったのでコンプレックスの塊でした。
はっきり言ってまともな人間はそのような気持ちの悪い選民思想を持つわけが無いのです。そんなコンプレックスの塊の僕には勉強しかありませんでした。中学時代の内申点が良かったため、実力は伴っていないのに県内でも最高峰の公立進学校に合格して、進学校に通っているという事実ただそれだけが僕の自尊心を満たしてくれました。しかし、進学校に入学出来たのは僕の成績が良いからではなく、授業態度などにより内申点が高かったためであり、実力ではありません。また、勉強自体は好きでは無かったので、成績を上げるために努力しようという発想はなく、各大学の偏差値や大学の序列、大学群といった知識だけが増えていく日々でした。こうして、高校生時点で拗らせに拗らせた僕は救いようのない学歴厨となったのです。

高校三年間ははっきり言って地獄でした。
全く勉強しなかったので、成績も学年で下から10番以内常連にいて、授業中に先生に簡単な問題で当てられても答えられずに大恥をかく毎日でした。コミュ力があるわけでもなかったので友達もろくにおらず、高校内でのスクールカーストは最底辺でした。死んだように学校に行き、授業中に5chを見て、家に帰ったらYouTubeで受験系のコンテンツを見る生活で得たものは、身の丈に合わない受験知識だけでした。

受験勉強に身が入らないままあっという間に時間だけが過ぎて行き、気が付いたら高3の12月でした。成績自体はずっと悪かったものの、高校三年間で肥大化した自尊心は進学校にいる自分が東京大学以外の大学に進学することを決して許しませんでした。

誰にも話したことはありませんでしたが、僕は高校三年間東大志望でした。高3の時に受けた東大模試の偏差値は30だったのにも関わらず、自分が東大に行くことを信じて疑いませんでした。結局、ろくに勉強をしないままセンター試験(現共通テスト)を受験して、その結果が約7割でした。東大の足切りは例年8割程度なので流石に無理だと判断して、ここで初めて志望校を下げるという決断をします。偏差値68の東京大学理科一類から偏差値65の東京工業大学情報理工学院(現東京科学大学)に志望校を変更しました。東大が受けられないのは不服でしたが、東工大なら行ってやってもいいかと思い受験前から気持ちは東工大生でした。(この時の偏差値は40程度だったはずです。)両親は私の実力をよく理解していたので、東工大を受験する条件として私立大学の受験を提示しました。受験校は東京工業大学、慶應義塾大学理工学部、中法大学、法政大学、東京都立大学となりました。

時に皆さんは『Marchは3か月』という言葉を知っていますか?学歴掲示板から生まれたこの言葉は、Marchは3か月勉強したら受かるという意味合いで使われています。ちなみに早慶は半年らしいです。







全落ちでした。
落ちる訳が無いと思っていたMarchにも補欠すら引っかからずに落ちました。
東京工業大学に至っては100点差以上の大差落ちでした。

これがろくに勉強をするわけでも無く学歴掲示板に張り付いている人間の末路です。
皆さんはこうはならないために今すぐスマホの電源を切って勉強してください。



次回 2度目の正直 東京工業リベンジャーズ


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