私もOK、あなたもOK。ひとつの問題に、”OK”はふたつ以上あって良い。
「あなたもOK、私もOK」という言葉が好きなんです。
この言葉を初めて知ったとき、私は天と地とがひっくり返るほどに、自分の価値観をドンガラガッシャ~ンと崩されました。
同時に、「ああ、だからこの世界に生きづらさを感じてたんですかね!」と辻褄が合った感覚がして、ふかふかのドデカいクッションに包まれたような、そんな安心感を持ったんです。
まるでヨギボーのような。無印の、人をダメにするソファかのような。
この言葉は、今では私の大切な「お守りことば」のひとつ。
だから今日は、近所のおばさんがくれる飴ちゃんみたく、この言葉の優しさと意味をおすそ分けしたいと思ってます。
お腹がすいたらポケットの飴ちゃんの存在を思い出すように、誰かの言葉に傷ついたら、この言葉を思い出しておくれやす。
「正しい・正しくない」を決めて、進むしかなかった
私は学生時代、何が正しくて、何が正しくないかを判断しなくちゃいけない役割に立たされることが多かったんです。
ヘラヘラしてるように見せていたのに、隠せない中途半端な正義感や責任感があったからか、なんだか委員会やら部活やらで、なんとなくエラい役職を任されることが多くて。
今思えば青いなぁと思うことばかりですが、当時はやっぱり「私がなんときゃしなきゃ!」と重圧を感じてました。
ほいで、それなりに本気でものごとに向き合っている人がいると、どんな組織でもいざこざは起きるんですよね。やはり。
なんでアイツはちゃんとやってないんだ。
なんでアイツは許されるんだ。
なんでアイツが選ばれて、真面目にやってる人が選ばれないんだ。
悲痛な、「正しさ」を求める叫び。私は吹奏楽部→軽音楽部と、音楽の世界にずっと居たので、「実力」と「正しさ」の衝突は特にたくさん見てきました。
吹奏楽部も軽音楽部も、選抜のオーディションがあり、選ばれなければ舞台に立てない世界です。だけど、私たちは「上手いが正義」の強者のルールに従順になりきれるほどオトナではなかったんだと思います。
部活の部会では、何度も議長席に座りました。何を「正しいこと」とするかを、この場で決めなければならない。その中で、たくさん傷ついてきたし、たくさんの人を傷つけてきたと思います。
私は一度、自分の信じた「正しさ」で部活組織を崩壊させてしまったことがあります。私と顧問の決めた部の方針に反対する人が、ゴソッと退部し、部員が半分になってしまったんです。
「正しさ」で、彼らから音楽を奪ってしまった。私の信じた「正しい」は、彼らの「正しい」ではなかったんです。
その後、「もう、部長なんてやりたくありません」と自ら顧問に申し出て、私は部長を辞めることになりました。
部活を辞めるという話はよく聞きますが、部長を途中で辞めるという経験は、後にも先にも自分以外の例を知りません。
それ以来私は、社会に出ても、リーダーだとか、○○長だとか、そういった役割を極端に避けるようになりました。自分の信じる「正しさ」で、人が離れていくことが怖くなってしまったんです。
だから、意見が割れたときには、まぁ、自分から引くことを覚えてしまいました。
とにかく、組織の亀裂になるのが怖かった。
何かに意見を持つことや誰かと議論をすることは、私にとって、イコール嫌われること・疲れることだったし、会社員時代は、「もういいや。他人に合わせたほうが何十倍もラクだ。」と、自分よりも他人の意見を優先することばかりが得意になっていってね。
そして、どうしても大切にしたい自分の中の正義が脅かされたときは、もうその組織から去ることを選ぶしかなくて。
「私が去った方が、早いから。」です。気づけば20代で転職は4回。もう、心はボロ雑巾だったように思います。
私にとって「正しさ」は、いつだって自分を生きづらくさせるものでした。
「正しさ」を追い求めると、自分の居場所がなくなる。それがとても寂しくて、それでいて、自分を苦しめるものだったように思います。
私もOK、あなたもOK。
アサーションという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
私は、2年前に初めてこの言葉を知りました。「私もOK、あなたもOK」を前提に、相手を尊重しながらお互いに自己表現や対話を行うことを言うそうです。
私はこの考え方を知った時、びっくりしたんです。
”OK”はふたつ、いやそれ以上あって良いんだと。ホェェ
「正しさ」に苦しめられていた頃の私は、ひとつの問題に対し”OK”はひとつしかないと思っていたんです。
誰かの「正しさ」と自分「正しさ」がぶつかるときは、常にどちらがさらに正しいかを決めなきゃ済まなかった。自分ひとりで、正しさバトルをしていたんですよね。
そう、まるでベイブレードのようにね!
アサーティブなコミュニケーションの中では、仮に自分と相手の意見が違ったとしても、「そうか、そういう考え方もあるのか」と相手のことを尊重するんです。
その尊重の上で、「私はこう考えるよ」を相手に伝えていく。いったん相手の言葉を受け止めつつ、自分自身の考えを誠実に・丁寧に示していけばいいという考え方なんですよね。
相手がOKであることと同時に、私もまた、OKなのです。
学生時代も会社員時代も、私がすべきだったのはきっと、正しさバトルをして勝ったり負けたりすることではなく、「私たちにとって良い方法」をともに探すことだったんだと思います。
アサーションをもっと早く知っていれば、どれだけ救われたか。どれだけ流さなくていい涙があったのかと、よく考えます。
こんなに人生に必要なこと、なんで義務教育で教えてくれないんじゃろか?
ひとつの問題に対して、OKはふたつ以上ある。
周りの人と衝突しそうになったときや、自分と反対の意見に出くわしたとき。私たちは無意識で、相手と自分はどちらが正しいのか?を考えてしまいます。
だけど、一度立ち止まって、勇気を出してみてほしいんです。相手の意見を、「そうか、そういう考え方もあるのかァ」と受け止める勇気を。
難しいときは、相手の考えを、”自分の反対意見”ではなく”別アイディア”として受け取ってみるといいと思います。「ほぉ、それは考えつかんかった。なるほど!」とね。
やっぱり、正しさバトルを連戦すると、心が疲弊しちゃうんです。
私は、正しさを訴求して自分から人が離れることも経験したし、自分の意見を殺して勝手に負け越していくことも、どちらも経験しました。そのバトルで得たものは、やっぱり何もなくて。
Aという考え方もOKだし、Bという考え方もOK。もしかすると、ふたりが対話を重ねれば、3つめ4つめの”OK”が出てくるかもしれません。ひとつの問題に対して、OKはふたつ以上あるんです。
家族、友人、仕事の中で、自分と異なる意見に出会ったとき。
そんなときは、この言葉でお互いの「正しさ」を優しくキャッチしていこうね。
私もOK。ならば、誰かもOKなのだから。
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