【RP】「かてぃん plays ラプソディ・イン・ブルー」調布国際音楽祭第10回記念 オープニングコンサート
(別アカウントの過去記事をアーカイヴする為にリポストしています)
6月20日(日)14:00~ 調布市グリーンホール 第ホールで行われた 調布国際音楽祭第10回記念 オープニングコンサート「かてぃん plays ラプソディ・イン・ブルー」に行ってきました。
実は"Cateen かてぃん"チャンネル「色んな演奏にピアニストが伴奏つけてみた #playwithcateen」が角野隼斗氏のチャンネル登録をしたきっかけだった位なので、まさにplaywithcateenのこのコンサートがとても楽しみでした。
明治大学付属明治高等学校・中学校吹奏楽班の皆様(以降学生さん)と、どういうコラボになるのでしょう。
最初に学生さんだけ(私の席からは見えなかったのですが、元N響のホルン福川伸陽氏がご一緒だった)で、ジョン・ウィリアムズ「スターウォーズ・サガ」を学校の鈴木正人先生の指揮で演奏されたのですが、舞台袖からは鈴木優人マエストロ(以降鈴木マエストロ)がずっと見守っていらっしゃいました。
冒頭から迫力のある素晴らしい演奏。個々の楽器の音も美しく息もピッタリ、音量の大小や繊細な表現も見事なのですが、いかんせんノリやグルーヴがありません。
以前高校生ブラスバンドを追いかけるバラエティドキュネントを実家でチラッと見たことがあり、高校生でもノリのある演奏は可能なはずなのですが、今日の学生さんは「優等生」の演奏。
こ、これで「ラプソディ・イン・ブルー」は少しキビシイかも。。。
『どうする、かてぃん?!(続く)』
次に開会式典。
長友貴樹市長からは、有観客でこの音楽祭が行われたことの喜びが伝わってきました。
そして、鈴木雅明氏(本音楽祭監修)のお言葉には本当に素晴らしくて感激してしまいました。
アンケートが配布されていたのでミニ鉛筆があったのですが、なんとその直前で落としてしまい何度も下や周囲を探して隣の方にチラ見されてしまッた程、今もメモが取れなかったことが悔やまれます。
音楽は楽しむものだがが、知性を育むものでもある。音楽をレセプトすることはそれぞれの人が違うレセプターを持っているということで、自分の中でそれを響かせること。そのその響きは人によって違うけれど、それぞれが響かせることが平和になる。今日はそれぞれ違う感じ方で音楽をうけとって帰ってください。
もっと一語一語含蓄があったのに。。。泣
私がこのnoteでひっそりと書いている理由は、鈴木雅明氏の想いと一致しています。
ファンの皆様と一緒に応援する喜びを共有することはとても素晴らしいのですが、人によって心の琴線に触れる箇所は違います。
特に言葉を持たない芸術媒体は、人によってその違いを味わうものだとすら思っています。
ですから、ここで私が何かを断定的に書いてはいても、それは私がこう感じたという意味での断定であり、演奏の意図がそこにあったという意味でありません。角野氏の表現を私という個人が受容した一例にすぎないのです。
ただ、だからと言って受容者が勝手に解釈して良いと思って書いている訳でもありません。
可能な限り、その表現の本質に至る直観的鑑賞に至りたいと…思う気持ちは常に持っています。
指標図でも書きましたが、それが自己の情動的同調であり表現者やその作品への敬意です。
他者の表現の本質に至ることは不可能であっても、その不可能を志すことに意味はあるのです。ですが、そもそもが「自己との同調」なのですから、自分のレセプターに一致しない表現要素も当然ながら存在する訳で、自己を偽ってまで鑑賞することではありません。
受容者個々の違いや、その表現の本質にはたどり着けないということを自覚しながらも、そこに向かおうとする意思、それが平和への志と重なるのだと私は思っています。(似たことを「クラシック音楽鑑賞の初心者向〜」に書いています)
関係者の方をお招きして行われたお目出度い鏡開きの後は、いよいよかてぃん氏(以降コンサート名に合わせコンサート内では統一)がご登場。
鈴木マエストロは、学生さんたちに「そのまま特等席で観ていいからね」と優しく一声かけられて退場されました。気づいていませんでしたが、たしかに特等席です!
カプースチン:8つの演奏会用エチュード Op.40 第3番「トッカティーナ」は日比谷音楽祭でも拝聴したものの、PAを通した音だったので生音で聴くのは初めて。果たして生音が楽しめるのか…オペラシティでのこともあるので期待半分不安半分。
ご挨拶の後、相変わらず着席早々に始まりました。
ああああああ〜〜〜〜〜〜〜泣泣泣泣
今回のお席は上手前方だったのですが、やはりモアモアした音ばかりが聴こえ、トッカティーナ独特の弾むようなピアノの音は残念ながらわかりませんでした。
鈴木マエストロは「カプースチンが聴いたら喜ぶ!」とまでおっしゃられていたのですけれど。。。
『どうする、自分?!(続く)』
舞台では、森下唯氏との二台ピアノのためにセッティングが行われ、鈴木マエストロと森下氏かてぃん氏とで軽快なお話が進みます。
そして、いずみたく/森下唯編「ゲゲゲの鬼太郎」が始まったのですが、先ほどよりピアノの音がはっきり聴こえます。しかも、たぶんかてぃん氏のピアノの方が遠いのにしっかり聴こえる気が。。。
森下氏の編曲で「ゲゲゲの鬼太郎」テーマのメロディが様々な曲調に展開されていきます。
三拍子になったり、クラシックの奏法を取り入れたダイナミック曲調になったり、最後は夜の墓場のような静かな情景を表すように。。。
クラシックを全然しらない=ラボだけの浅い知識氏か持ち合わせていないため、「そうか、これが変奏曲か!」なんて思いながら聴いていたのですが、他の方のご感想を拝見させていただくと、そうではないようです。
もう、違いが全然わかっていません。
トホホ。。。
20分の休憩を経てに舞台には指揮台とピアノが一台に。
お隣の方は相当かてぃん氏のファンらしく、少し距離が遠くなってしまったことを(ピアノの位置は指揮を見るためか?さらに下手に移動)、しきりに残念がっていらっしゃいます。
これはもしかしてもしかすると、音が良くなるかも…と私は期待大!
そして、ガーシュウィン(D・ハンスバーガー)「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏が始まりました。
冒頭のクラリネットから学生さんのソロ演奏、そしてかてぃん氏のピアノが響き始めると、これまでに感じたことのないほどの気合いが感じられるのです。しかも、テンポをすごく揺らして情緒たっぷりな表現。
「うわ〜〜〜 完全に本気!!!というか、いつも以上に本気!!!」
能の先生が常々「子供に能を観せる時こそ本気で舞う必要がある」「本気であれば幼稚園生でも伝わるし、伝わらないのなら自分の芸が至らないだけ」と、それはもう…信念のようなものをお持ちなのですが、かてぃん氏の演奏からも全く同じ気迫(音楽表現とはまた違う)を感じました。
冒頭に書いたように、学生さんの演奏からはグルーヴは感じられません。
一方、かてぃん氏はJazz AUDITORIA以降のジャズでの自在感をそのままに演奏されていて、過去のものとは全く違う印象の「ラプソディ〜」、本当に素晴らしくて言葉にできません。
距離が遠くなったお陰で神がかったその生の音を私も堪能できる幸福!!
神様ありがとう〜〜!!!
中盤(前半後半?)学生さんと一緒に演奏される所では、ジャズのバッキングの様にピアがノリを支える一方、掛け合いのようになると…こちらが驚くほどに大胆に揺さぶりをかるのです。
これ、プロのオーケストラだって合わせるのは相当大変なのでは?!という位の本気度。
でも、学生さんたちは頑張って着いて行く!!
鈴木マエストロはピアノのパートはかてぃん氏にお任せし、学生さんの演奏を合わせて…という感じ。
そしてカデンツァ(今だにどの部分のことを指すか分かっていませんが、ピアニカの部分がそうだという経験則から)にはピアニカが登場。
置かれていた台が低く、いつもよりセッティングに時間がかかっている様でしたが、あえてポーズをつけてゆっくり動かれている様にも見受けられます。以前書いた様に音楽は続いていて、学生さんたちに音が鳴っている時だけが音楽ではないことを伝えているようにも感じました。
本来はピアニカのグルーヴィーな演奏とピアノとの対比が聴きどころなのですが、この日はピアノがすでにグルーヴィだったのでいつものような対比感を覚えないほどでした。笑
そしてホルンの福川氏が鈴木マエストロに呼ばれて前にご登場。
とにかく、前に出てこられる立ち居振る舞い自体も全てがカッコイイ!
演奏の前のかてぃん氏とのアイコンタクトからちょっとしたポーズを経て、軽やかな音でお二方の演奏(即興?)が披露されました。
(こども音楽フェスティバルで「金管楽器のひみつ」は本当に素晴らしいココンテンツで、こちらdもメチャクチャカッコよかった!)
ああ、、、、ここで私もようやくこのコンサートの意義の様なものを理解できた気がします。
自由に音やリズムに乗るカッコよさを本気で伝えたい(教えるのではなく)という思いが御有りだったのではないかと。
鈴木マエストロのもと、かてぃん氏だけでなく福川氏も含めて、「音楽はこんなにカッコイイんだよ!」って、学生さんたちにその本気の姿をみせているのです。大人の本気のカッコ良さ!本気だから楽しいということを。
引き際の福川氏もカッコイイ。。。
その後、かてぃん氏が不意に立ち上がってピアノの影に消えていきました何がおきているかわかりません。
するとトイピアノのような、でももっと響きと透明感のある可愛らしい音が鳴り出したので、何かの楽器を演奏されているのだろうということはわかりました。ちょっと水琴窟のような不思議な音です。
終了後に他の皆様のtweetからチェレスタという楽器だということがわかったのですが(現場で見ても何の楽器か不明でした)、調べてみると「共鳴箱」というのがあるらしく、甕に共鳴させる水琴窟に似ていると感じたのはそのせいだと納得しました。
チェレスタから戻ってこられる時は学生さんの演奏中だったためかゆっくりソロソロ、そのポーズに少し笑いが起きるほどです。
クラマックスに向けてピアノのソロ、その熱量は凄まじくこの後どうするの?!!!という状態。
学生さんとの演奏が加わりテンポも早まっていくのですが…というよりもカカッてくる(能の「カカリ」という言葉でしか言い表せないような急くような高揚感)のですが、かてぃん氏のその演奏に一部の学生さんが付いていけなかった様でズレた音も響きました。
一瞬で立て直したものの(学生さんだけではなく鈴木氏やかてぃん氏もたぶん瞬時に調整した)、正直聴いているこちらがハラハラ。
いや、これは流石に無理なので合わせてあげた方が良いのでは…と私は思ってしまったのですが、その後もかてぃん氏は(鈴木氏も)果敢にテンポを早めて揺らしていくのです。
でも、決して一人で走っているのではなく、小高い崖上から「来い!来い!来られる!」って手招きしていて(「おいで おいで」ではないのは相当キツイから)、学生さんたちは皆で必死にその崖をよじ登っていくのです。
ズレていたテンポが一音ごとに合っていく感じ、単にテンポが合っていくのではなく、彼らが音楽の高揚感に身を任せてグルーヴを獲得していく様子がその場で展開され、もう…ムネアツ過ぎる!!!
そしてバーンと皆で揃ったその瞬間のカタルシス〜〜〜〜〜!!!!
その後は鈴木マエストロの指揮のもとたっぷりと間合いを取って自在にテンポが揺らいでも、その一体感は盤石で決して崩れることなく感動的なフィナーレとなりました。
このレベルでの一体感はプロのオーケストラでもそうそう実現できないと思われ、もうただただ「感動!!!!!!!!!!!」としか言えません。(実際YouTue上の「ラプソディ・イン・ブルー」の後半、ちょっとズレてる…)
鈴木マエストロのカーテンコールの動画がアップされているのを拝見しても、お二方の達成感、その興奮度が伝わってきます。
当日夜のTweetです。
ラプソディ・イン・ブルー、角野氏の演奏で学生さんの演奏がどんどん変わっていくのが分かってムネアツ‼️もちろん音楽が素晴らしいのは言うまでもありませんが、良質なドキュメンタリーを見た様な感動も✨
ありがとうございました🙏
正直、危ない所は何度もありました。でも、学生さんたちを信頼して怯まななかった(手加減しなかった)角野氏の勇気!それに着いて行った学生さん達!信じてもらえたこと、そして達成できたことは、音楽に限らず今後の人生で大きな糧になるのではないでしょうか。
字数の関係で書けなかったのですが、素人の方とのオーケストラを毎年経験されている鈴木氏のお力は、きっととても大きかったのでしょう。
かてぃん氏も鈴木氏を信頼されていたからこそ、怯まずにご自身の表現を貫くことができたのでしょうから。
そして、福川氏もあの崖を登る時にはきっと、学生さん達を下から支えて下さったのだと思います。
私は「学生さんだから無理では…」という安易な思い込みがあったのですが、それが見事に覆されました。「リミッターを外す」ってこういうことなのでしょうね。
そして、小曽根真氏がおっしゃっていたように、実際にお客様を前に演奏するステージでしか学べないことがある、ということなのだと思います。
日本の音楽界を背負うお三方ともが、学生さんたちの力を心から信じ、音楽表現に対して決して妥協しなかったからこそ成し得た、本当に素晴らしい演奏で感慨無量でした。
こんなに素晴らしい経験をさせて頂き(もうコンサートを聴くという次元ではなく)、本当に幸せです。ありがとうございます。
playwithcateenを経験された明治大学付属明治高等学校・中学校吹奏楽班の皆様は、この後の人生でもきっとご自身を信じて壁を乗り越えて行かれる事と思います。
かてぃん氏の限界のないご活躍の源は、ご自身を信じる力と他者を信じる力があってこそなのだ、と改めて思いました。
『やったぜ、かてぃん!!(完)』
そして、話はここで終わらない所が…かてぃん氏の氏たる所以です。
アンコールでは、ショパン「英雄ポロネーズ」が演奏されたのですが、つい2週間前に聴いたばかりなのに、まったく違っていました。
もちろん、かてぃん氏の演奏は毎回アプローチが違うという意味では同じものはないのですが、これまでの表現性からまた一歩前進されたというか、この学生さんたちとの素晴らしい体験を、すぐにご自身の表現に昇華されている感じがしたのです。
ラボの最後に演奏される際、その内容とコメントの相互コミュニケーションの結果から、さらなる一歩を踏み出されたような感慨を受けることがあるのですが、それが公で成立したような感じなのです。
実は初めて告白しますが、角野氏の十八番ともいえる「英雄ポロネーズ」が、実は余り好きではなかったのです。この日の演奏を聴くまでは。
(嫌いという意味ではなく、自分にとっては他に好きな曲があるのに対しこの曲の演奏頻度が高いため)
なぜ、今回この様な表現になったのか理由はわからいのですが、ショパンコンクールの時のような、ご自身が「無」になられるような質感を覚えました。表現自体はあの時とは格段の差があり、決して無色ではないのですけれど…。
ご自身の姿勢のようなものが、クラシックの基本に戻ったかの様な。。。(私が角野氏の演奏をじっくり拝聴するようになったのがショパンコンクールからのため「基本」と感じただけで、もっと古くから応援されている方にとっては、また違う印象だと思われます)。
日比谷音楽祭の野外の演奏は「お馴染の曲を演奏なので皆で楽しみましょう」的な和やかな心地よさがあったのですが、この日は全く違います。
直観的ではありながら、最近は新しい事を試みる事が多かったのに対して、そういう意識すらも無く、純粋にクラシックの豊かさを最大に引き出しているような演奏に感じられました。
ボーダーレスな音楽家ではなく、まさにクラシック演奏家としての本気!!
学生さん方の純粋さに触発された…というだけでは語れない様にも思われまれ…少し謎、、、っと書いていて、今ハッと気付きました!!!
もしかして、学生さん達を「君たちが英雄だよ!」と心から讃えていたのかも???
そう思わないと、ここで無心になる感じがちょっと理解できない。。。。
まあ…こんなことはファンが勝手に思っているだけで、本当の事は誰にもわかりません(もしかしたらご本人にも)。笑
とにかく、今まではそれほど好きとは感じられなかった「英雄ポロネーズ」、この日の演奏は本当に素晴らしく胸に迫りました。
ちなみに、鈴木マエストロは指揮台という特等席にお座りになり、お聴きになってしました。
さらに拍手が鳴り止まないため、追加でもう1曲という事に。
何を演奏されるのか少し悩まれていましたが、ピアノに座り直されると、ガーシュウィン「I Got Rhythm」のメロディが優しく聴こえてきました。
わあああ〜〜〜〜〜!!!!
そうそうそう!!!!!!
私が思っていた気持ちを代弁していただきました!!!!
学生さんたちはこの演奏で音楽の持つそのリズムを会得したのです!これは本当に本当にすごい事なのです〜〜〜!!!!!
最初はとても優しく軽やかにリズムが奏でられ、YouTubeの「10 levels of "I got rhythm"」のように、展開していきます(これが変奏曲なのか、私にはもうわからない)。
冒頭に始まったジャジーな表現だけでなく、その途中にはポロネーズのような純然たるクラシック調もあり、それらがボーダーレスであること、それらが全て角野隼斗氏の音楽表現であることを、さらに学生さんたちに示しているように感じました。
以前から次の世代にクラシックを伝えたいとはおっしゃっていましたが、今回はそれを具体的に成し得た出来事として、ご自身にとっても大きなご経験となったのかもしれません。
<おまけ>
調布駅に着くと、大きな「調布国際音楽祭」ポスターがあって、気分も盛り上がります。
開始前には、調布駅前広場で開催されていたウェルカムコンサートも一部拝聴しました。
30分前の入場はちょっと不安だったので前半だけでしたけど…とにかく暑くて。。。。来年企画される場合には、どうか出演者の皆様だけはテントか屋根のある所での演奏が叶いますように。→この項末尾参照
また、駅前広場にはお店がの出店があったものの、音楽祭関連ではありませんでした。
もし、関連の飲食店等も出店して頂いて、広場でのフリーコンサートと大ホールでの開演時間の差にもう少し余裕があれば、広場でのひと時を楽しめると思うのです。ちょっと残念。
昨年11月に開催されたゲゲゲ忌、とっても楽しかったので、こんな感じだったら良いのにな…と。
毎年開催されている様なので、森下唯編「ゲゲゲの鬼太郎」もゲゲゲ忌で披露されたら、尚嬉しい!
※6/26補足
訂正この暑さでどうなることかと思っていましたが、早々に屋根付テントのご対応を下さっていました。流石です。素晴らしい!
ありがとうございました!
<追記>
カプースチン「8つの演奏会用エチュード 作品40: 3 トッカティーナ」が6/22に公開されました。
日比谷音楽祭でも演奏され、そのnoteの方が演奏の感想自体は詳しく書いているのですが、気持ちの良い野外の演奏とはイメージが違うと思われたのと時間経過が重要要素のため、こちらに追記します。(公開された理由として考えると、日比谷音楽祭のアーカイヴ配信が著作権の問題で叶わなかった事が大きいと思われる)
私が角野氏のトッカティーナを初めて聴いたのは2021年のカプースチン追悼コンサートの配信です。
日比谷音楽祭での印象は少し装飾音が追加されている?位のもので、カプースチンのオリジナルの演奏よりも少しテンポが早いものの、クラシックの曲を独自に解釈するようなスタンスではなく、オリジナルの質感に近い印象でした。
カプースチンの演奏が好きな私のような者にとってはそれが一番だったのですが、今回それとは違う印象を持ちました。とても良い意味で。
また、「100万人突破緊急生配信 - 1M subscribers celebrating」では、フィンガースナップや最後を小音で収めるところなどはこの動画とほとんど同じなのですが、何かが違うのです。調布国際音楽祭での演奏は集中して聴けてはいませんが、これ程印象の違いはなかったと思われます。
実は、話は少しさかのぼります。
「Spirited Away - 千と千尋の神隠し (Piano)」のプレミア配信が決まった際、ファンの方から「千と千尋の神隠し サントラ」について解説されている動画があると伺いました(公開当時はまだ会員ではなかった為)。
早速拝見すると冒頭でカプースチンが亡くなられたことについて「尊敬する音楽家」「いつか会いできたらいいな…と思っていた」と語られていました。
私が聴いたことのあったこれまでのトッカティーナは、カプースチンへのリスペクトが強く、このお話の延長線上にありました。
けれど、このYouTubeの演奏「解釈のある再現芸術」として、歴史上偉大な音楽家・音源の残っていないショパンやリストの曲と同じご自身による表現に感じられたのです。
しかも、コンサートで演奏する表現ではなくYouTube動画の「視聴者が近距離で視聴する」という前提での表現です。
さらには、この曲ならではの音に合わせた協調された指使いによる見た目の面白さ、最初と最後にクスッと面白みを加えるYouTube独自の表現までも含めて「媒体への最適化」という意味でも十分な表現としてディレクションが行われています(しかも音楽表現からは決して逸脱してないという意味で他とも一線を画している)。
以前から、ショパンが生きていた頃のサロンでの表現とコンサートホールでの表現は違うはずだとはおっしゃっていましたが、まさにそういうことまでも含めてです。
文化論では文化の「歴史化」という言葉を用いることがありますが、この動画で起きていることは、同時代に生きた尊敬する音楽家カプースチンに対し、角野氏が改めて行った「古典化」「再定義」のように感じました。
それなくしては、ショパンやリストと同じようにカプースチンを後世に伝えることはできませんから。
ちなみに、他の方の場合は最初からクラシック音楽と同じ(その演奏スタイルかない)ということなので、変化を起こす「古典化」の「化」がない=意味が違います。
ここからは想像でしかないのですが…
ご本人もカプースチン好きを公言され、リクエストも多いなかで余り演奏されなかったのは(イベントでは演奏されたようですが)、「角野隼斗のトッカティーナ」を演奏するために必要な時間だったのかもしれないなあ…と。
動画媒体という「演奏+α」の表現媒体を用いた事で生じた必然的間接性(詳しくは「千と千尋〜」のnoteに記載)が、恣意的ではない新たな解釈を自然に生む土壌となったようにも感じます。
あの指使いは明らかに動画の為だと思われますが、誰もが「カプースチンの曲ってカッコイイ!」と思うきっかけにすらなり得るほどにカッコイイ!!のです。
クラシック音楽の演奏会場が、小さいサロンから大きなコンサート会場に変わった事、その音楽の記録が楽譜ではなく録音で行われるようになった変化までを含めて、必ずしも演奏の音だけが作品ではないという「今現在の音楽作品としての再定義」が行なわれた可能性すらあります。
そういう様々な未来への志・可能性のようなものを感じさせてくれました。
「角野隼斗のトッカティーナ」がここに記されたことで、カプースチンは次の時代にも受け継がれていくことと思います。
ああああ!!!!
今、気がつきました!!!!!!!
(前文までで、すでに公開した後に発見して再更新)
インスタにToccateenaって書かれている!!!!!
●補足
6/27 インスタライブ(アーカイブ)コラボ配信での清塚信也氏のお話より
(上記のYouTube「トッカティーナ」への感想)
「横山幸雄さんが『ショパンを弾く権利のある人間は人のショパンを新たに上書きできる人のみ』と言ってたと思うんだけど、まさにそれだと思ったね」
「人はショパンはこうあって欲しいというもの(=ショパン像・イメージ)が全員あって、それをもう一回説得し直せる演奏ができる人」
「ラフマニノフもホロビッツが弾く自分の曲の方が良いって自分で言ってたって」
「かてぃんはその域にいると思うよ カプースチン」
※鬼籍に入った歴史的人物は敬称略