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"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(4) ~亀山城出陣~

本編は【その3 行軍経路】からのつづきです

決行当日2020年6月20日(土)午後3時半、亀岡駅に集合。今回参加するのは自分の他、大学講師、会社員、無職の知人を含めて7人。まずは予め発送しておいたレンタル足軽装束を、駅のそばの亀岡郵便局で受取り、さっそく装着。コストを抑えたため本物感が全く無く、コスプレ感がすごい(笑

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大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に合わせて、亀岡駅コンコースもこんな感じになっている。コロナ禍で残念ながら観光客は非常に少ない(この時点では緊急事態宣言は出ていない)。

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駅前に「麒麟がくる 大河ドラマ館」という立派な施設がつくられている(公開は2021年2月14日まで)。足軽姿で行ったのだが16時で閉館されたばかりだった。亀岡市観光協会もこの大河ドラマ館内にあり、表敬訪問ということで職員と話をすれば何か面白い展開が有るかと思ったのだが断念。ちなみに亀岡市観光協会には、足軽衣装をレンタルできるところはないか、事前に電話問合せをしていて興味を持ってはもらえていたのだが。

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明智光秀は大河ドラマには過去に何度も出ているが、主人公になるのは初めて。悪役として描かれることが多い人物だけど今回の“麒麟がくる”には期待していたはずで、観光客誘致のチャンスと目論んでいた関係者は、コロナ禍が無ければ...と悔しがっていると思う。

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駅から徒歩10分くらい、亀岡市の中心地にある亀山城に向かう。亀山城は現在、敷地のほとんどが新興宗教「大本教」本部のものとなっており、その施設内に入るには許可を得なければならないのだが、城の南側から入れば天守閣跡には行くことが出来る。

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↑ 天守閣跡から見下ろす、大本教本部。

予定していた時刻を若干過ぎた16時半すぎ、亀山城を静かに出発した。

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光秀は亀山城を13000人の軍勢を率いて16時ごろに出たと言われている。その出陣は、中国地方で毛利軍と戦っている羽柴軍の援軍としてという名目だったが、出陣準備には1週間ほどの時間しか無かった。
当時のほとんどの兵は武将を除いて農民兵。平時は農作業をしているが、戦の時だけ足軽兵として参加する雑兵だ。田植えが終わったこの時期に駆り集められた兵、手柄を立てて武将として取り立ててもらうことを狙って参加した兵がほとんどだろう。この大人数の中国地方までの長旅に必要な膨大な量の食料、物資の調達や運搬を考えると、1週間という出陣準備の時間は短い。

ただ、ほとんどの雑兵の足取りは軽かったのではないか。この後の壮大な計画を知っているほんの一部の者を除いて。

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↑ 城を出て城下の街道を行く雑兵たち

その5「出陣の宴」へつづく】
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