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ブロックチェーン技術の源流 -サイファーパンクとクリプトアナーキズム-

本マガジンの初回となる本記事では、ブロックチェーン技術の源流に位置するサイファーパンクと、それと密接な関係をもつクリプトアナーキズムについて取り扱います。

これらの思想が生まれた歴史的文脈とその変遷を知ることで、当時の人々が何を思ってブロックチェーン技術の思想的基盤を築いたのか、その根底にある情熱を理解することができるでしょう。


1. はじめに

ブロックチェーンの思想的な背景を辿ると、1980〜90年代のインターネット黎明期に生まれたサイファーパンク、そしてそこから派生したクリプトアナーキズムに行き着きます。

なぜ当時の人々は暗号技術の力に魅了され、既存の社会システムに挑戦しようとしたのでしょうか。

その答えを知ることで、ブロックチェーンを理解する上で欠かせない“中央管理者からの解放”の精神を感じることができるかもしれません。

本記事では、これら2つの思想について整理しながら、その背景にある情熱や価値観に迫ります。

2. サイファーパンクとは?

2-1. インターネットの誕生とプライバシー意識の高まり

まず、サイファーパンクが生まれた背景を簡単に振り返ります。

1980年代後半から90年代にかけて、インターネットは学術機関や政府機関の限定的なネットワークから、民間へと急速に普及が進んでいく時期に差し掛かっていました。

誰でも気軽に電子メールを使えるようになり、オンラインでの情報交換が盛んになる一方で、プライバシー保護の問題がクローズアップされ始めます。

当時のインターネットは、通信データがほぼ平文でやり取りされていたため、悪意ある第三者はもちろん、政府機関が通信を盗聴できるリスクが高いと指摘されていました。

このような状況下で、一部の技術者や思想家たちは「暗号技術を使って個人のプライバシーを守るべきだ」と主張しはじめます。

その中心的存在が、後に“サイファーパンク”と呼ばれるコミュニティでした。

2-2. 「A Cypherpunk's Manifesto」に見る運動の精神

サイファーパンク運動の象徴的な文書としてよく挙げられるのが、エリック・ヒューズが1993年に発表した「A Cypherpunk’s Manifesto」です。

そこには”プライバシーとは選択的に自分の情報を公表する権利である”という趣旨の内容が記され、プライバシーを守る手段として暗号技術が不可欠であると記載されていました。

つまりサイファーパンクたちは、”政府がどのような手段を使っていたとしても、テクノロジーの力で個人の自由を守ることができる”という信念を持っていたのです。

さらに、アメリカのエンジニアだったジョン・ギルモアは、”暗号技術は国境を越えて誰も止めることができない”という趣旨の発言を行い、暗号技術を個人の自由を護る武器として位置づけました。

こうした思想が共有される”メーリングリスト”を舞台に、エンジニアや数学者、社会活動家など多様なメンバーが集まり、自分たちの知識や技術を惜しみなく交換したのがサイファーパンクの熱量を支えた原動力といえます。

2-3. “サイファーパンク(Cypherpunk)”という言葉の由来

ちなみに、“サイファーパンク(Cypherpunk)”という呼称は、暗号を意味する“Cipher”と、当時流行していた“Cyberpunk”を掛け合わせた造語です。

“Cipher”が“Cypher”になっているのは、英語表記のブレも含めたコミュニティの遊び心という説もあります。

サイファーパンクの議論は極めて技術的でありながら、ポップカルチャー的な感性も併せ持ち、“新時代を自分たちで作る”という熱い思いに満ち溢れていました。

主題は一貫して「プライバシー保護」「個人の自由」「国家や企業による監視への対抗」であり、その武器となったのが暗号技術だったというわけです。

後に開発されるブロックチェーンやビットコインにも大きな影響を与えたこの精神は、まさに“分散型”の思想を先取りするものでした。

3. クリプトアナーキズムとは?

3-1. ティモシー・メイと「The Crypto Anarchist Manifesto」

サイファーパンクと深く関連して語られることが多いのが、クリプトアナーキズムです。

これはティモシー・メイが1988年に発表した「The Crypto Anarchist Manifesto」に端を発する思想であり、サイファーパンクよりもさらに一歩踏み込んで、暗号技術によって既存の権力構造を無効化しようというラディカルな思想を含んでいます。

ティモシー・メイは、暗号化技術をはじめとするテクノロジーの発達が、国家や巨大組織による規制を次第に無力化すると考えていました。

メイによれば、卓越した暗号技術があれば個人同士のコミュニケーションや取引は外部から覗かれず、しかも第三者の許可を得る必要がないため、人々は事実上、完全な自由市場を手に入れるというのです。

この点はサイファーパンクと重なる部分もありますが、クリプトアナーキズムでは、とりわけ“権威への服従を前提としない社会の実現”にウェイトが置かれています。

3-2. アナーキズム的な発想と暗号

“アナーキズム”という言葉には、一般的に”無政府主義”というイメージが伴います。

このイメージ通り、ティモシー・メイは、”暗号を使えば、人々は他者に干渉されない関係を築くことができるため、政府という統治機関自体が必要なくなる(あるいは極小化される)”と主張していました。

つまり、暗号がもたらすプライバシー保護と、自律した個人による合意形成の組み合わせこそが、新しいアナーキズムを生み出すと考えたわけです。

ただし、サイファーパンクがプライバシー保護に重点を置くのに対し、クリプトアナーキズムは社会構造そのものを変革しようとする方向性が強調されています。

両者は別々の運動というよりは、同じコミュニティ内で概念の境界が曖昧に混在しており、”暗号技術によって個人を解放する”という共通の信念を持って進化してきました。

3-3. サイファーパンクとクリプトアナーキズムの相違点

サイファーパンクとクリプトアナーキズムの最大の共通点は、権力への依存を極力排除し、暗号技術で自律的な社会を作るという思想です。

一方、異なる点は下記のようにまとめられるかもしれません。

  • サイファーパンク:プライバシー保護を最重視し、個人が暗号技術を使って検閲や監視に抵抗しようとする。

  • クリプトアナーキズム:政治・社会体制の変革に焦点を当て、暗号技術がもたらすラディカルな自由を理念化する。

ただし、実際のコミュニティではこれらの要素が相互に影響を与え合いながら、”暗号技術によって個人を解放する”という点で一致団結していました。

4. サイファーパンクとクリプトアナーキズムがもたらした社会変革の萌芽

4-1. PGP(Pretty Good Privacy)の登場

サイファーパンクの成果として最も有名なプロジェクトの一つが、フィル・ジマーマンが開発した暗号ソフトウェアPGP(Pretty Good Privacy)です。

PGPは、当時としては非常に高水準の暗号化メカニズムを個人でも手軽に使える形で提供し、電子メールのやり取りを安全に行うことが可能となりました。

政府はPGPの拡散に対して、軍事技術としての輸出規制を適用しようとしましたが、多くのサイファーパンクたちが「ソースコードを本に印刷して海外に持ち出す」といった形で抵抗し、国境を越えて配布を推進したのです。

これは「暗号技術が国家の規制を飛び越える」ことを象徴する出来事でした。

サイファーパンクのコミュニティは、ここで初めて自分たちが掲げる信条を実社会で実現し、目に見える変革に成功したのです。

4-2. eCashの試みとデジタル通貨の萌芽

もう一つの象徴的な事例は、デイビット・ショーンのeCashプロジェクトです。

これは“デジタル通貨”を安全にやり取りできる仕組みを提案するもので、政府や銀行などの中央管理者に依存しないオンライン決済を目指していました。

当時はまだ構想段階であり、大規模な普及には至りませんでしたが、電子マネーや暗号資産の概念を先駆的に示したプロジェクトとして評価されています。

このように、”暗号技術を使って新しい通貨や決済形態を生み出す”ことは、90年代のサイファーパンク/クリプトアナーキストたちが積極的に取り組んでいた課題でした。

4-3. “政府や企業ではなく、プログラムによる合意”の挑戦

PGPやeCashは、その後のブロックチェーン・暗号資産の誕生を予感させる出来事だったといえます。

政府でも企業でもなく、”プログラム”でルールを定義し、それに従って合意を形成するという発想は、中央管理者を前提とした従来の社会システムに対して根本的な疑問を提起しました。

サイファーパンクとクリプトアナーキズムがもたらした社会変革の萌芽は、こうしたプロジェクトの積み重ねと、コミュニティに宿る強烈な行動力によって徐々に形になっていったのです。

5. サイファーパンクとクリプトアナーキズムが築いた“文化的土壌”

5-1. サイファーパンクとクリプトアナーキズムに係るキーワード

ここで改めて、サイファーパンクおよびクリプトアナーキズムが築いた“文化的土壌”を整理しましょう。

特に重要なキーワードは、以下の3点です。

  1. プライバシー保護
    暗号技術を用いて個人情報を保護することが、自由を守る基盤となります。

  2. 自己責任
    国家や企業に頼らず、自分の行動には自分で責任を負います。

  3. コードこそが法(Code is Law)
    - アメリカの法学者ローレンス・レッシグの言葉としても有名ですが、サイファーパンク/クリプトアナーキストの思想では、法やルールは暗号技術やソフトウェアの設計によって実装されると捉えます。
    - つまり、人間の合意や国家の権威ではなく、コードの動かすルール自体が“最終的な裁定者”になるという発想です。

これらの要素が結集した結果、サイファーパンクやクリプトアナーキストたちは「中央管理者を置かず、個人と暗号技術の力だけでシステムを動かせるはずだ」と本気で信じ、その実現に向けて多くの試行錯誤を続けました。

この精神的基盤が後年のビットコインやイーサリアムなどの誕生につながっていくのです。

5-2. ビットコイン誕生への伏線

ビットコインが発表される2008年まで、彼らの取り組みは実験的な印象が強かったかもしれません。

しかし、30年にも及ぶ議論やエンジニアリングが蓄積された結果、サイファーパンク/クリプトアナーキストたちは、デジタル通貨を実現する上で必要な構成要素をほぼすべて先取りしていました。

2008年に金融危機が起こり、人々の“中央銀行や政府への不信”が高まったタイミングで、サトシ・ナカモトのビットコイン論文が世に出る

——この流れは、まさに多くの人々によって蓄積された叡智が歴史の表舞台に躍り出る瞬間だったとも言えるでしょう。

5-3. コミュニティとしての特徴:オープンソースと草の根活動

サイファーパンクのもう一つの重要なポイントは、オープンソース文化と強く結びついていることです。

コアな技術はすべて公開され、誰でも改良に参加できる仕組みがコミュニティの根幹でした。

このような草の根的・水平的なネットワークが、多様な才能と情熱を引き寄せ、世界中に広がる加速度を生み出したのです。

この文化的土壌は、今なおブロックチェーン業界に受け継がれており、”自分たちでコードを書き、問題があればフォークして新しいルールを作る”という発想は、イーサリアムやその他のプロジェクトでも広く浸透しています。

6. まとめ

サイファーパンクとクリプトアナーキズムは、”暗号技術で個人を解放する”という思想を掲げ、インターネット黎明期から多くの技術革新と社会的インパクトを生み出しました。

彼らが築いた文化的土壌は「プライバシー保護」「自己責任」「コードこそが法」という価値観を柱に、後にビットコインの誕生へと繋がる重要な伏線となったのです。

次回の記事では、この思想が2008年の金融危機と交わり、一大ムーブメントを巻き起こす”ビットコイン誕生”を取り上げます。

このマガジンは、「金融危機から始まる“分散化”への道筋 -中央銀行への不信とビットコイン誕生-」へと続きますので、ぜひコメントやシェアでご意見をお寄せください。


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