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普遍的ではないカレーの感想文

恋人がいない私ですが,幸せに生きています.

恋人がいたときも勿論幸せでした.

いろんな種類の色んな大きさのいろんな形の色んな数の幸せがありますからね.

付き合っていた恋人は、優しい人でした。愛してくれました。というか、愛してくれていると,私は強く感じていました.大好きでした.

だいすき,愛してる.そんなふうに強く思う恋愛は初めてではなかったけれど、そんな幸せは何回訪れたって悪いことはないと思います.まだ本気で言語化に取り組んでいない,根拠の薄い持論ですけどね.

「大好き」より「だいすき」の方が柔らかくてかわいいでしょ?「可愛い」より「かわいい」の方がかわいいでしょ?

そんなことばかり彼に言っていた私は,決して頭がどうかしていたわけではなくて,これが私の素なので,引かれたらそれはそれで結構なことです.ご自由にひいてください,引かなかったあなたを愛します.そんな自分勝手なスタンスなので,恋愛が長続きしたことがない.気がします.

彼は,わかってくれました.多分.それまで「大好き」だったのに,私の真似をして「だいすき」と打ち込むことが増えました.

それだけのことですが,それだけが大事だったりするのです.

私にとっての「気が合う」は,私の勘違いだとしても,私にとってはそうなのでした.相手が無理して合わせている可能性は排除する根拠に信頼というものがありました.信頼の哲学についてはいくつかの学派がありますが,自分はまだ身を固めていません.

信頼を美徳とする根拠を探し求めているわけではなかったはずですが,相手を信頼できなくなってきた,と自分が感じたならば,解決のために走り出さずにはいられなかった.衝動に弱い自分らしいなとまた自分で自分に苦笑して眠りにつくことには,もうすっかり慣れました.信頼とは何か,なんてむつかしいこと,私の頭じゃあ,とてもじゃないけれど,考え付かない.呑気にハイボールを掲げて,いかにも医学生の気晴らしと言うような話を気取ってするような酔っぱらいを演じることはとうに諦め,好き勝手に生きている幸せな野郎です.

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