偉大な兄弟があなたを見守っている

立っているだけで距離を開けられ、咳をすれば腫物を見るような目。気分転換に外へ行こうものなら「非国民」の非難を受ける。数か月前には考えられなかった状況になっている。

諸外国では行動を制限できる法令を使っているが、わが国にはそれがない。というか今調べたら感染症による緊急事態宣言が発令できるようになったのは2009年の新型インフルがきっかけだというのだから驚きである。この国はどんな時も国民の自由を保障する。ただ、国民は国民自身の自由を制限していく。どこの監視社会だとぼやきもしたくなる。

タイトルの元ネタは「1984年」こんなところで説明するのも不要なほど有名な作品である。テレスクリーンによる監視、言語を減らすことによる言論統制、101号室で党への忠誠を誓わせることなど、のちの作品への影響は計り知れない。

自由とは制限されることである。「ここまでは自由にしていいよ」といわれるから自由にできるのだ。では制限することが自由につながるかというとそうは思えない。

監視社会が見たければ隣の国に行けばいい。人権もなく、監視カメラで常に監視され、突然逮捕される。私は日本がそんな国になってほしくないし、そうなったら国外に移住することを考えるときだろう。監視をしないことが、監視をされないことにつながってくる。

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