吃音と共に未来を切り拓く 開拓者 朝倉拓
拓こと朝倉拓とは、横浜元町で食べた一杯のラーメンで繋がった。彼は、「中華そば さとう元町店」の店主なのだ。澄んだ黄金色のスープを飲み干して言った。
「うまいねぇ。自宅の山手から徒歩圏内だから、また来るね」
2回目は、ダイエット中の妻を連れて行った。
「罪悪感なく食べられるラーメン屋さん、見つけたよ」って。
3回目、岐阜県から訪ねてきたラーメン好きな隊員まなぶを連れて行った時、
「世界70カ国行ってて新宿で旅行会社を22年経営してたんだけど何度も海外に一緒に行った隊員(お客さん)なんだ」と、まなぶを紹介した。
すると「僕も旅が好きで学生時代に世界一周してて、卒業後にインドにラーメン屋をつくるプロジェクトに参加したことがあるんです」。
「えっ!麺文化のない1日3食カレーのインドでラーメン店OPEN!?」
「おもしろい!」と直感的に思って、その場でvoicyラジオにゲスト出演を依頼すると快諾してくれた。
横浜元町の若きラーメン店主、拓の店を紹介したnote。
拓とvoicyラジオを収録中、初めて彼が「吃音」と知り、「このラジオもチャレンジだ」と言う。ラジオ収録後、TVのインタビュー番組でフリーアナウンサー小倉智昭氏も吃音だったと知った。さらに、吃音の主人公の成長物語、ストリートダンス漫画「ワンダンス」の迫力のダンスシーンが話題とTVで取り上げられていた。「拓」は、文字通り自分の道は自分で切り拓いていくタイプの人だ。常に自分が活きる方向で自分のできることを見つけていく姿勢に好感が持てた。「生きる道」というより、吃音と共に「活きる道」を謙虚に探している。だから20代も30代となった今も、いろいろなことにチャレンジしている。
世界一周している拓。ちょっと話すと旅好き同士で自ずと親しみが芽生えた。考えてみたら、旅の話をしたのは久しぶりだった。自然と盛り上がり、追体験するように時間を忘れて楽しめた。月曜定休日、彼の店で12本も収録していた。1,113回目から1回10分、全12回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
拓は横浜市出身の31歳。小1から高3まで地域のサッカークラブに通ったサッカー少年だった。中学からサッカー漬けになり、5段階評価で体育だけ5で後はオール3という成績だった。高校はサッカーの強豪校を選択し、全国目指して県大会でベスト4まで行った。幼少時代から原因不明の吃音で暗記しても言葉にできなかったが、中学までは割とお調子者で過ごせた。
高校になると「発表で迷惑かけないか、面接どうしよう?」と、あれこれ考えるようになった。高校卒業後、指定校推薦で面接をクリアして地元の大学に進学したが、サッカー部には入らなかった。サッカーに関しては小1から高3まで気持ちがフルスロットルだっただけに、燃え尽きた感があったのだ。
大学2年生となった彼はサッカーに替わる目標を探していた時、人生を変える本と出合った。地球探検隊も掲載された高橋歩(著)「WORLD JOURNEY 世界一周しちゃえば?」。拓は、この本を何度も読んでいたから「地球探検隊」を知っていて驚いた。
もう一冊がナガリョウこと長尾良祐(著) 「学生よ、旅に出ろ!現役大学生の世界一周物語」。
アユムもナガリョウも、何度も一緒にトークライブをやった俺の友人だし、今このタイミングで横浜元町で出会えた人生のめぐり合わせを強く感じた。俺の最新刊「ようこそドラマチックジャーニーへ」も読んでくれていた。
大学3年目で1年間休学し4ヵ月弱バイトをしまくり、8か月間の世界一周の旅に出た。プールの監視員、水族館の早朝の清掃など吃音症に支障のない仕事を探した。ところが、ピザのデリバリーをやると、デリバリーのない時間帯は電話対応をしなければならなかった。覚えているのにマニュアル通りに言えない。そこで彼は初めて上司にカミングアウトした。この体験こそが、人生のターニングポイントだと言う。心拓いた状態で世界一周の旅に行けたのだ。
親の説得は大変だったが拓の真っ直ぐな気持ちを理解してくれた。旅のスタートは旅人の聖地と言われるタイ・バンコクのカオサンロード。そこには世界中のバックパッカーから生の情報が集まっていた。
陸路でカンボジア、ラオス、ベトナムを周り、再びタイに戻った。安い航空券を手に入れインド・デリーに入った。物価が安いインドには1ヵ月半の長期滞在をした。その後、ペトラ遺跡を見るためヨルダン、そしてトルコ・イスタンブール、点在する名所、パムッカレやカッパドキアにはバスで移動した。
イスタンブールで今後の人生のテーマが見つかった。世界遺産タージ・マハルのあるインド・アグラのゲストハウスで出会った日本人と再会した。「またね!」を社交辞令にしたくなかったのだ。「再会すること」は彼の人生のテーマとなった。クリスマスイブをイギリス・ロンドンで、クリスマスをフランス・パリで過ごし、ゲストハウスで知り合った仲間とパーティーをした。
ドイツ、スペインとヨーロッパを旅してモロッコ・サハラ砂漠で星空を見るためフェリーでジブラルタル海峡を越えた。タンジェからカサブランカに南下し、サハラ砂漠で旅人のバイブルと呼ばれる「アルケミスト 夢を旅した少年」を読んだ。サハラ砂漠で夜空の星を見上げながらBGMはモロッコ人が集まって奏でるリズミカルな太鼓の音。年明けをスペイン・バルセロナでサッカーファンと盛り上がり、カンボジアで会った人と偶然再会した。スペインから南米ブラジル、チリとサッカーを漫喫。
どうしても行きたかった「天空の鏡」で有名な雨期の南米ボリビアのウユニ塩湖。湖面に反射して映る星に感動した。トルコ・カッパドキアのゲストハウスで一緒だった人と再会し、髪を切ってもらい、ペルーで古代インカ帝国の遺跡、「空中都市」マチュピチュを目指した。アンデス山脈の標高3,400mに位置するクスコの街が彼のお気に入りだ。
リマから北米ロサンゼルスへ飛び、ラスベガス、グランドキャニオンとレンタカーで周った。
日本帰国後、成田空港でカンボジアで出会った人と再会し、実家へ帰らずに海外で出会った人を訪ねる旅をした。1か月後、広島のゲストハウスで出会った韓国人と一緒に、大阪から青春18きっぷで実家のある大船まで戻った。
大学へ復学すると、キャンパスで見る景色が変わって見えた。再び目標を失った自分に、「これではいけない」と、次に目標にしたのは「商業出版」だった。旅日記を見返しながら、講義中に執筆した。吃音のことも書くと、前向きに自分を受け入れられて気が楽になった。紙の本にすることはできなかったが、数年後、Kindle本として出版した。それが、「冒険のはじまり」。
就活して内定ももらったが、「やっぱ就職したくない」。就職を決めずに、今しかできないことをしようと、彼は卒業旅行で旅先で出会った人を誘ってキャンピングカーでアメリカ横断の旅をすることを選んだ。集まったのは、男子4人、女子2人の6人。ロサンゼルスからニューヨークを目指して横断すると時差で1時間ずつ減るので、逆に時間がプラスになるNYからLAまで行くルートにした。日本とはスケールが違うアメリカの広大なRVパークに驚いた。
旅の体験を文字に残したいと出版したり、キャンピングカーでアメリカを旅したり、拓と俺は興味の対象が似ている。
世界一周する中で「ゲストハウスっていい!」と思えた。地元の人が自慢気に楽しく自分の生まれ育った街を案内する姿が印象的だったからだ。だから、鎌倉、横浜の検定を受けて鎌倉のゲストハウスでボランティアスタッフとして働いた。そこへ3か月後に突然、転機が訪れた。ゲストハウスの経営者から「インドでラーメン屋を開店しないか?」と持ち掛けられたのだ。3回断ったが、「重要なのはラーメン屋をやることじゃない。日本に初めてマックが入って来た時のように、文化をつくりに行くんだ!」という落とし文句に決意し南インド・チェンナイに飛んだ。
現地に行くと、壁を積み上げるレンガもなければ厨房器具もなかった。モノはすぐに壊れるし、発注してもモノが届かない。おまけに3日に1回の停電で食材のストックができなかった。日本の常識が通用しないトラブルばかりのインドで、旅することと現地で暮らすことの違いを痛感した。「自分で決めたから続けたい」一心で1年頑張ったが日本に帰国することを決意した。唯一の財産は、インド・チェンナイの日本人会で今の奥さんと出逢ったこと。
還暦過ぎて俺の人生を振り返って思う。「人生は出会いに満ちている。最悪の事態は最高の出会いを生む。しかも絶妙のタイミングで」。
2人が出逢ったのは拓は24歳、奥さんが22歳の頃。ちょうど日本に帰るタイミングが一緒だったこともあって帰国後も良く会っていた。1年くらいは友達として付き合っていたが、いつの間にか心惹かれ合い25歳から付き合い始め3年後、28歳で結婚した。結婚して3年目、今、31歳の拓。2つ年下の奥さんは、アメリカ生まれ。4歳で日本に帰国、高校から再び渡米し、19歳からインドに3年半暮らしていた異色の経歴の人。
奥さんと付き合い始めた25歳から5年間は、北品川の地域交流型のゲストハウスで働いて商店街と海外の人を繋げたり、3Kと思われがちな「ごみ収集」の仕事も意外に幸せだと感じたり、アメリカのモーテルをルーツとする「旅籠屋」で店舗管理部で担当エリアを半分くらい任されたり、グリーン研修から庭師を務めたり、横浜観光自転車タクシーなど様々な職種を経験した中で、人とのご縁に恵まれた。
旅籠屋はモーテルのガーデン管理も不動産事業も手掛けていて「うちに住むか?」と鍵の交換費用だけで同棲生活が始まったという怒涛の展開。人生に無駄なことなど一つもないと感じた。
拓は、「30歳までには、俺はコレで食う」と決めたかった。吃音の負担のかからない仕事をして、ストレスなく幸せに生きることを目指した。家業のラーメン屋さんを活かせる「場」を求め、1年半のラーメン修行を経て、2022年8月、横浜元町に「中華そば さとう」をOPENさせた。
拓の濃い31年の人生とピュアな心が凝縮された一杯。澄んだスープと優しい味の中華そば。海外から帰国したら一番に食べたくなる味だ。今、自分の好きな事を軸に持ちながら、「再会」する空間をもう一つ創りたいと考えている。
真冬にも真夏にも食べたくなる、中華そばの黄金スープをベースにした「ピリ辛そば」を開発してくれると嬉しいな。
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