「島の呉服屋、五代目を継いだ若旦那が地域と未来を創る 数田祐一」
「僕は瀬戸内で暮らそう!」と決断したのは数田さんと出会ったからなんです。そう紹介してくれたのは、俺を「くるまざダイアログ大学」講師として広島県呉市倉橋島に呼んでくれた中村あっちゃん。
※写真提供:「くるまざ大学」合宿に参加したアーミーこと網谷 克敏さん
今年3月、久しぶりに夜行バスで旅に出た。その時、広島県呉市で地域を盛り上げる人とたくさん会った。新たな人との出会いが旅の醍醐味だ。倉橋島で出会った人の中でも、数田さんは印象に残った一人だ。
数田祐一さんは、130年続く呉服屋5代目。平清盛の「日招き伝説」の残る広島県呉市倉橋島音戸生まれの39歳。2歳の子を持つパパでもある。うちの子と同い年だ。あっちゃんが案内してくれたのがCafe&Gallery「天仁庵」。大河ドラマ「平清盛」が放映された2012年にOPENしてから、今年でちょうど10年になる。
Galleryには、品の良い雑貨や洋服が並んでいた。全国から集めたアート作品や衣類は手仕事感があって温かみを感じ、数田さんの生き方までがわかったような気がした。
2018年12月から、通りの向かいの洋菓子とケーキのお店「天仁庵Diminish」も運営している。
彼はシンガーソングライターでもあり、自主制作でアルバムも出している。
「呉服屋」という言葉とお洒落なカフェがアタマの中で結びつかなかったが、voicyラジオを収録して納得した。数田さんの好きな言葉は「セレンディピティ」という。実際、ふとした偶然をきっかけに幸運をつかみ取っているように思う。好奇心から全国を周り、偶然の人との出会いが呉服店にイノベーションをもたらしCafe&Gallery「天仁庵」に生まれ変わったのだ。「幸運は人が運んでくる。そこに気づきを掴み取って時間をかけて丁寧にカタチにしていく」。そんなことが感じられた1回10分、全5回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。
音戸生まれの音戸育ちの数田さんは目立つことが恥ずかしい少年だった。「わしゃー〇〇」と方言で話す地元のおじさんの言葉もわからない。都会に憧れて中学、高校は1時間半かけて広島市まで通い、体が弱かった数田さんは忍耐力をつけた。「田舎を出たい!」一心で東京の大学に通った。東京工科大学メディア学部コンテンツ音楽ゼミの先生が、ボストンのバークリー音楽大学出身だったこともあって、数田さんは1年間ボストン留学をする。海外から日本を、故郷を見る視点ができたことは大きい。おそらく地元の素晴らしさにも気づけたんだと思う。
帰国後、大阪や東京までオーディションを受けたり、アルバムを自主制作したり、大好きな音楽活動と並行して13年間も家業の店長や店長代理として手伝うことになるのは5代目としての宿命。80歳までお店に立っていたお祖母ちゃんが認知症になって母親が商売から介護になったことで、好きな音楽活動より最優先事項は「5代目としての覚悟と責任を持って家業をやる!」に変わった。「受け継いだ立派な古い建物をどうにかして存続させたい!」と家族が一致団結する。
お店の危機を救うため「天仁庵」立ち上げに繋げるパワー、美意識、気品、こだわり、手作りの温かさを感じた。何より家族会議を7年続け「存続させたい!」という家族の想いが伝わってきた。だから思いがカタチとなって、今も昔の面影を残すレトロな集落の中で「天仁庵」は異彩を放っていた。
屋号「天仁庵」に込めた想いも聞けた。「天」も「仁」も「二人」と書く。人は一人では生きていけない。「天」は宇宙の法則に従い、「仁」は人を思いやれる人が集まる場。思いを発信すれば、発信した通りの人が集まる。だから屋号って大事だ。
「天仁庵」の空間には、大学時代、焼き肉屋さんやカフェなど飲食店でアルバイトをした経験が生かされている。音楽同様、料理も作るのが好きな数田さん。創作者としてオシャレや美味しいに敏感な感性のアンテナを持っている。その高いアンテナに受信されると、胸キュンするという。長野県のクラフトアートフェアを皮切りに全国を巡り、自分の感性に合った作家さんの作品を集めたり、「こんな田舎に、こんなお洒落な店ができるんだ!」と驚き、「こういう店を自分たちも創っていきたい!」と心が燃えた。内装もロゴも人とのご縁で精度の高いものがつくられていった。
俺がお店に入ったとき、壁に埋め込まれたガラス玉に目が留まった。作家さんの話では、建築素材としてガラス玉を使ったのは初めてらしい。「海の泡をイメージしたガラス玉」に数田さんの感性の高さ、発想の豊かさを感じた。本質的なものって感覚的なものだと思う。
※写真提供:「くるまざ大学」2期生のアーミーこと網谷 克敏さん
エールフランス航空のファーストクラスにも使っている紅茶が自慢のカフェ「天仁庵」。中庭の池で悠々と泳ぐ錦鯉を眺めながら、珈琲や紅茶、手作りケーキを味わいながら上質な時間を過ごせるだけではない。地産地消の旬の食材で母親の愛情がこもったような手作りのランチを提供している。
俺は思わず「体に優しそう!」と、妻と息子に無添加の「安芸いりこ・かつお・昆布出汁」天仁庵オリジナルパックをお土産に買った。
手作りケーキを出せるようになったのは、数田さんがフランスの菓子づくりを習いに行って地元のケーキ職人と出会ったからだ。まさにセレンディピティ。ビジネスの世界では計画を立ててもその通りになることは少ないが、「ケーキをテイクアウトしたい!」というお客さんの声に応えようと動いていたら、宇宙が味方してくれたかのように、ご縁を引き寄せ、斜め前にある30年営んでいた乾物屋さんが辞めた。そこが、洋菓子とケーキのお店「天仁庵Diminish」になった。こういう出会いの引き寄せってあると思う。
また、数田さんは、「ブラタモリ」ならぬ、「ブラカズタ」も運営しているYouTuberでもある。特技を生かしてテーマソングの作詞作曲を手掛けている。「未来博」がきっかけで始めた、地域の人やお店の魅力を肩ひじ張らずに伝えるYouTube「ブラカズタ」をやることになった経緯を聞いても「セレンディピティ」を感じた。南米ペルー、古代インカ帝国の世界遺産「空中都市」マチュピチュにクスコからインカトレイル(最高標高は富士山より高い4,215m)3泊4日歩いて何度も行っている俺としては「音戸のマチュピチュ」って言葉に吹いてしまった 笑。
かつて「田舎から出たい!」一心だった数田少年が、今、69歳の父親から想いを継ぎ、次世代の2歳の子どもと家族、地域と共に未来を創るストーリー。歴史のある栄えた町も現在人口減少が続く中、素敵な町になるように奮闘している。古き良きものを大切にしながら、新しいことに挑戦している姿は美しい。
風光明媚な「音戸の瀬戸」の「音戸」って、「音の扉」と書くことが、数田さんが音楽活動をしているのも偶然とは思えない。広島県呉市音戸のシンボルとなっている朱赤のアーチ橋、音戸大橋は開通60周年。音戸の瀬戸に昭和36(1961)年12月3日に完成した音戸大橋。昭和36(1961)年12月17日に還暦を迎えた俺。不思議な縁を感じた。「これからも瀬戸内海の島々を繋ぐ渡し船のように、人と人を繋ぐ架け橋のような存在でありたい」そう思った。音戸のような素敵な場所を知ってもらうために、数田さんのように地域で心豊かに生きる人の出版サポートや日本各地の移住体験ツアーみたいなことができたら、いいな。