【眠らない猫と夜の魚】 第12話
「地蔵殺し」①
「……どーすんの、これ」
私と朱音の間に置かれたサラダ皿の中に、小指の爪ぐらいのサイズの小石が入っている。その数、およそ百個。
こんなに集まるなんて予想外だった。さすがの朱音も困り顔だ。予想外なことはそれに加えてもうひとつ。
石をひとつ摘んで手のひらで転がしながら、朱音が訊く。
「水鳥はさっきのアレ、これのせいだと思う?」
「どう考えてもこれのせいでしょ……」
タイミング的にもそうとしか思えない。
これは『願いが叶う石』だ。だからこれだけたくさん集まれば良いことがひとつくらい起きても不思議ではない。理論的には。
でも起きたのは、それとは真逆の出来事だった。
本来なら、今日は怪異蒐集の定例会の日だった。
定例会とは、各々が蒐集した怪異を共有して、分類したり他の怪異との繋がりを類推したりしながら酒を飲む会である。怪異を肴に酒を飲む会と言い換えてもいい。
いつもは亜樹くんも交えて朱音の家であるサイレントヒルでやるんだけど、今日は亜樹くんに急遽コンビニの夜勤が入ってしまい、メンバーは私と朱音だけになった。ちなみに小夜は怪異蒐集用のサーバーの管理とかは手伝ってくれるけど、怖い話が苦手なので基本定例会には参加しない。
いつも通りサイレントヒルでやってもよかったんだけど、朱音がナノとクリオに会いたいと言ったので、開催地が私の家になったのだ。ナノとクリオというのは、うちにいる二匹の猫の名前で、私がこの家に越してきたときには既に家の周辺に住み着いていた野良猫だ。ナノが頭と尻尾に黒が入ったスリムな白猫で、クリオがちょっと太めのキジ白。二匹とも朱音の後ろの床に寝転がって、しっぽをゆらゆら揺らしてリラックス中。
私の家はみたま湾を見下ろす丘に立つ洋風の一軒家で、周囲にはまったく家がない。だからいくら騒いでもどこからも文句が来ない。家に住んでいるのも私と猫だけだ。
高校の時に両親を亡くした私は、紆余曲折あって、両親の故郷であるこの街に越してきた。両親が暮らした家は既になく、両親の遺産でこの家を買った。家は立地と広さから考えると破格の安さだった。
それもそのはず、当時この家は心霊スポットだったのだ。ふざけて訪れる者もいないくらい、ガッチガチの。その後はまあ、詳細は省くとして朱音や小夜も巻き込んで色々あって、今は何も起きなくなった。起きなくなったはずだった。少なくとも今日までは。
「あ、小夜からLINE来た」
朱音がパーカーのポケットから取り出したスマホを見ながら言う。カウンターに置いた私のスマホも震えているから、グループLINEに投げたのだろう。
「なんて?」
「何か起きてないかって。心配してる」
「小夜、察しがいいな」
「なんて返そう。ありのままを伝えたら怖がるかな」
「それくらいおすそ分けしようよ。もとはと言えば小夜が拾ってきた話だし」
「そうしよう」
朱音は力強く頷いて、小夜への返信を打ち始めた。
今日は定例会の前に、小夜に頼まれて小学生に会って、クラスで流行っているおまじないの話を聞いた。そこで受け取る羽目になったのが、この『願いが叶う石』だ。
今回もきっかけは、やっぱり小夜なのだった。
*
「なんか小学生の間で、おまじないグッズ?が流行ってるらしいのね」
カウンターの小夜がプレーンの生ドーナツを頬張りながら言った。
今日は金曜、ドーナツの日。
アボカドでは金曜限定で生ドーナツを売っている。名前はアボカドーナツ。言っとくけど命名は私じゃない。朱音だ。
金曜は朝イチの講義が終わってからすぐ店に入って、昨日作って寝かしておいた生地でドーナツを揚げる。卵とバターをふんだんに使ったブリオッシュ生地で作られたドーナツは口当たりがふわっと柔らかく、この店の常連である老人たちにも大人気。今日もドーナツ目当てに、近所のじいちゃんばあちゃんが集まって、店のあちこちでプチ老人会が開かれている。
小夜もこのドーナツが大好物で、金曜は欠かさずやってくる。いつもは朱音もいるんだけど、今日は友達の友達から怪談を聞くとかで、遅れてやってくることになっていた。
「水鳥ちゃん、プレーンドーナツもうひとつ」
「あたしゃ、いちご」
「わしはプレーンとチョコ」
テーブル席に散らばった老人たちの手がよろよろと挙がる。
「あいよー。あ、小吉さんはもう3個食べたのでリミットです!!」
老人向けのドーナツは、一般向けとは別にややヘルシー仕様かつミニサイズにしてある。それでも老人になるとみんな多かれ少なかれ持病があったりするので、人によっては個数の制限を付けている。この店の客の半分は老人だから、そんな気遣いも大事なわけ。
小吉さんにほうじ茶を、小吉さん以外にはドーナツをデリバリーして、ついでにサーバーに残っていた珈琲を小夜のカップにサービス。
「波流もおかわりいる? フラットホワイトでも作ろっか?」
小夜の隣に並んで座った波流に声をかけると、波流は視線を算数のドリルに向けたまま、「まだ大丈夫」と答えた。
最近、波流は学校に行くようになった。と言っても保健室登校で、教室にはまだ行けていないけど、それでも一年前に比べると格段の進歩だ。登校は週に1日か2日程度で、それ以外の日は自宅かアボカドで勉強をしている。今日は数学教師を目指す小夜からマンツーマンの指導を受けながら、算数の勉強中。ドリルの横に置かれた波流のドーナツは手つかずのままだった。波流はいったん何かをし始めると集中がすごいのである。
「んで、おまじないグッズって?」
カウンターの中に戻って、新しい珈琲をドリップしながら話を戻す。
「そうそう。こないだ常連さんが車の整備に来たんだけど、お子さんが第一小に通ってて、クラスで願いが叶う石ってのが流行ってるんだって」
「願いが叶う石?」
「うん。もうクラスのほとんどの子が持ってて、女子はみんな石をいれる袋とかを百均の素材で作ったりデコったりしてて」
「小学生らしいほっこりトピックだな」
「ここまでならそうなんだけど」
そう言って小夜は珈琲を一口飲んだ。
「なんかね……石を持ってる子が怖い体験して。それがひとりじゃなくて複数で。石が原因じゃないかって噂になって、みんな怖がってるんだって」
「怖い体験って?」
「夜道で赤い目の女の子に追いかけられたんだって」
「赤い目……ねぇ」
またか、と無意識に思った。
みたま市で怪談を蒐集していると幾つかのパターンに出くわすことがある。赤い空とか、喋る猫とか。そのうちのひとつが『赤い目の女の子』だ。
朱音たちとは、「白い着物を着た幽霊」みたいな、パターン化された噂話なんじゃないかって話をしていたんだけど……
「で、お客さんから、小夜ちゃんそういうのに詳しいでしょって言われて」
思わず吹き出した。小夜がさも心外そうに眉をハの字にする。
「思わず、はっ?って言っちゃった。詳しくないですって断ろうとしたけど、でもお子さん怯えてるみたいで、断れなくて。そんで話を聞いてあげる約束しちゃった」
「小夜、相変わらず愛されてんな。怪異に」
「はっ? たまたまよ」
小夜がさらっと答える。自分の怪異吸引体質を自覚していないのだ。
「ってわけでお願い! 明日のお昼に時間取ってあるから、相談乗ってあげてくんないかな」
「私はオッケー。ほっとけないし、朱音もたぶん同じこと言うと思う。来たら聞いてみよう」
なんてことを話していると、ちょうどその朱音が駆け込んできた。
「水鳥! ドーナツまだ残ってる!? あ、波流みっけ。ひさしぶりじゃん、このこの」
朱音が後ろから波流の髪をわしゃわしゃと撫でる。波流は「ふわわわ」とまんざらでもなさそうな声をあげた。
朱音は小夜の隣に腰掛けて、私が取っておいたドーナツにさっそくかぶりついた。小夜がもう一度、石の件を話して聞かせる。
「ふーん。いいよ。面白い話が聞けそうだし、ホントに何か起きてるとしたらほっとけないしね」
「ありがと。恩に着るわ」
小夜が仰々しく手を合わせる。
「ねえ、波流の学校でも同じようなもの流行ったことある? 持ってると運があがるとか、願いが叶うとか、そういうアイテム」
ひと区切り付いたのか、ドリルを閉じて大きく伸びをした波流に、朱音が尋ねた。
「どうだろう……手足に巻くミサンガ?みたいなのは前に流行った。あと、お祭りの出店で売ってるたすき鈴は、一時期みんなかばんに付けてた」
「あー。一昨年ぐらいから急にカラフルな鈴とか売り出したもんな。願いが叶うとかは関係なしに、石についての噂とかは聞いたことない?」
「石……うーん、聞いたことないかなぁ。最近のことはあんまりわからないけど……」
「なるほど。サンキュー」
受け答えを終えた波流が、ホッとした様子でドーナツに手を伸ばす。
以前は学校の話題は極力避けていたけど、最近はあえて構えず、普通に話に出すようにしている。波流の状態もよくなってきたし、いずれ学校に戻るつもりなら意識しすぎないように普段から話題に出したほうがいい、という小夜の主張によるものだ。そのおかげか、最近は波流も学校の話題を出しても、普通に受け答えしてくれるようになった。
「んで、朱音の話はどんなんだった?」
ドーナツを食べ終えた朱音に、おかわりの珈琲を注ぎながら尋ねる。
「えっとね、海岸通りの裏手のスーパーが潰れたとこ、更地になって発掘調査入ってるじゃん。夜にあそこを通ってて、気配を感じて振り返ったら赤い目の女の子が立ってたっていう話だったんだけど」
「赤い目ねえ……ここに来て頻出だな。流行ってんのかね」
とある噂『A』が流行るとする。するとあちこちの他の噂の中に『A』の噂のパターンが紛れ込んでくるようになる。誰かが噂を流すときに、くっつける尾ひれの中に『A』のパターンを混ぜるのだ。そうして爆発的に拡散していく。
でも怪異蒐集をしている限り、『赤い目の女の子』が突出して流行っているような印象はない。赤い目の女の子自体、昔からあるパターンだし。だから同じ日に聞いた話に、たまたま登場しただけなんだろう……たぶん。
「まあ、それだけじゃなくて。他にも空から笑い声が聞こえてきたり、誰もいないのに足音だけがついてきたり。あと夜中にカンカンって何かを叩くような音がしたりとか。いろんな話が最近になって急に出てきたみたい」
「へえ、なんかスポット化してんね」
「気になるから、いっぺん現場見てみよっかなって思って。今日この後、暗くなってからちょっと行ってみる」
「え、待って。なんでわざわざ暗くなってから行くの? バカなの?」
小夜が朱音に呆れ顔を向ける。
「へーきへーき、こっちは三人もいるし」
「亜樹くんも来るの?」
「いや、小夜のつもりで言ったんだけど」
「私行かないからね!?」
ニヤニヤしながら朱音と小夜のやりとりを見守っていると、波流の動きが止まっていることに気づいた。両肘をカウンターについて、手に持ったドーナツをぼーっと見つめている。
「波流?」
声を掛けると波流はぼんやりとこちらを向いた。しかしまだ目の焦点が合っていないようで、視線は何も捉えていない。
数秒たってからようやく私の言葉が届いたのか、急に目に力が戻って周囲を見回すと、手に持ったドーナツに初めて気づいたように顔をほころばせ、ようやく口をつけた。
(第13話に続く)