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【眠らない猫と夜の魚】 第4話

「埋める」④


 薄暗い森。乾いた土の広場。錆びたバス停。
 夜歩きのときに見た場所だ。あの夜、車が止まっていた場所には、今は小夜ちゃんの車が止まっている。森に入ると、広場から少し入ったところに、土を掘り返した跡が見つかった。そして近くの木の陰には、覗き込むように地蔵が立っている。やっぱり、ここに間違いない。
「ここ?」
「……だと思う」
 朱音さんは頷くと、地面にしゃがみこんで掘り返した跡を検分し始めた。すぐ近くに上が平らになった石があって、その上に紙袋のままファミチキが置かれていた。
「これ、お供え物のつもりかな?」
「いよいよサイコパスみが増したわね……」
 小夜ちゃんが嫌なものを見るような目をファミチキに向ける。
「で、これからどうするの?」
「いちおう、怪しい反応も見れたし、こうして掘り返した跡も見つかったし……」
「警察行く?」
「掘り返しちゃダメかな?」
「嫌よ! 何いってんの」
「あ、亜樹が来た」
 広場に亜樹さんのRV車が入ってくる。車から降りた亜樹さんは、なんと片手にシャベルを持っていた。
「え、ちょっと待って。亜樹くん、まさかここ掘る気?」
 小夜ちゃんが信じられないという表情をする。
「さっき朱音に聞いた感じだと、反応が怪しいってだけで殺人とか死体遺棄の証拠って何もないから、通報するにしても、もう少し証拠が必要かなって」
「だとしてもよ? だとしても……えー?」
「まあ、それらしい痕跡が見つかったら警察に任せるよ。それより、水鳥ちゃんは? もしかしてその男の人をまだ尾行中?」
「そう、コメダに入ってそのまま動いてないって」
 朱音さんがスマホを確認しながら答える。
「可能性はかなり低いと思うけど……もし悪い想像が当たってた場合、死体を埋めた本人ってことだよね。人目があるところで何もしないと思うけど、念のため、水鳥ちゃんのところに行ったほうがいいと思う」
「それもそうだ」
「俺はここを掘ってから合流するから、声かけるとしたら、俺が来るまで待って」
「わかった」
 というわけで亜樹さんがここに残り、私と朱音さんは小夜ちゃんの車で水鳥さんのところに向かうことになった。
 去り際、なんとなく違和感を覚えて、足を止めて周囲を見回す。目の前の風景が、さっきまで見ていた風景と微妙に違うような気がした。何かが増えたような……いや、何かがなくなったような……
「波流、どうした?」
「ううん、何か変な気がして……」
 言葉の途中で、違和感の正体に気づく。

 さっきまで木の陰に立っていた地蔵が、どこにもなかった。

     *

 コメダにつくと、水鳥さんが外で待ち構えていた。
「あっ、朱音! やばいやばい、もう出てきそう。あ、出てきた」
 扉が開き、横田さんが出てきた。
「……仕方ない、亜樹が掘り返すまで、時間持たせるか」
「え、朱音。亜樹くん来るまで待つって言ってたじゃん」
 小夜ちゃんが朱音さんのパーカーを引っ張る。
「駐車場で話すだけだから」
 朱音さんは小夜ちゃんの手をポンと叩いて横田さんのところに走っていった。横田さんは朱音さんの姿を見てびっくりしていたが、すぐに怪しむような表情に変わった。
「……まだ僕に用ですか?」
「ごめんね、何度も。地蔵の話、気になってさ。どうして追われてるのかなって」
「だから……それは……こっちが聞きたいですよ」
 やっぱり歯切れが悪い。
「ホントに心当たりない?」
「ホントに、ないですってば」
 朱音さんはしばらく迷っていたが、やがて覚悟を決めるように、横田さんに向き直った。
「……ホントはわかってるんじゃない?」
「……何がですか?」
「地蔵に追われてるのは、死体を埋めたのと関係がある……と私は思うんだけど。地蔵を見るようになったのは、死体を埋めた後から……違う?」
 横田さんの動きが止まる。否定するかと思ったら、横田さんはそのまま、下を向いて黙り込んでしまった。
「そうなんですか……やっぱり、恨まれてるんですかね……」
 やけにあっさりと認めた。小夜ちゃんが目を見開いてスマホを取り出す。
「……警察、呼ぶよ? いいよね?」
「警察沙汰になるんですか?」
「いや、あたりまえでしょ! 何言ってんの!」
「いや、でも、ちゃんと埋めたし……」
 その答えにゾッとする。水鳥さんが言っていた、サイコパスと言う言葉を思い出した。小夜ちゃんは恐怖より怒りが勝ったのか、それとも怒りで恐怖を誤魔化しているのか、横田さんを問い詰めている。
「いや、埋めたからって、そういうわけにはいかないでしょ!? だって、殺して、埋めたんでしょ? 犯罪だからね!?」
「確かに死なせちゃったけど……犯罪になるんでしょうか」
「なるに決まってんでしょ! 人を殺して埋めたのよ!?」
「……いえ、埋めたのは猫ですけど」
「……猫?」

 横田さんの話はこうだった。
 大学入学祝いで買ってもらった車で、旧道を使ってドリフトの練習をしていたとき、操作を誤ってカーブで後輪が流れてしまった。車に何かがぶつかった感触があって、路肩の木に接触したと思って車を降りたら、猫が倒れていた……

「そのまま放っておくのも忍びなくて……近くの森に埋めたんです」
「はあ……そう……ええ……?」
 朱音さんはなんとも言い難い表情をしている。
「じゃあ、あそこには猫が埋まってるわけ? え、でも、ちょっと待って。なんかうまくつながらない。地蔵はどっから来た?」
 混乱している朱音さんの肩を、小夜ちゃんが叩く。
「……ねえ、亜樹くんに電話したほうがよくない? このままじゃ猫の死体と対面しちゃうわよ」
「あ、やばい」
 朱音さんは亜樹さんに電話をかけて、すぐに甲高い声をあげた。
「え? 掘っちゃった?」
 朱音さんの声に、小夜ちゃんが天を仰ぐ。
「もう掘っちゃったって」
「聞こえたわよ! ああ、想像しちゃった……」
「それで? え? 出た? え? なんで?」
 朱音さんは「とりあえず行く」と言って、電話を切った。
「小夜、車出して。私たちも行こう」
「えっ、行くの? 私も? 見なきゃだめ?」
「あと、えーと、横田くんも」
「よくわかんないんですけど……何が起きてるんですか?」
「いや、君が埋めたところね、私の彼氏が掘り返したんだけど」
「なんでそんなことするんです!?」
「掘ったら、地蔵が埋まってたんだって」
「……地蔵?」

 人の思考が覗けたら、きっと全員の頭の上に、大きなクエスチョンマークが見えたかもしれない。
 結局、誰も何も説明できないので、現地に行くことになった。埋めた本人である横田さんは、納得いかないようにさかんに首をひねっていた。

     *

 掘り返された穴の横に、泥だらけの地蔵がちんまりと置かれていた。
 間違いない、私を追ってきた地蔵だ。その代わり、木の陰に立っていたはずの地蔵は見当たらない。もしかしたらあれは、私にしか見えていなかったのだろうか。
「……地蔵じゃん」
 朱音さんが亜樹さんの隣に立って、もっともな感想を言う。
「だから、そう言ったじゃない」
「えっ、なんで? えっ、だって、確かに……ええっ!?」
 横田さんはあの夜を再現するかのように、何かを抱える真似をしたり、埋める真似をしたり、記憶と現実のすり合わせに必死になっている。
「確かに猫だったんですよ! 地蔵なんかじゃなかったんですよ!」
 混乱しきった横田さんの肩を、亜樹さんが落ち着かせるように軽く叩く。
「猫を轢いたのってどの辺?」
「す、すぐ近くのカーブですけど」
「そこに行ってみよう。もしかしたら、何かあるかも」
「あるって何が?」
「まあ、とりあえず」

 亜樹さんに従って移動すると、思いもしなかったものが見つかった。
 地蔵だ。
 赤い前掛けをした小さな地蔵。さっき掘り起こした地蔵と、傍目には同じに見える。その隣には、地蔵が置かれていたらしい石の台座があったが、よく見るとそれは台座ではなく、折れてその場に残った地蔵の根元の部分だった。もとは二つの地蔵が並んで置かれていたようだ。
「たぶん、カーブを曲がりきれなくて後輪が流れて、そのときにテールランプが地蔵のひとつに当たって……それで割れちゃったんじゃないかな」
「えっ、でも……確かに猫……だったはずなのに……」
「まあ、混乱してたから猫に見えちゃったんじゃないかな」
 亜樹さんが横田さんを落ち着かせるように言う。
 亜樹さんの言葉の通りなら、車で壊した地蔵を猫と間違えて森の中に埋めて、それを私が目撃した……というのが、あの夜に起きた出来事のようだ。横田さんはまだ納得していない様子だったが、水鳥さんの「地蔵に化かされたんじゃね?」という言葉にゾッとしたのか、それきり静かになった。
「こんなとこまで後輪流したの? ちょっと突っ込みすぎなんじゃない?」
「あと猫にファミチキ食わせんな。例えお供え物でもだ」
 ドラテクにうるさい小夜ちゃんと愛猫家の水鳥さんからダメ出しを食らって、横田さんはますます静かになってしまった。
 掘り返した地蔵は土の中に埋められていたせいか、だいぶ汚れていたので、いったんサイレントヒルに持ち帰って洗ってから、後日元の場所に戻すことになった。

 次の土曜日、私たちは再び森を訪れて、地蔵を元の場所に戻した。
 水洗いした地蔵は見違えるように綺麗になった。赤い前掛けも、水鳥さんの縫った新しいものに取り替えた。地蔵は綺麗に割れていることもあり、断面に石材用の補修材を塗って、そのまま乗せることにした。
 来なくてもいいから、と亜樹さんは言っていたけど、当日は横田さんもやって来た。ちゃんと見届けておかないと、まだ地蔵が追いかけてきそうで不安なのかもしれない。水鳥さんのアドバイスが効いたのか、今回のお供え物はファミチキじゃなくて、猫用の減塩煮干しだった。

「……地蔵が元のところに戻して欲しくて私のところに来たってこと?」
 地蔵の前に線香を立てながら朱音さんに質問する。
「どうだろう。そう考えると、辻褄が合わなくもないけど。でもわかんないのは、なんで横田くんには猫に見えたのかってこと。亜樹は混乱して見間違えたって言ってたけど……本気でそう思ってる?」
「わからないね。猫地蔵自体、まだわからないことが多いから」
 亜樹さんは朱音さんの質問に、小さく肩をすくめた。

 この街には、至るところに猫地蔵がある。山にも街にも、人の目に付くところにはどこにでも。建物を建て替えるときに地面を掘ったら猫地蔵が出てきたというのも、よくある話だ。誰がどういう目的でこれほどの数の同じような地蔵を作ったのか、未だによくわかっていないらしい。

「まあ、地蔵はもとの場所に戻ったわけだし、これで波流のとこにも来なくなるよね」
「たぶん。そうだと思うけど」
「お礼に宝物とか持ってきてくれたりして」
「笠地蔵みたいに?」
「そうそう。ところであの話の教訓ってなんなんだっけ」

 朱音さんと亜樹さんの会話を聞きながら、地蔵の前に座る。
 二体並んだ猫地蔵は、妙に収まりがよくて、ひとりでいるときよりも、なんだか穏やかで、幸せそうに見えた。

 手を合わせて目を閉じると、木々のざわめきに紛れて、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた……ような気がした。



 森の中で、男が穴を掘っている。

 足元には割れた地蔵。どうやらここに埋めるつもりらしい。
 音を殺して舌打ちをした。そのまま放っておけばいいものを、なんでわざわざ埋めるんだ。埋めるのは、殺すのと同じなのに。

 周囲に視線を巡らすと、男の作業を見守るように、草陰から別の地蔵が覗いていた。片割れが気になって見にきたようだ。反対側の茂みからチラチラと覗いているのは、あの子供だ。
 ということはいずれ、あいつらにも話が伝わるだろう。この街の怪異譚を調べて回っている、酔狂な大学生たちに。
 あいつらなら話を聞いて、必ずこの場所を探そうとする。そしてあいつらだったら、そう時間がかからずにこの場所にたどり着くはずだ。
 なにせ、この街の怪異にはやたら鼻が利くやつらだから。

 地蔵は根本近くから割れている。死んではいないが、力はだいぶ弱まっていそうだ。回復にはそれなりの時間がかかるだろう。そのせいで、魚が湧くかもしれない。
 でもまあ、放置しておいても大きな影響はない。ここは森の中で、こんな場所に足を踏み入れるやつは、少なくともこの街には滅多にいない。それよりも気にしなければならない場所は、他にもある。

 男に気づかれないように、足音を殺して、そっとその場を離れる。
 視線を感じて空を仰ぐと、高く切り取られた夜空から、覗き込むような満月が見えた。

(第5話に続く)


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