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怪異蒐集 『母のメモ帳』

■話者:Sさん、看護師、20代
■記述者:黒崎朱音

 Sさんの母は物忘れが多い人で、いつもメモ帳にメモをしていた。だから母の姿は、メモ帳とセットで憶えている。

 Sさんの家は母子家庭で、母はパートを掛け持ちしながらSさんを育ててくれた。早く母に楽をさせてあげようと、Sさんが看護師として働き始めた矢先、母が倒れた。進行性の癌で、わかったときには手遅れだった。ずいぶん前から痛かったはずだが、我慢していたらしい。
 入院して1ヶ月と経たないうちに、母は息を引き取った。それから葬儀やら何やらでバタバタして、母の荷物を整理しようと思い立ったのは、半年が経ってからだった。

 母の残した少ない荷物の中に、メモ帳の束があった。中には、「野菜はどこのスーパーが安い」「あそこの犬は急に吠えるから、家の前を通るときは注意」みたいなことがびっしりと書かれていた。こんなこと書いてたんだ。Sさんはメモ帳を読みながら、母を思い出して涙した。
 その中にふと、おかしなメモを見つけた。
 未来の日付に続いて、「後ろのバスに乗る」と書いてある。気になったが、Sさんはすぐにメモのことを忘れた。仕事が忙しかったからだ。
 看護師の現場は過酷で、命を預かる責任は重かった。その重圧から、Sさんは看護師を続ける自信を無くしかけていた。

 その日、Sさんは病院に向かうバスを待っていた。
 道が混んでいたのか、バスは二台並んでやってきた。それを見て、今日が母のメモにあった日付であることを思い出した。Sさんはなんとなく、母のメモの通り、後ろのバスを選んだ。
 しばらく進んだあと、けたたましい音とともに視界が回転した。トラックに横から突っ込まれて横転したのだと、後になって聞いた。
 不思議と自分の体にはまったく怪我がなかった。周囲を見回すと、たくさんの人が折り重なるように倒れていた。流血している人や、意識のない人もいた。

 それを見て、考えるより先に体が動いた。
 怪我人の状態を確認し、応急処置を施して、やってきた救急隊に引き継いだ。最後の怪我人を見送ってから自分の手を見ると、怪我人の血で赤くなった指先が細かく震えていた。
 怖かった。
 でもこの場にいてよかったと思った。
 看護師になってよかったと思った。
 Sさんの行為は何人かの命を救い、Sさんは看護師を続けることを決めた。母が導いてくれたのだと思った。

 先日、Sさんは残されていた最後のメモ帳を読んだ。最後のページには、「Sはだいじょうぶ」と、ひとこと書かれていたという。


■メモ
七めぐりに続いて泣ける話が続きますね(水鳥)
・本文には抜き出して書いたけど、他にもメモの内容をたくさん教えてくれた。お母さんの人となりが出ててぐっと来た(朱音)
・例えばどんな?(水鳥)
・「お寺のあじさいが見頃だから娘と見に行く」とか「馬の耳に念仏はなんで馬なのか調べる」とか(朱音)
・苦労はあっても豊かな人生だったのが想像できるね(亜樹)
・今回の話は危機回避ってわけじゃないけど、亡くした肉親に言葉に従って危機を回避する話はよく聞く(水鳥)
・夢に死んだ親が出てきてその言葉に従って〜とか。そういうパターンも含めるとけっこう多そう(朱音)
・肉親でなく謎の人物にもたらされるパターンも多いね。有名なとこだと老婆に引き止められて電車に乗れなくて、列車事故を回避した話とか(亜樹)
・Sさんの話は、言葉に従ったことによる経験が後の人生に影響を与えてるところがよい(朱音)
・そうだね。告げられた言葉をどう解釈するかは受け取る側の問題だから、そういう展開も含めて親子の絆を感じた(亜樹)
・娘の物語だけではなく、母娘の物語であると(水鳥)
・怪談は好きだけど、怪異の内容だけじゃなくて、体験者が怪異を通してどう動いたか、どう変化したかってところにやっぱり惹かれる(朱音)
・わかる。怪異って主観的なものだから、その人の人となりというか人生観的なものが深く関わってくると思うし(水鳥)
・怪異蒐集を始めたとき、ゼミの飲み会で大神先輩が「ちゃんと取材しなよー?」って言ってたじゃない(朱音)
・言ってた言ってた。飛露喜飲みながら(水鳥)
・あれ、最初は「足で探せ」みたいなことを言われたんだと思ったけど、それだけじゃなくて、話を聞く中でさっき出たみたいな「人となり」とか「人生観」みたいなものをちゃんと掘り下げなよ、って意味なのかもって最近は思ってる(朱音)
・そうだね。そこをおろそかにして怪異の話だけ聞いても、その人が体験した怪異とズレてくる気もする。水鳥ちゃんが言ったように、怪異って主観的なものだから(亜樹)
・「怖い話」ばっかり追いかけてると忘れそうになるけど、やっぱり聞きたいのは主観的な部分もひっくるめた「体験」だから、話を聞く姿勢は忘れないようにしたい(朱音)
・怪談の主体は怪異じゃなくて人だからね(亜樹)
・つまり怪を語るということは人生を語るということなんですね!!(水鳥)
・水鳥がまとめたところで大神先輩誘って飲みに行かない? 会いたくなっちゃった(朱音)
・イヤッフー!!(水鳥)


 怪異を蒐集&コメントを書いている大学生たちが主役の夜話、
「眠らない猫と夜の魚」もお読みいただけると喜びます!

 

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