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なんでも与えてしまう親、自立できない子供

子供の頃から何でも与えられた。それが本当に私が望んでいたものかは分からないし、もしかしたら違ったのかもしれない。こう言ってしまうのは悪いと思うけど、ただただ与えたいだけの人だった。

私の感情を本当に汲むことはなくて。
というか誰の感情にもそんなには興味がなくて。今は少し距離を置いてくれるようになったけど、そんな幼少期だった。

どんなに与えられても、綺麗好きだったので汚部屋になることはなかったし、今もそう。

だけど夢ができて、やっと気づいた。本当にモノが多すぎる。新しい宝物はあるんだけど、古い宝物が少し重い。どんどん幅をとって部屋が占領されていく。

とにかくあと半年ぐらいで片付けなくてはと思って、今断捨離中。残念ながら手放せないモノもあるので、ミニマリストにはなれないけど。まぁ私の人生の中では今が一番ミニマリストかな。

それで母から聞いてるだけなんだけど、それに対して父が不満を言ってるらしい。自分が与えたモノを売ってしまうのが気に食わないと。

思考がジャイアン?

ちなみに最近売っているものは自分で買ったものも多い...と思っているんだけど。まぁこの家に住んでるとどうやっても与えてやってるって感じなのかな。

多趣味な人間だったので、もう飽きてしまったジャンルがたくさんある。リユース出来る時代だし、むしろそういうツールを使って新しいもの買ったり、自分の将来のために貯めたり。

そういうふうに考えられるのって、大人になったということだと思うんだけど。

昔は与えられて嬉しかった。
それがだんだん苦痛になってきて。

私、与えられるだけの人間なのかなー。このままここにいて、金銭的には幸せだろうけど、30,40歳になった時にどうなってるかなぁって。

その間に仕事はするだろうけど、私全く結婚願望がなくて、昔から子供も嫌いで。

そうなるとここでずっと暮らすか、どっかで飛び出すように家を出るか。

そうやって考えた時にどう考えても前者はないなと思った。

なんでも与えられて、何不自由なく、あったかいご飯とあったかい布団で寝られて、自分の部屋があって。ここだけ見れば幸せだろうと思う。

だけど飛び出すくらいにしか選択肢がないこと、それは少し異常ではないだろうか。

大切に何不自由なく。
自立はさせず、永久に自分達の元にいるように。
ここに生まれたからには一生大人になることはなく、あの人たちの永遠の"子供"

矛盾しているけど、今のところたいして生活も変えていないし、与えられてもいる。でもこの家の子供として、それが一番の親孝行だと思っている。

半年後、1年後、私は。

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