それ、最後まで作れますか - [note生活|営業□報]
■トピックス
*「無名のアマチュアでもnoteで副収入を得られますか?」という質問への回答です。
《「必ず最後まで作れるか」時間を惜しまず確かめる》
・壁は集客力よりも制作ペース(2015/2/18)
《作らないなら諦める》(2015/5/27)
・お変わりありませんか?(2016/5/31)
■このシリーズの概要
もともとは「他人が努力して蓄えた情報を無料で聞くわけには!」「質問に答えさせて時間を取るなら対価を払いたい!」という誠実な主義を持つ同業者の友人たちに頼まれて始めたレポートです。「お金を払わず教わってしまったら、自分も誰かに無償で利用されることを拒めなくなるので」とのこと。ありがたいです。
運営する中で気付いたことのメモ。
走り書きのメモなので要点は極力こぼさないようにしているけれど推敲や語尾の調整などしていません。ぶっきらぼうなところや雑な書き留めの箇所もあるけど、私は『ハウツー・noteビジネス』のライターではないので、業務日誌だと思って寛大に許して…。
■以下、リアルタイムのメモ
「まったくの無名なんだけど、俺でもnoteで稼げるようになりますか?」的な相談を受けることがある。だいたいそういう時、ネックとして無名(=集客力がない)ことを自覚してくる人が多いけれど、むしろ最初のネックはそこじゃないと思う。
「作品を完結させる最低限の筆力はある」と断言できる人は問題ないかもしれないけど、「あまり完結まで持って行けた企画がない」という場合は多分、無名とかより超強大な相手が先にいる…。
“それを必ず最後まで作れるのか”だけは時間を惜しまず確かめる。
プロは、作れる。
プロは基本的に、作れる環境と作れる心身の健康さえあれば、作り始めたものを最後まで作れる。仮に致命的なエラーを発見したとしても、力技でどうにかする程度の技術は備わっている。
読者の好みによって「良作」だの「駄作」だのなんのと判決を受けてきただろうが、そうした評価とは別レイヤーで、当然だが、それを納品して生きてきたのであって。
プロは自分が「どの程度の質のものを」、「どの程度の期間で」、「どのくらいのコストで」、「どのくらいの量」、作り出せるかを把握しているし、ファンやファンと近似するコミュニティに対して商品として売って差し支えない及第点を上回ったものを必ず作れる。
及第点というのは、「あとは好みで判断されればいいだけ」という状態だ(と私は思う)。
原稿が揃っており、言語が通じており、文面は落ち着いてよく読めば99.999....%誰からも正しく読める(※作中の情景や主張に対する深い共感や精密な理解ではなく文面の読解)される精度になっているとか、読後にあらすじと結末に起きた現象を言語化して説明可能で、キャラクターの外見的特徴と内面的特徴を(クラスメイトのことを誰かに紹介する程度には)紹介することができる、みたいな。…ここまでの条件が揃っていれば、あとはもう、読み手が「つまらない」「おもしろい」「好き」「嫌い」「共感できる」「理解できない」など、作品との相性を判断できる。
相性のみで考えていいライン。
これが私の思う及第点だ。
この及第点を最低限の線にできるのが、人気だろうと不人気だろうと、とにかくプロとしてやってきた人たちであり、プロのスタート地点は「及第点で作った床の上」に立っている状態。プロの平均的な能力は「及第点で作った床よりやや高い場所にある」と言っていいはずだ。
この及第点に辿り着くものを制作できるかどうかを、アマチュアは必ず確かめる必要がある。たとえプロ級の腕前の文章力や画力があったとしても、キャリアがアマチュア級の場合は、確かめたほうが絶対安全。
なにも150ページの漫画(※薄めの単行本ぐらいのページ数)や15万字(※薄めの文庫本ぐらいの文字量)の小説を完成原稿にして試すことはないが、漫画であれば4コマ漫画を5本描いてみるとか、12ページくらいのショートコミックを描いてみるとか、テキストであれば5,000字や1万字くらいで1本書いてみるとか、とにかく何がどのくらいの期間とどのくらいの労力で作れるのかを把握したほうがいい。
そしてその上で、それが、ちゃんと第三者にも読解できるのか。必ずそれだけは試すべき。
試してみて、作れたらまず最初にそれを売ればいい。これを聞いて「試しに作ってみるのは面倒くさい」「とにかく初めてみよう」———と、原稿も用意せずに予約を募ろうと考えるタイプの人は、相当危ない。
連載をナメるな。環境と健康が整っていれば確実に作れるプロでさえ、体調を崩したり精神的な健康を失ったり環境が危ういと仕上げるのが難しくなってしまうのだから、全部揃っていても作り始められない人は、もう少し危機感を持ったほうがいい。自信を削ぎ取ろうとしているわけではない。プロでさえ、1週間風邪をひいたら、利き手をくじいてしまったら、腰痛で椅子に座れなくなったら、簡単にスケジュールは崩れてしまう。
だから、安全な道に誘導したい。自分が可愛ければ、少しでも楽をしたければ、本番前の練習をみっちり自分にさせてやるのが何よりの自愛になると思う。
これを試さずに始めるというのは、一度も走ったことのない知らない街でタクシー会社を開業するようなものだというのに、なぜか、この類の出版に必要な技能である書き物や作画や写真撮影となると「書くぐらいならできそう」「描くぐらいならできそう」「撮るぐらいならできそう」と思ってしまう人がいる。
できる人はこれから始めないのだ。もうとっくに書いているし、描いているし、撮っている。
なぜなら、それらを用いて生活したほうが便利で楽しいということを知っているから。
楽しく、便利であるのに、日常的にそれをしていない人(それも、連載をやってみようと思うほど関心があるというのに!)という人は、パッとできないのだ。だから今、日常的にこれらをこなしていない人は、確認したほうがいい。何が作れるのか。
確認が済む頃に、無理のない連載計画が立つ。
アマチュアが個人連載で稼ぐ時、最初の壁は集客力よりも制作ペース
「どうして?人を集めるほうが大事じゃない?」と思う人もいるだろうが、そんなことはない。「1000人も居れば、1人が500円の記事を買ってくれたとして50万じゃん!」と皮算用をして喜ぶのも明るくて良い性格だとは思うが、「1000人に500円の中途半端な記事を売りつけてしまったら1000の悪評が立つかもしれない」と恐れる感覚は持っていたほうがいい。
そもそも中途半端じゃなかったとしても「合わなかった」「面白くなかった」「思っていたものと違った」という理由でも厳しい批評に晒されることはある。
多くの人に品質保証のないものをばらまくというのは、それだけ多くの人に見限られる可能性を作るということだ。一か八かの商品の買い手を1000人集めてくるよりも、信頼してくれる好意的な読者(口コミで宣伝に協力してくれるほど信頼してくれる読者)を5人10人から増やすほうが、長い目で見た時に安全だ。
商業誌時代も現在も時折仕事のペースを乱してしまう私の説得力はたかがしれているのだが、ペースを乱した際に自分に対する信頼が失われていく様を肌で感じて知っているので、言っておきたい。
連載と呼ぶほど継続してコンテンツを作るのは大変だ。
大変でないのなら、連載に興味のある人は誰でもとっくにやっている。
「定期的にネタを出して原稿までまとめる」という連載の売り手に不可欠な基礎体力がつく前の人が、たとえ小規模でも誰かからお金をもらって連載をするのであれば、「更新日+分量」の両方を決めてしまわないほうがいい。
漫画を描くとして例え話をしよう。
毎回20ページの漫画を毎月1回連載しようと決める。プロの週刊誌作家は週に20ページ描くのだから、アマチュアの自分は1ヶ月に20ページくらい描けるだろう、と思って描き始める。
こうして1日でプロットを仕上げ、4日でネームを仕上げ、1日1ページずつ原稿を描いて20日間、無事に合計25日で描けた!自分が1ヶ月に描ける漫画の分量は20ページだ!
————そう思う人もいるかもしれない。
ところが、その漫画の1話目は森から始まるのだ。ひと気のない森を進む。周りを見回せば木ばかり。深い森を突き進む勇者は途中、洞窟を見つける。暗い洞窟だ。人が住んでいる気配はない。こうして冒険地帯を歩き続けた主人公は、1話目のラストでやっと森の洞窟を抜ける。
「あ、あれはー!」
———2話目の冒頭で、主人公は城下町にたどり着く。1話目は森と洞窟だけ描けば良かったが、2話目は城下町である。城下町には人が居る。数多の通行人を描かねばなるまい。城があるのだから街の何かしらも豪奢であろう。そもそも城下町なのだから背景に城を描かねばならないし、街には家もたくさん並んでいる。森と洞窟しか出てこない原稿に20日かかるのでは、城下町を20日で描き上げることはまず無理だ。
同じ20ページでも、違う20ページなのだ。文章でももちろんそうだ。自分の身に起きたことを書く1万字と、調べ物をしながら文章を構成するのとでは同じ1万字は、作業時間がまったく違う。10万字より時間のかかる5万字や、30ページより時間のかかる10ページというのは必ず存在する。
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