イェダラスカレイツァ_201907

ひとふで小説|6-イェダラスカレイツァ:バルヴァリデ[VI]


前章:[I]〜[収録マガジン]


VI

 ふと、サラは改まって礼を述べていないことを思い出し、ヴァンダレに深々と頭を下げ、村長に褒賞を出すよう進言したことを報告した。背後の炎が自分の影をヴァンダレに落としてしまい表情はよく見えなかったが、ヴァンダレは気さくな語り口で謙遜した。
「勝てたから、お礼を言って頂ける立場にあるだけです。負けていたら、皆さんを危ない目に遭わせてしまうところでした。礼には及びませんよ。剣を持つ者がやらねば誰がやるのです、当然のことをしたまでですから…。あなただって、誰よりも前に出て弓を引いていたではありませんか」
 サラは透かさず、
「何言うんだい、勝って、無事に助けてくれたことに礼を言ってるんじゃない、赤の他人のために命を賭してくれたことに頭が上がらないんだよ。私が弓を引いたのは、娘の可愛がった子たちと、家族の暮らす村を守るためさ。私のほうは当然のことをしたまでだけど、旅の人にとっちゃ、当然じゃないだろう?」
 と、念を押し、もう一度きちんと礼をしようと地べたに膝をついた。
 櫓の火が燃え盛る。
 人魔と戦った時には不安と集中で興奮した状態だったし、ヴァンダレが討伐してくれた後は、シオのために剣を取りに家まで走ったり、村人たちに薪の礼を言って回ったり、自らも差し入れる酒や食事を支度したり、差し入れを出すと言う者の供として暗い村の道を何往復もしたりと、目の回る時間を過ごしていた。思えば村の恩人の顔をろくに拝んでいない。膝をついたことで、座っているヴァンダレに近付いたサラは、まじまじと顔を見た。
 見つめたまま、一瞬、固まったように、喫驚した。
「あんた…、ナン………」
「……!…」
「あ、あんた、…なん…の義理もない村を、救うために命を掛けるなんて、簡単にできることじゃないだろう?…本当に感謝しているのさ。宿屋の旦那から聞いたけど、私の弟と弟婿に防具を作ってもらいに来たんだってね。わざわざ来てもらったのに、何もしてやれなくて申し訳ないよ。用の無い村になっちまっただろうけど、よかったらゆっくりしてっとくれ。ターレデの家に居るなら、ちょうど良かった、明日にでもシオに良い肉を届けさせるからね」
「…こ、これは、防具職人様の姉君でしたか。忝ない、お言葉に甘えて、暫くこの村でお世話になるつもりです」
 サラはヴァンダレに重ね重ね深々と礼をすると、ターレデにシオをよろしく頼んで、家へと戻っていった。

 ここまでずっと張り詰めていたシオも、明け方が近くにつれてうつらうつらと目を閉じるようになってきた。少し眠るように勧めても暫くは拒んでいたが、ターレデが胡座をかいた上に外套を広げて誘うと、いよいよ耐えきれなくなったのか、ターレデが組んだ足に肩から頭をすっぽりと預けて、丸まった。上から抱くようにして外套の余りを掛けてやるとあっという間に寝息を立てて、寝静まった。
 頭を撫でてやると、額と髪の生え際がじっとりと汗ばんでいて、小さな体に詰め込んだ強引な疲労が伺える。

 ふと、ヴァンダレが口を開いた。
「ターレデ様、私の剣門は…」
 言い掛けたヴァンダレは、少しのあいだ黙って、
「いずれ、シオさんが私の稽古に耐えた時、私がどの剣門で剣を習ったのか、お伝えしましょう」
 と、続けた。もともと少し低い声を、更に低く抑えて。恐らくシオを起こさないようにと気をつけているのだろう。
 ターレデは首を横に振ってから、静かに答えた。
「ヴァンダレ様が、どうしても打ち明けたい、というお気持ちにならない時は、今ご自身で仰った時が訪れても、私たちに何かを語る必要などありませんわ。…私が尋ねたことで気を揉ませたと思うと申し訳ないけれど…改めさせてくださいな。私たちは少し前に会ったばかり。ここから先のことだけが私たちのすべて、で良いはずだと思い直しました。だからヴァンダレ様、気掛かりがおありなら、何も気になさらないで」
 ヴァンダレは、
「…実に、こまやかな人だ…」
 と言い、俯いて微笑んだ。
 それから、一度あくびを噛み殺して、ぎゅっと鼻に皺を寄せ、目蓋を絞るみたいに目を瞑り、呼吸を止めた。数拍ののち、息を吐き出しながら、目を勢いよく開けた。
「ヴァンダレ様、旅の疲れもあって、眠いでしょう。私が起きていますから、どうぞお休みになって」
「ありがとう、ターレデ様。でも、私はさっき、シオさんに剣の稽古をつけると言ってしまいましたから…。師匠となる人間が涎でも流して眠りこけている姿を見るのは、些か気の毒ではありませんか?私だったら、師というものは、なんと言うか、これが私の師だ!…と、胸を張れる人が好ましいと、思うのです。……あぁ」
 殺し損ねたあくびがもう一つ、ヴァンダレの口から間抜けな音と共に漏れたのを聞くと、ターレデは優しい顔で苦笑した。
「ふん、可愛らしい意地を張らないで、素直にお休みくださいな」
 ヴァンダレは目を閉じて首を小さく横に振ると、今度は首を後ろにかくんと反らして、目蓋は瞑ったまま、首筋を伸ばすように空を仰いだ。そうして、首や肩や背に力を込めて動かして、体をこっそりとほぐしている。
「…嫌ですよ、私は、久し振りに屋根のある場所に辿り着いたのですから、暖かい湯をとって、ゆっくり眠りたいという夢を叶えるのです。今寝付いたら草木や泥より深く眠ってしまうでしょう。だからここで意識を失うものかと、心に決めているんです。この弔いを終えたら、ターレデ様に、村を救った褒美をくれと我が儘を言って石を焼いて頂き、もう一度湯浴みしてから、寝台で寝かせて頂くつもりなんです。その喜びを大きくするために、私は今宵、決して土の上や空の下では眠りません」
 ターレデはヴァンダレに調子を合わせて、まったく、と言って微笑んだが、仕方ないことを喋りながらも、弔いの炎に薪を焼べては、シオの相棒たちの躯を絶えず見守り続ける姿に、ヴァンダレの実直な人柄を感じていた。
「ヴァンダレ様がたとえ間の抜けた寝姿で居ても、この子も私も、あなたを蔑むことはありません。山じゅうの石を焼いて、湯場に運び続けたって足りないくらいのご恩ですわ。生涯に渡って村の恩人を誇りに思うでしょう」
「生涯誇られるなら尚更、なるべく調子の整った姿勢だけ憶えていてもらいたいものですね」
 立ち上がったヴァンダレは、数の減った薪を並べ直しながら言った。

「ところで、ターレデ様は、“剣門”というものや、剣の道について、どれくらいのことをご存知ですか?お父様のお仕事についておられたから、ほとんどのことをご存知なのでしょうか」
「どうでしょうねえ、知らないことが多いと、どれくらいのことを知っているかを知る術はありませんわ。でも、ほとんど何も知らないように思います。ただ、多くのお客様が、とても得意げに、聞きなれぬ何かの名を名乗り、それを“剣門”と呼び、それから…何と言ったかしら…“大剣者”…という言葉は、剣の世界にあります?」
「ええ、ありますね。剣の腕前どおりに決まる大剣者もあれば、一子相伝の大剣者もありますが、とにかく“大剣者”というのは、その剣門で最も力を…権力か実力のいずれか、もしくは両方を持った人間のことです」
「そう。じゃあ、うちにいらしたお客様の多くは、自分は“大剣者”様の側近だ、とか、何番目の弟子だ、とか、そういうことを、きっと、自分がどれほど大剣者様に近い人間かを、他の剣士が居るときは競うようにして、父しか居ないときは誇らしげに、語らっていましたわ。…私が剣門というものについて知っていることは、その程度です」

 薪をくべ終えて葦茣蓙に戻ったヴァンダレは、腰をおろしながら、なるほど、と頷いた。
「よくわかります。多くの剣士は、自分が登った剣門が世に言う名門であればあるほど、或いは、何らかの理由で難関であるほど、誇らしげに振る舞うものです。自分は選ばれし者なのだ、と。そして大剣者に近いほど、自分は優れた者である、と、誇示せずには居られない者が多いのです。…ただ剣よりも口ばかり達者になる。…お恥ずかしい話ですが、我が剣門に登った者もターレデ様が知る剣士たちとほとんど同じ。特に、我が剣門には他門には無い、つまらぬ掟がありましたから…」
「掟?」
「ええ。まず、多額の寄付をしなければ登ることが出来ないのです。正しくは、剣門に登るための寄付は不要なのですが、剣門に入る前に、…なんと表せばよいのでしょう。騎士道の学び舎とでも言いましょうか…。ターレデ様は“騎士宮”と呼ばれるところをご存知ですか?」
「いいえ、存じませんわ」
 ヴァンダレは剣の柄を人差し指でこつこつと打ちながら、考え事をするような上目遣いをしていた。悩みの大方は“騎士宮”に関する説明をどうしたら分かりやすくできるか、といったところだったが、ヴァンダレに言葉を選ばせた、もっと根源的な理由は、出自を遡ったところにある。

 ヴァンダレは、ゆっくり、噛み砕くように説明を始めた。
「騎士…という言葉には国や地域ごとに異なる解釈がありますが、国に仕え、剣や槍や弓矢…盾、大砲、馬などを扱える役人のようなものと思ってもらえばいいかもしれません。私の故郷の騎士宮では、概ね七歳頃から六年間。…一人前の騎士と認められるには更に年月を要しますが、六年頑張れば“騎士という身分”を得られます。城下町の大門から王宮まで配備されるのは城勤めと呼ばれ、国境にある関所に送られた騎士は、境勤めや外勤めなどと呼ばれていましたね。その他にも同盟国に送られる者もあれば、大きな街に勤める者もありました。これらは皆、“騎士”です。城下の近くばかり手厚い庇護があり、同じ領土でも僻地や山間の村などには派兵が無いので、申し訳なく思いますが…」
 そこまで説明すると、ヴァンダレはどこか他人事ではないように顔を顰めて、済まなそうに俯いて目を伏せた。
「魔族の襲来に備えて、本来、あらゆる集落に数名は置くべきなのです。戦時下ではあるまいし、どうせ城勤めの騎士が余っているのだから…!」
 ターレデには詳しい事情が分からない。しかし、きっと高貴な身分であろうヴァンダレは、たとえばそうした政に関わる者へ、何らかの進言を行える家の娘なのではないかと思った。
 ヴァンダレは少し苛立ったような溜息を吐きながら、ターレデが持参した手製の菓子を口に放り込んだ。途端に顔が緩んで、とても美味しい、と律儀に述べてから黄麦酒を伴わせて嚥下すると、再び真剣な顔に戻った。
「広い世界の中では剣を振るえる時点で“剣士”と呼ぶこともできますが、祖国の決まりごとでは騎士宮を出て剣術を学んでも“剣士”は名乗れませんでした。よく混同される物事ですが、騎士道というのは剣ばかりの道ではありません。それなりの剣術を習い、それなりの弓術を習い、それなりの馬術を習い、そのほかに旅や護身に必要な知識を身につけ、城での立ち居振る舞いから礼節、歴史、地理、愛城の精神・領主への忠誠心・領民への博愛を下地とした正道を学ぶこと…などが“騎士”に求められる騎士道。…一方、剣士が極めるのは剣のみ。その剣が何のための剣であるかは、まったく問われません。城や領土を守るためではなく、もっと広い意味で振るう剣の道を征くことができます。もちろん悪の道に剣を使う者も居るでしょうが…。私が思い描く剣の正しさはたとえば、敵対国の村を魔族から守るのは、正しき剣の道だと思います。今のように平和な時代にはそれほど構われませんが、国交が悪化したら、国に仕える騎士は、敵国の民のためだけに剣を抜くことができませんからね。騎士と剣士、重なる部分こそありますが、本来は別の役割を負っています。それに、剣士は生きる場所や仕える相手を選べますから、騎士より遥かに、自由なのですよ…。本来は」

 ここまで聞いたターレデは、どうにかシオを騎士宮に入れてやる算段はつかないか、家計のすべてを頭の中で整理し始めた。蓄えはあるが、あると言っても所詮は山の上の防具屋の娘。果たして、ヴァンダレほどの人物が「多額」と呼ぶほどの寄付が、できるのだろうか。
 ターレデが難しい顔をしていると、ヴァンダレが心配そうに覗き込む。
「…ターレデ様、…あの、飽きては…いませんか?…他の話をいたしましょうか」
「ああ、いいえ、知らないことばかりで、とても興味深いですわ。ただ、ヴァンダレ様、先程、多額の寄付をしなければ入門が叶わないと仰いましたが…。…その…、どれほどのお金が…必要でしょうか…?それから、シオはもう十二歳で…七歳頃から六年間というのに間に合わないのです…」
 心配そうにターレデが問うと、ヴァンダレは、今度はターレデが夜竹筒に詰めてきた井戸水で喉を潤してから、品よく笑った。
「よく澄んで美味しい水ですね。旅の途中では雨水を飲むことも多いので…」
 それから、大振りな仕草で、汚れた袖口を気にも留めず口を拭った。その仕草を眺めながら、ターレデは、本当は、ヴァンダレは、こんな粗野な仕草をする人生の中に居なかっただろう、と考えを巡らせている。
「話す順番が悪かったですね。これはただ、祖国の愚かな仕来たりの話ですから、気になさらないでください。…私は、剣の道は、誰のためにあってもよいと思うのです。歳だって、振れる重さの剣と、いたずらに振るって見境なく傷つけてしまわない知力があるならば、いくつでも構いません。この山奥なら、つまらぬ掟で正しき願いを葬る愚か者も現れないでしょう」
 ターレデの顔に安堵の色が浮かんだ。
「シオさんから、お金を頂くつもりもありません。それに、私はターレデ様に宿賃を負けてもらっています。これは、お金を頂いているのと変わりませんよ」
 高貴な人の前で金銭の心配を口にした照れ臭さに耐えかねつつあったが、ヴァンダレが貧富や身分で相手を選り分けない人物であろうことを信頼していたので、恥を押し殺して、ターレデはただ、感謝だけを述べた。


つづく

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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
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(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)