恋外201903

ひとふで小説|レンガイケッコン(3)

これまでのお話:(1)(2)

(3)

 昨晩、翌日の打ち合わせに備えて早寝するつもりだった蓮本のスマートフォンが、寝る支度を始めた頃に通知を鳴らしたので、仕事の用件か、一度「おやすみ」のメッセージを交わして寝たはずの彼が起きたのかと思って開いたら、電子書店のアプリが放った「読書ポイントの有効期限があと半日で切れます」というアラートだった。
 ポイントなんかすっかり忘れていたくらいだから知らぬ間に失効していればどうでもよかったのに、「消えて無くなります」と知らされれば、なんだかんだ苦になってしまう。ベッドに入った蓮本は仕方なく何か読むことにした。
 どうせなら小説を読みたかったが、文字だけで構成された作品を読破するのは時間的に難しい。有効期限内にポイントを使い切れるのはザッと読めそうな漫画しかないし、明日はいつもより早く起きる必要があるから、何を読むか吟味する時間ももったいない。適当にリンクを踏んだ先で見つけた漫画は名も知らない漫画家の描いた新刊で、〈レズビアンの主人公が同時進行で百人の美女と付き合っていると隕石が落ちてきて地球の危機に————!?〉という、何度文章を整理してみても至極ワケの分からないものだったが、とにかくポイントだけ消化できればどうでもいい。
 こんな漫画を読むことは目的ではない。ただ、せっかく貯まったポイントがデジタルの虚空に吸い込まれてしまう悔しい体験をしたくない。それを防ぐための手段でしかない。いい加減なものを描く漫画家にロイヤリティーが振り込まれるかと思うと引っ掛かりは感じたが、それでも優先すべきは手元のポイントを使い切ったという事実だった。
 物語は、世間から“LGBTならではの才能”と呼ばれる超特殊能力を持っていることにされて困惑するレズビアンたちが地球防衛の代表に選ばれてしまい、どうにかこうにか降り注ぐ隕石から地球を救うのだが、世界が救われたカタルシスに浸りながら地球に帰ってきた主人公たちの宇宙飛行戦闘機の前に猛烈に巨大なアナコンダの群れが現れて百一人全員が丸呑みされたところに、メガシャークとギガシャークとテラシャークという地獄の三大やばシャークというのが現れて、主要人物を丸呑みにしたアナコンダの群れごと丸呑みにしたところで終わった。著者のあとがきは「巨大ザメは隕石より強し!あとアナコンダが何もかも丸呑みにしてストーリーが全部台無しになる話はやっぱり最高!」とマジックで殴り書きしてあって、真剣に執筆活動に取り組む気力が失せるほど、ひたすらに驚いた。もう働きたくない、と脱力した。
 それはそうと、作中に登場した同性愛者の女性たちの日常パートを読みながら蓮本はふと思ったのだ。
(私も、結婚だけは女性としたらどうだろう?)
 共働きなのに家事をやるとか、そもそも仕事を辞めて家事育児に専念する運命にあるとか、実の親でもない相手の介護に奮闘するとか、そういう、歴史が積み重ねてしまった当たり前を、完全に各々が各々の分だけ、負担できるのではないか。女同士なら、“女のやること”を完全に分業できるのではないか。
 淡い期待が湧いた。淡くて、しかし、鮮やかな。
 自分は同性愛者ではない。恋愛に性別は関係ある。男にしか欲情しない。男にしかときめかない。ただ、そんな蓮本が「あまりにも」と思うほど、これまで交際した男性は皆、男性としての役割に、あまりにも、頑なだった。その、世間で“男らしさ”と呼ばれそうな部分は好きだった。むしろそこに惹かれた節すらある。社会は男性にも女性にも、それぞれ別の厳しさを持っていて、男は男で大変だと思うし、“男は社会で戦う孤独な戦士”みたいな感覚自体も、古臭いとは思うけれど物語の人物設定としては大好物だった。どちらかと言えば亭主関白みたいな佇まいの、堂々とした、昔の人に「男らしい」とか「男前」とか呼ばれそうな男が好きだ。人物設定としては、内助の功を連発する一歩下がった妻になることにも憧れた。
 それでも、現実には襲われる。
 自分が手を出さなければ溜まる家事。食事の支度をしなければ不機嫌になるところ。
 無邪気に提案される「子供ができたらお前に育児に専念してもらって」という発想。「育児の経験を生かして新しいエッセイでも書けば」という“名案”も時々は接待しなければならない。
 〆切前だと言えば射精が済んだら終わるレベルのセックスになるし、生理中だと断ればフェラチオをせがまれる。それでいてこちらがセックスしたい時に仕事で疲れているとか言って寝てしまう。
 極め付けが、「嫁を連れてこい連れてこいってうるさくてさー」「嫁を連れてこい連れてこいってうるさくてさー」「嫁を連れてこい連れてこいってうるさくてさー」「嫁を連れてこい連れてこいってうるさくてさー」…。
 趣味も合う。話していて楽しい。落ち着く。愛されていると思う。甘くて美しい言葉もたくさん囁いてくれる。正面から伝えてくれる。たくさん抱きしめてくれる。たくさん撫でてくれる。頑張って働いたお金で、美味しいものを食べさせてくれることもあった。素敵な靴を買ってもらったことも。贈り物や手料理をすごく喜んでくれる。自分なんかを、たくさんたくさん褒めてくれる。こんな自分と、結婚まで考えてくれる。それほど真剣に、付き合ってくれている。
 生活を共にする部分以外の性格は、心の底から大好きだ。恋人でありながら、大親友でもあると思う。顔も好き。声も大好き。体の相性だって、集中して愉しめる時間がある時は最高だと思う。一晩に何度だってしたい。感極まるたびに抱きつきながら二度と離したくないと思う。
 デートなら。落ち着きのない同棲生活なら。お泊まりなら。そういう類いの共生なら、これでいい。充分すぎるほど充分、幸せだった。

 しかしこれが“生活”となると、途端にうまくいかない。
 妄想では望む。ある日、仕事から帰ってきた男らしい彼が突然自分の体を求めてきて、リビングで押し倒されてそのまま獣のように避妊もせずに何発も何発もセックスするとか、そうして「どうしても我慢できなかった」とか言われたら、妄想上では愛おしいと思う。めっちゃくちゃにして中に出してと思う。でも、妄想、だから。
 妄想の中の自分は、家事も済んでいるし、仕事も済んでいるし、体調もいいし、月経中ではないし、ホルモンバランスも情緒も安定しているし、どこに精液がかかっても問題ない服装をして、家具が汗や体液で汚れてもまったく構わないけれど、現実の自分にそんなことされても、彼が帰ってきたタイミングなんて絶対に家事は途中だし、よほど暇な時期でもなければ家事が済んだら仕事に戻るし、食事の支度をして一緒に食卓について、食べ終えたら後片付けをしなきゃいけない。そうでなくても寝不足で疲れているし、ちょっとやそっとのことでは疲れが取れない年齢にもなってきた。部屋着とはいっても洗濯の都合があるから服を汚されたら困るし、家具や寝具についた汚れを拭き取る係はいつだって自分。“男らしい”大胆さを見せられたら、現実的には困る。この世界は誰の妄想でもないから。
 ちまちまと家事を手伝って、こまかくしつこく体調を気遣って、セックスの後片付けだって一緒にしてほしい。「後片付け」と言われて想像するのが、おそうじフェラチオをしてもらうことや優しくコンドームを外してから愛おしそうに眺める一連の甘い幸福みたいなものではなくて、シーツの掛け替えや、精液の飛沫が寝具や家具や壁に飛んでいないか確認することでもあってほしい。ムードや余韻に対するこだわりに負けないくらい、実質的な負担を気遣ってほしい。そのあとで、どうすればムードや余韻を保守できるか話し合いたい。そういう愛され方をした末に、そういう愛し方をしてくれる人と、たまには家事も仕事も気にせずに、ムードや余韻だけを重視して、なりふり構わない性交を持ちたい。自分の快楽よりも彼が気持ちよくなってくれるなら本望と思えるようなセックスがしたい。それでいて、だからこそ、わけがわからなくなるほど自分も気持ちよくなってしまうような。

 できれば大らかに生きていきたいけど、美味しいものを食べたあとはお皿が汚れることだってあるし、素晴らしいセックスの後の寝具や部屋が臭いことだってある。恋愛も性愛も彼と満喫できるけれど、生活を絡めた途端に、今のままの彼では忍耐が必要になったりして。
 いざ結婚となれば、そこに伴侶となる者の実家との折り合いまで加わってくる。
 日々に伴う諸々が大変なとき、それを、一緒にどうするのか、あなたはどうしてくれるのか、私に何をさせるのか、私は何をしてあげられるのか、あなたに何をしてもらうのか、というのがつまり実生活のすべてだし、恋だ愛だの情熱的な関係性の末に実生活をどう処理し合うか、否が応でも考えねばならない。“ただの生活”を送る時間は、深刻な試練だ。
 結婚は人生の墓場なんていう先人が居たけれど、生活を目の前に愛や恋が息絶えればお墓ぐらい建って当然。恋愛は完全にうまくいったのに、共同生活を営み、二つの別個だった人生を擦り合わせて一本の家庭に束ねようとした途端に破綻したなんて世の中にいくらでもある話だし、だからこそ、そこで失敗を重ねてきた蓮本の本だって支持される。

 擦り合わせ不可欠な実生活に進展することなく、恋愛のパートだけ永続できたらいいのに。というのは、ここ数年の蓮本の悲願だった。恋愛に家庭というゴールなんか要らなくて、恋愛は恋愛だけ切り離して愉しみながら続けて、生活は生活で、孤独や不安に苛まれることなく安定的な誰かと力を合わせて営むのもアリだ、と願っている。もちろん、暮らしのパートを共同運営するパートナーが外で恋愛してくることも、まったく問題ない。
 そう考えて実際、生活部門のパートナーになれる男性を探してみたこともあるが、いざ“生活だけ”のパートナーとして共存を始めてみても、慣れ親しめばそのうちいつもの男女の仲になってしまう。「お互い外で恋愛を愉しもう」「家では生活のパートナーとして協力し合おう」と約束した。それでも、一ヶ月もすれば夜は裸で同じベッドに居る。そのうち、生活の中で恋愛にもつれ込み、生活が置き去りになり、恋愛が優先され、役割が決まって、お湯を沸かして、お米を研いで、自慰の名残か夢精をしたのか精液がついたまま洗濯機に入れられたパンツを一旦出して冷たい水で手洗いしてから、洗濯機に戻す暮らしになる。脱いだまま丸まった靴下を元どおりの形にして洗濯機に入れる。放っておくと山のようになるまで椅子の背もたれに掛けられ続ける上着を整えてハンガーにかける。ポケットに入れっぱなしのハンカチを出す。豪快な洗顔で水浸しの洗面所を拭く。便座が上がってハネが飛んだトイレを掃除する。
 多分、自分は“ダメ男”だけを引き当てる才能に長けているのだ、と蓮本は自分に言い聞かせてきた。それも、選りすぐりの、通常ありえないレベルの。体と言葉は大人、挙動と発想は幼児、という逸材を引き当てているのだ。希少な人材と出会いやすいのだ。だって、こんなにも幼児のような男ばかりで世の中が回るわけがないのだし、世の中がある程度回っているところを見る限り、“普通の成人男性”は絶対にもっとちゃんとしていると思う。思いたい。
 だから蓮本は「こんな男を引き当てる私のスペックが低いだけ」とか、「私にも悪いところがあるんだから仕方ない」とか、「協力してもらえないってことは、自分の魅力が低くて、雑に扱ってもいいと思われる理由が私にあるわけで」みたいなことを、何万回も何万回も何万回も何万回も何万回も何万回も何万回も何万回も自分に言い聞かせてきた。
(世間にはたくさん幸せそうな家庭がある時点で、私がダメなんだってことは分かってます。分かってます。ええ、分かってますよ。私のこういうところもダメなんでしょ。知ってるよ。こうやって男が悪い男が悪いって決めつけるようなことばっかり言うのもマトモな家庭生活能力を持った男性からは相手にしてもらえない理由でしょ。もう分かってるから責めないでください。私が思い遣りを持てなくて、自分のわがままを諦められなくて、こんなに愛してくれる彼に尽くせなくて、それを社会構造とか男女差のせいにしてヒステリックにわめいてるだけなんで、こんな哀れで惨めな女のことは、どうぞ皆さん、放っておいてください。相手にするだけ損ですよ)
 何度も何度も、卑屈の闇に自分を叩き落としながら。

 現段階で家庭を築けていない以上、出来事を綴る手法で『“あたらしい家族のかたち”の原稿』を書き上げることは不可能だと思っていた蓮本にとって、「“家庭だけ女同士で作ってみる”を実践取材する」というのは大発明のようなものだった。
 もっともこれは“タイムマシーンが齎す結果のみ”を思いついてする「過去を変えれば後悔が減って人生がうまくいくにちがいない!」という期待と大差なく、「じゃあどうすれば作れるの?」という部分は完全に置き去りだったが。
 それでも、今まで自分が手掛けたことのない新しい種類の原稿をこれまでと違った視点で書けるような、光ある展望ができた気がする。
 希望を抱きながら湯船に浸かりつつ、身勝手に考えている候補者が、このマンションの管理人である東之だ。
 彼女が独身で、今のところ彼氏すら居ないことは、和菓子を引き取ってくれた人が偶然聞き出した。
「こんないいもの、帰って旦那さんにあげたら喜ぶんじゃない?」
 と遠慮する老人に対して、東之は確かに、
「一人暮らしだし、彼氏も居ないんですよ」
 と言ったのだ。

 そもそも性的な要求もときめく必要もない相手なので外見はどうでもいいのだが、東之は無骨な管理人服を着ていても清潔感が漂っているし、管理人室の窓越しに近づいたら花のような爽やかさとコクのある木の実のような香りがした。香水ではあまり嗅がないから、少し長い髪を纏めるのに使ったヘアオイルではないかと思う。本当に仄かな香りを感じただけで、常時うるさく匂うわけではないそれは、蓮本の好きな、落ち着く香りだった。
 蓮本が引っ越してきた時には既に東之が管理人で、見掛けた限りでは遅刻をしている様子もなく安定的な出勤を続けている。ということは長く同じ場所に勤めて規則正しい生活を送れる性質なのだろう。お互いに生活が成り立てばそれで良いから収入は問わないが、少なくとも長い定職に就いていることは好条件だ。
 同じ建物にずっと居ることをしみじみ意識してみたけれど不快感は無いし、何より郵便物の一件で東之に深い安心を感じた。
 そこに今日の和菓子の件。
 餡子が嫌いか尋ねると、正直に「嫌い」と教えてくれる。意思表示は大切だ。それにこれは「嗜好品の好き嫌いを打ち明けたらおかしなことになる」と思い込んだ種類の人にはできない行為だし、「相手が好きかもしれない食べ物を嫌いと言うのは攻撃的な行為」と捉える人と食生活を共にするのは難儀だから、衣食住への思うことは口にできる人のほうが望ましい。意思表示を決行しながらも答え難そうにしていたのはきっと蓮本の感情か存在を無視しなかった証左で、共存のし易さが窺い知れた。嫌なものを嫌と言ってもトラブルに発展することはない、と蓮本に対して最低限の信頼をもって正直に答えたのなら、そう思ってもらえたことも心強い。
 和菓子を手に入れた経緯についてしどろもどろになりながら説明するのをじっと聞いてくれた時間も、ありがたかった。一挙に理路整然と伝え切れなくても汲もうとしてくれたし、何に困っているか、何が気掛かりなのか、すぐ理解してくれた。
 更には和菓子の貰い手について、打開策を提案してくれた。「処分にお困りということなら」と問題の性質を確認しつつ「通り掛かったらお声掛けすることはできます」と、不確定なことを言い切らない落ち着きもあった。あれがもし、絶対通りますよ!だったら何を根拠にそんな断定をするのか嫌気を覚えたかもしれないし、通らなかったら届けますよ!だったら足労を厭わないことには感謝するが強引に訪問するなんて軽薄が過ぎる。あのお年寄りにあげちゃいましょう!だったら、お年寄りの本意も分からぬうちに引き取り先として決め込むなんてあまりにも不安だ。通りかかったら声を掛けることはできる、というのはつまり、通り掛からなければ声は掛けないということで、偶発的に条件が揃えば最善は尽くしますよ、という口約束だけに留めているところに東之が保証した誠実を感じる。
 いい加減に調子のいいことを言われるより、蓮本の性に合う対処だった。
(ほどよいんだよなあ…)
 と、思う。
 自分ではどうしようもないことについて代替案を探してくれたところも、できる範囲のことを現実的に提案してくれたところも、蓮本にとっては程好いものだった。
 更に言えば、なぜあのお年寄りが和菓子を買っていると知っているのか、知り得た理由を開示してくれたところもよかった。スーパーの袋が透明だから買い物の中身が見えてしまった事実を述べるのと、たとえば住民の出したゴミをチェックしているから知っていると放言される心象は、まったく違う。
 失敬な言い方で和菓子の譲渡を提案してしまったことについてのフォローも、理想的だった。もったいないというのは完全に同意見だし、誰か食べてくれるならそのほうが罪悪感が少なくていいというのも完全に利害が一致した発想だった。差し入れのフリをするみたいな、小さな嘘を吐く苦悩に理解もあった。
 バランス感覚の合致は、最後の謙遜でも特に感じた。東之は「所詮バイトの管理人なので」という理由をもって自分に気を遣う必要はないと遜りつつも、アルバイト労働者ならばぞんざいに扱って構わないという話ではない、という認識をわざわざ示した。
 即座に賞味期限と保存方法を確認してくれたのも、少なくともその次元の生活力と家事感覚を持っているからこそだろう。

 蓮本は、東之について、恐らく互換性のある感覚の持ち主だと思った。似たような解像度で世界を見ているような気が、凡ゆる対応から想像できた。 小さな共同体を営む上で、解像度は相手より高すぎても低すぎても、多分うまくいかない。同じくらいがいい。
(あの人がいいな、楽そう)

 そう思いながら蓮本は、いつものように彼が宿泊の際に使ってくれる枕を抱きしめて目を閉じた。眠るときは彼の頭を支えて、情事のときは自分の頭や腰の下に収まりがちな、慣れ親しんだ枕。彼の代わりとして抱きしめながらここで起きた情事を思い出すたび、恋をするなら絶対に彼、恋から湧き出た愛を使うのも絶対に彼、と確信する。一日でも早く抱かれたいと思うと、両足の天井裏のような場所、お腹の床下のような場所が、一瞬だけきゅっと締まるように、まるで快感が挿さるように熱くなった。

 狙ったみたいにちょうどその瞬間、蓮本のスマートフォンが鳴った。片目だけ開けて画面に目をやると、交際中の速加 堅志朗/ハヤカケンシロウの名前が見えた。慌ててスマートフォンに手を伸ばして読んだ彼からの「おやすみ」のメッセージには今日も愛情や賞賛が込められていて、一日の最後をあたたかくまとめてくれる。蓮本も、
「いつもありがとう、おやすみなさい」
と、ボイスメッセージを返してから俯せて、自分の中に居るときの彼を思い出しながら手短な自慰を済ませた。落ち着いた蓮本は、愛情を詰め込んだメッセージを返すことよりも恋しさに負けて性欲を先に発散させたことが申し訳なくなり、改めて彼にメッセージを送った。
 正直に「堅さんに会いたくて我慢できなかった」と告げて自慰に耽っていた事実を話すと、間も無く彼から「俺も一人で同じことしてた」と返事があった。それから次に会える日の予定を確認し合って、二度目の就寝の挨拶を送り合って、今度は本当に眠った。
 こんなに性愛の相性がいいのに、どうして実生活には不服を感じてしまうのだろうと思うと、巡り合わせが悔しくて涙が溢れてくる。

 普段なら彼とのことばかり想いながら眠る蓮本だったが、今日は眠りに落ちる最後の最後に、郵便受けの前で慌てふためく東之の姿をなんとなく思い出した。恋することも愛することもない、のに、身勝手に結婚を考えてしまった、初めての女の人。

つづく
(小出しにします。)

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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
 珍しく無料記事として物語を放出している理由は、今のところ「日常の空き時間に、細かいことは何も考えずに、ちゃんと終わるかどうかもまったく分からずに、勢いで作っているから」という、こちら側の気の持ちようの問題です。(他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありません。)


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(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)