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【属性】→【エモさ】、その【行間】(第4回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、ここのところ【登場人物】を切り口として、『【記号】と【エモさ】の結び付き』とその【応用】について【考察】を巡らせております。

 現状は、【作者】が『【エモさ】を【表現】しようとして、“【記号】の羅列”に終始してしまう【現象】』を掘り下げております。『どうしたらいいか』の前に『なぜそうなるのか』を考えているところですね。

 『“【属性】に対する【エモさ】”は、伝わらない相手には、全く伝わらない』という【事実】からして、【エモさ】の【背景】には一種の【教養】、ここでは“鍵となる【作品】や【事象】”が【存在】することになります。

 言い換えれば、こういうことです。『“【エモさ】を引き出す鍵”として多用される、“【属性】を始めとする【記号単体】”には、【エモさ】は宿っていない』。
 であれば、『【属性】を並べただけで【エモさ】が伴わない【表現】』が【存在】する――という【事実】にも【納得】のしようがあるというものです。

 これ自体は【理屈】のみで呑み込んでいただけるものとは限りませんね。
 なので今回は、この【事実】を示す【具体的事例】についてお話ししましょう。

 ◇

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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