自意識が偽の自分を作り出す
街を歩いていても、電車に乗っていても、自意識を感じずにはいられない。気づくといつも自意識を感じている。自分に意識を向けるつもりなど微塵もないのに、無意識のうちに自分に意識が向いていて物事が蔑ろにされている。これは如何なものか。特に人混みにいるときや人前で文字を書く際は、緊張や不安の感情に襲われ、一気に大量の汗が吹き出してきたりもする。そして、不安や緊張している自分に気を取られ、そのことについてばかり考えてしまう。
僕は人一倍理想が高い人間で、いつも理想の人間像を頭の中でイメージし、そうなることを常に夢見ていた。人前でつっかえることなく、スラスラ話せる自分や人と接するときに一切緊張しない自分など。しかし、本当の自分はいつも理想とする自分の正反対にあった。緊張や不安を感じると、それらの感情に敏感に反応し、それらの感情をとにかく自分の中から追い払おうと必死に努めた。けれども、受け入れたくない自分の弱点を自分の中から取り除こうとすればするほど、その症状に苦しむことになった。自意識のアリ地獄状態とはまさにこのことである。自分は本来の自分を受け入れたくないからこんな事に悩まされているのだろうか。だとすれば、コンプレックスまみれの自分を受容できれば、自意識の問題に悩まされることもなくなるのではないか。本当の自分を受け入れらないからあらゆる悩みが生じるのだ。別の言葉で言い換えると、本当の自分を受け入れることができれば、悩みは消えてなくなるのだ。そのことを知ったとき、心が軽やかになったが、問題はそう簡単には片付かなかった。人間には守るべき大切なものがある。それが自尊心だ。人は誰しも自尊心を持っていて、それを固持したがる。理想の高い人間ほど特に。
その後は過度に自分を高く評価するのをやめ、プライドを捨てることに努めたが、易々とプライドを捨て去ることはできない。どうしても無様でカッコ悪い自分をさらけ出せないのだ。でも、偽りの自分として人と接し、人から好かれたとしても、それは本当の自分を好きになってくれたとは限らない。相手が好きになったのは本当の僕ではなく、ペルソナの僕なのだから。虚勢を張って演じた人生からは何も得られない。自分の弱さを受け入れることから自分の人生は始まる。僕に必要なのは、現実の自分を受け入れ、現実の中で生きることだ。そのためにはまずプライドを捨てることから始めないと。