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東日本大震災を経験して

2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分

ボクは商店会MAPの店舗画像の撮影のため、「カサハラ装美」さんの前に、当時マップを作ってくれていた「吉祥寺ECCO!!」の編集の方と一緒にいました。
突然の大きな衝撃。止めてあった軽自動車が波にもまれる船のように目の前で揺れ、一緒にいた編集の方は立っていることができずしゃがみ込み、2階から顔を出した笠原さんのお父さんが「おーい、大丈夫かあ」と、わりとのんびりした響きで声を掛けてくれたことをまもなく12年がたつ今でも鮮明に覚えています。
これはエライことになったと撮影は即中止。編集の方には帰社してもらいました。後で伺った話では、吉祥寺駅周辺は大混乱で電車はストップ。運よくタクシーに乗れたそうですが、立川の事務所に戻るまで5時間かかったそうです。
吉祥寺西公園には、激しい揺れに驚いた多くの人々が避難していました。
ボクの会社のスタッフは全員吉祥寺にいたので良かったのですが、帰宅できず事務所で一晩明かすことになり、予約がすべてキャンセルになった「ドスガトス」の高森さんのお店でスペイン料理を頂き、生きていることの安心感とこれからの不安が交錯する気持ちを奮い立たせたことを覚えています。
幸いにも、商店会の会員店舗に大きな被害はありませんでしたが、その後知った東北地方の悲しい惨状と原発事故については心が痛み、自分たちもこれからどうなっていくのか暗澹たる思いになりました。

当時撮影したマップ用の画像

原発事故を目撃して

地震があった翌朝、ボクは家族とともに大宮の老人保険施設にいた母のもとへ急いで向かいました。
あの時は何も考えてなかったと後で反省しましたが、新大宮バイパスを車で進み、首都高速の高架下を走り続けました。もしまた大きな地震が来て阪神大震災のように高速道路が崩れたらどうなるといった考えに至らないほど冷静さを欠いていました。
その母の施設で目にしたのが、発電所の水素爆発でした。
母とボクと家族は顔を見合せ唖然とし、まるで時が止まったような錯覚を感じたことを覚えています。
家族をとにかく避難させようと決め、翌日には妻の親戚が多く住む九州へ送り出しました。判断が1日遅れたら、恐らく新幹線に乗れず避難できなかったので、ギリギリの決断でした。

思いもしなかった電力不足

大地震とそれに続く原発事故は多くの被害をもたらし、すぐに電力の逼迫が起きました。
電力会社は、いつどこが停電になるのかもわからない「輪番停電」を繰り返し、自分の家族や会社を守るためだけでなく、商店会の会員店舗、特に飲食店やコンビニ、食品販売のお店は冷凍庫や冷蔵庫が止まったら大損害を被ることから、あちこち電話しまくって情報収集したことを覚えています。
自分は比較的冷静に物事に対処できるほうだと思っていましたが、あの時ばかりはかなりのパニックに陥っていたと思います。
節電のため、吉祥寺の街も広告の照明やネオンがすっかり消えて暗い夜が続きましたが、商店会の街路灯は、防犯の観点から電球を1つ抜き、いつもの半分の照度を保ちながら点灯し続けました。

チャリティマルシェの開催

その年商店会では、被災された方々の支援を行うために、「なかみちチャリティマルシェ」を開催しました。
第1回目は、5月22日(日)。吉祥寺西公園と閉店していた銀行の駐車場を借りて開催するとともに、会員各店の店頭でもチャリティ対象商品の販売を行いました。また、銀行の駐車場と吉祥寺西公園をつなぐスタンプラリーも実施しました。

第1回なかみちチャリティマルシェ


第2回目は、7月24日(日)。この時は武蔵野市商店会連合会の補助金を活用して規模を拡大し、吉祥寺西公園をはじめ、会員各店の店頭でも開催しました。公園にテントを張って物販スペースや飲食スペースを確保し、先着500名を対象にしたチャリティビンゴ大会も開催しました。
当時の企画書には、『中道通りから「元気」と「活気」を発信し、吉祥寺、そして中道通りから、被災地へ元気を送れるように、街と商店が一体となってできるようなイベントを企画し、被災者の方々への支援はもちろんのこと、中道通りの各店舗が、元気で毎日商売に励み、活気ある商店街として、お客様をお待ちしていることを、積極的にPRしたいと考えております。』とありました。
被災地への想いはもちろんのこと、震災後の景況悪化による先行き不安にさいなまれる商店会員を応援する気持ちもこめた企画となりました。

第2回のポスターラフとチャリティビンゴ大会

第3回目は、翌2012年3月10日(土)、11日(日)の実施予定でしたが、10日は雨のため中止。11日のみの開催となりました。
マルシェや会員店舗での展開のほか、音楽ライブやチャリティビンゴ大会を通して、中道通りから被災地にエールを送りました。
チャリティ商品として、手作りのサブレを1,000個用意して販売し、売上金額全額を寄付するといった試みも行いました。

第3回のポスター表裏と会場の様子

2011年度(平成23年度)の決算資料には、この3回の「なかみちチャリティマルシェ」を通じて、合計1,082,306円の義援金が集まり、「日本赤十字社」を通じて被災地へ732,167円。支援団体「被災地の赤ちゃんの為に出来る事」へ350,139円、それぞれ寄付したと記録が残っています。
こうして振り返ると、あの時の様々な想いがよみがえるともに、商店の皆さんの逆境に対する反骨の力みたいなものの大きさに驚かされます。

減災のために

あの未曾有の天災と人災を経験して、東京にもいつ大きな地震が来てもおかしくないぞという危機感と防災意識が、街とボクの心の中でさらに高まりました。
吉祥寺では、駅周辺の商店会をはじめ交通機関、ホテルなどの民間企業と行政が連携して、吉祥寺にお越しのお客様や吉祥寺で働く方々などの帰宅困難者を守るための仕組み作りと訓練がはじまりました。
ボク自身、大きく揺れる電柱やまるで波にのまれるように波うつ軽自動車を目撃しただけでなく、商店会の多くの方から中道通りの電柱が激しく揺れていたことを後で聞き、地震による建物や電柱の倒壊リスクを軽減するためにも意識を高く持たなくてはと感じるようになりました。
もちろん建物は、それぞれオーナーさんの持ちものなので、商店会としては何もできませんが、電柱の地中化(無電柱化)など中道通りのことについては、行政と連携しながら進めることができるはずです。
完璧な防災施策はないかもしれませんが、被害を最小化する減災のためのあらゆる方策を、仮に時間がかかったとしても、必ず実現して行きたいと思うようになりました。

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