中道通りとボク
運が良かった物件探し
2004年(平成16年)からスタッフ全員でお店の企画を練り始め、出店場所のリサーチもスタート。その中で紹介されたのが「中田ストア」さんでした。
野菜やお惣菜などをご家族で販売する中田オーナーがお店を閉じられるということで、オーナーご夫婦と面談し貸して頂けるようになりました。
吉祥寺の中でエリアを限定せずリサーチしましたが、なかなか条件にあった物件がなく、なかばあきらめかけていた時の出会い。本当にラッキーだったと思います。
奥様の涙にふれて
いよいよ契約書を交わす時に、奥様が涙を流されました。
後でその時のお気持ちを伺ったのですが、嫁いで来られてから長い間家族でお店を切り盛りしてきた中で様々な思い出がよみがえったこと、そしてはじめて家族以外の人に自分たちのお店だった場所を貸すことになったことへの不安で、涙が止まらなかったそうです。
中田ストアの歴史とご家族の想い、そして貸してくれたオーナーの期待や不安をすべて背負ってボクらはお店をはじめるのだからこそ、応援してくれるオーナーご夫婦に必ず恩返しをしなくてはと身が引き締まる想いでした。
2005年日本茶のカフェと雑貨のお店をオープン
様々な試行錯誤とご協力頂いた皆様のおかげで中道通りにお店をかまえることができたボクは、お店の運営はスタッフに任せ、元会長の鶴田さんや当時会計をされていたみすずのお父さんに誘われて、商店会活動を手伝うようになりました。
商店会や地域の活動をお手伝いすることで、多くの人たちとつながることができ、結果としてお店を知ってもらえることにつながると考えたからでした。当時は、SNSで発信することで世界中の人とつながれるような術も普及していない時代。お店の宣伝のためには、多くの人と出会うことがまず大切でした。
ご近所の皆さんや商店会の先輩との出会い
サンロードにあった事務所を引き払い、中道通りにやって来たボクたちを迎えてくれたのは、ご近所のお父さん、お母さんと商店会の先輩方でした。
どんなお店ができるのかとても興味を持って頂き、工事中もたくさんの方々に声をかけて頂いただけでなく、会社のスタッフ皆がそれぞれ知り合った人たちと仲良くなり、知り合いの輪がどんどん増えていきました。
当時の会長や役員の皆さん、ご近所にお住いのお父さん、お母さん(※本当はひとりひとりお名前を出したいところですが書き出したら切りがなくなりやめました)、そしてその人たちからお店のスペースを借りて頑張って商売している多くの商店主の皆さんと知り合いになり、お互い情報交換やお客様を紹介しあえる関係になりました。
会費の集金はつらいよ
商店会のお手伝いは配りものと会費の集金から。
会費の集金は、担当する会員のもとへ毎月訪ねて会費を預かり領収書を渡してくる作業でした。当時近所の30会員ぐらいを担当していたと記憶していますが、そのおかげで顔を覚えてもらい声を掛けてもらえるようになりました。ただ、人様のお金を預かるという責任の重さは、会社のお金を扱いなれたボクでも緊張するものでした。
みすずのお父さんが集金先の領収書を全部手書きしてくれ、ボクは集金に行くだけでしたが、後々領収書を手書きする作業を引き継いだ時は、その作業の大変さを実感しました。みすずのお父さんは本当に偉大です。
この会費の集金でちょっと嫌だったのが、ボクの顔を見るなり、「2,000円?」と言われること。自分が名前やどこのお店の人かで認識される前に「2000円の人」と認識されていることでした。
さずがに、1年ぐらいで名前で呼ばれるようになりましたが(笑)
今は役員の負担軽減と安全のため、会費の集金はやめ自動引落しに変えましたが、懐かしい思い出です。
店を手放す悔しさ
商業施設の販売促進キャンペーンやイベント企画運営という受託事業と自分の店の運営というふたつの事業を両輪にして会社を経営する形になりましたが、いつしか自分の会社が自分の身の丈以上の規模になっていることに気づきました。その規模感に自分が追いつかなくてストレスを感じていたところに、リーマンショックによる景況悪化でさらにプレッシャーがかかり、社員とその家族を養い会社を維持することに四苦八苦の5年が過ぎました。
2010年(平成22年)、会社をふたつにわけ、お店の経営権を当時店長だった友人のフランス人に譲渡する決断をしました。
吉祥寺での事業に本腰を入れて取り組むためにお店をはじめた自分としては当初からの目標が遠のき、悔しさと借金だけが残りました。
今振り返れば、経営者として未熟だったと思いますし、勉強代が高くついたなと反省しきりです。
中道通りと吉祥寺が僕の生きるところ
結果としてお店は手放さざるを得なくなりましたが、ボクは商店会活動に引き続き邁進しています。
それは、中道通りにお店を構えたことがきっかけとなり、吉祥寺で起業する時のひとつの目的でもあったこの街への恩返しのチャンスを得られたから。
ボクが街と関わることで、中道通りと吉祥寺で知り合ったボクの大好きな人たちが喜んでくれること。シンプルだけど、それがボクのエネルギーになっているのです。