西側アーチ撤去顛末記③
会長として感じたこと
まず事務的なところから
申請から実施報告まで、多くの書面のやり取りが、商店会と工事会社、商店会と東京都、商店会と武蔵野市の間で行われたわけですが、記載内容の齟齬がなるべく起きないようすることが、自分の時間を削られない唯一の方法であると改めて悟りました。その観点から見た今回の反省は…..
「契約期間は余裕を持って締結すること」
不可抗力などにより契約書で取り交わした工事期間よりも工期が延びてしまうと、工期の延長や契約書の変更について協議した証の書面等を準備しなくてはならず、実施後の帳票類の準備にさらに手間がかかることに。
「総会資料をはじめ、様々な事業の記録、図面、道路占有許可書等公文書の控え、補助金申請や実施報告、交付決定の通知書類など様々な書面は、商店会で保管し、後世に伝えていくこと」
今まで、こういった書類や資料を残す発想が先人の皆さんには残念ながらなかったため、商店会に記録や資料が残っていないという不満はさんざん書いてきましたが(笑)、今回撤去事業の補助金申請にあたっても、竣工時の資料が残っていれば簡単に処理できたことが、残っていなかったがために、市で保管されていた25年前の資料を出してもらったり、改めて担当部署と協議し、竣工時の状況を文書で証明しなくてはならないなど余計な時間と労力がかかったと思う。
「任意団体である以上、代表者である会長に大きなリスクがのしかかることは避けられない。ならば、そのリスクについて深く考察し、損害賠償保険をはじめ、十分で余りあるほどの保障をもって事に当たるべし」
保障の充実、これにつきる。
これからの事業に残したい想い
これから書くことは、決して先人たちのことを批判するためではなく、将来商店会を担って行ってくれるであろう方々が、時に新たな判断を下す時の道標のひとつにでもなればという思いで書きます。
そして、現在会長として関わっているボク自身への戒めも込めて。
想像力を働かせて判断
まず、商店会が管理する街路灯などの大きな設備を新たに設置するときは、将来必ずやってくるメンテナンスの時期にどんなことが起こるのか、そして老朽化し、いよいよ撤去や設備の更新をやらなくてはならない時に、どれぐらいの費用と作業の手間がかかるのか、イメージを膨らませて物事を判断しよう。
今回西側のアーチを撤去すると決めた時、竣工当時の25年前、強い想いを持って東西アーチと街路灯を設置した先人の皆さんには、当時の記録と記憶を取り戻す作業もお願いしただけでなく、なぜ撤去する時のことを考えてそのための基金を残してくれなかったのか正直文句も言いました(笑)
それは、過去の大事業の負の部分を、当時商店会にいなかった多くの現在の会員の負担で解消することになるから。
先人たちは、中道通り商店会としては身の丈以上の事業(※私見ですが)を成就することにほぼエネルギーを使い果たしてしまい、竣工後アーチや街路灯を維持管理する術や老朽化した時の事業のしまい方までは想いが至っていなかったと想像できます(※これは記憶の確かな先人の方にも確かめました)
また、東京都や武蔵野市が抱えていた街路灯の設置など当時の行政課題を、積極的に補助金を出すことで解決しようとした時代の流れが、先人たちの想いを後押ししたのではないかとも想像しています。
当時の先人たちの想いや時代の流れは決して否定できませんが、ボクたち現役世代は、先人たちの想いが込められたアーチや街路灯を「仕舞っていく」ことに申し訳なさを感じながらも、将来に負の遺産を残さない強い覚悟が求められているのではないかと思えてなりません。
だからこそ、これからはイマジネーションをフル稼働して事業に当たることが何より大切だと感じる次第です。
ソフトよりハードにお金をかける時代になる
中道通りは、これから先、東京都や武蔵野市と力を合わせて取り組まなければならない、ハード面の課題をクリアするための事業がたくさんあります。
まずは、街路灯関連のメンテナンスです。
今年2024年は、中道通りと交差する横道の拡幅の影響により街路灯を1本撤去し、防犯カメラの移設を計画しています。
また、街路灯はすでに設置後25年が経過し、そろそろ建替えの計画に着手すべきタイミングが来ていますが、財政面を考えると、向こう5年程度は準備に時間が必要なのではと予想しています。
ところが、すでに街路灯の照明がいくつか点灯しなくなり、こちらはここ2〜3年かけて、LED電球に変えていく必要が出てきています。
トータルして考えると、恐らくこれから10年の間に街路灯の電球のLED化と街路灯本体の建替えを行わなくてはならないのではと予想しています。
そしてその先、今から10年から15年後に動き出すことが計画されているのが、中道通りの無電柱化工事です。
中道通りから電柱がなくなり、電線等は全て地中を通す大工事で、範囲も東は公園通りとの交差点から、西奥の中道公園までとなる予定。
いつか必ずやってくる大震災に備え、交錯する電線が落下したり、電柱が倒れて歩行者や近隣の建物に被害を及ばないように、また緊急車両の通行の妨げにならないように、防災面での備えを強化するために行う一大事業です。
時系列を整理すると浮かんでくること
ここまで、簡単に時系列を追って書いてきたおかげで、ボクの頭の中も大分整理されてきました。
と同時に、ここから15年の間に起こることを想像すると、大きな無駄も見えてきました。
このまま予定が滞りなく進むとすると、恐らく5年から10年の間に街路灯を建替える必要が起き、建替えが終わってから早くて3年、遅くて5年経つと無電柱化の工事が始まるということから考えると、建て替えて新しくなった街路灯をたった5年から10年で撤去、または抜いてどこかに保管し、無電柱化工事に合わせて再度設置工事を行わなくてはならなくなることが想定されるということです。
またそもそも無電柱化したのに街路灯は残すのか?、というパラドックスも見えてきました。
20年後の街の有り様
これから約15年から20年の間(2039年から2044年)に、街は今までの過去20年間とは比較にならないくらい、ガラッと姿を変えることでしょう。
そんな時代のその時その時に、商店会の担い手と行政の皆さんや地域のステイクホルダーの方々が、どのような話し合いをし、どのような決断をしていかれるのか。
ボクとしては、これから中道通り商店会を中心となって動かしているであろう次の世代の方々にその判断は委ねたいと思います。
恐らくボクはその時すでに現役ではなく、サポートはできたとしても、中心的な役割は果たせない年齢になっていることでしょうから。
本音は、少なくともボクの目が黒いうちに、無電柱化した中道通りを見てみたいですけどね。