距離感
中1日でふたたび富岡に。今回のミッションはインターン生対象の講演会。
講演会といってもそんな堅苦しいものではなく、インターン生の質問にとみおかアンバサダーの立場で答え、話をする、という比較的ゆるいもの。これなら丸腰でいいだろう、ふふん、と思っていたらとみおかプラスの担当の方から…
「過去にかなり実績を出してるプログラムです」
「学生さんの熱量、すごいですよ」
「勉強会では質問がバンバン飛び交い、たじたじでした。。」
と、怒涛の3連発。恐れをなして急遽常磐線の中で準備を開始しましたw
予定時間の1時間を大きく超えて90分間、インターン生からの活発な質問に助けられて、何とかかんとかいい時間にできたのではないかと思います。
避難指示が一部解除された夜ノ森地区でのアクションプランを作成し、4月の桜祭りの時に実行する、というのが今回のインターン生たちへの指令。いただいた質問は実に幅広く、
「他にいろいろな町がある中でなぜ富岡町なのですか」
「地元の人から町に移住してほしいと言われることはないのですか」
といったライトなものから
「他の地域にはないオンリーワンの何かをつくるために何が必要でしょうか」
という冷や汗ものの質問までさまざま。皆さんとても深く事前調査をしていることがよくわかりました。
中でも特に印象に残っているのが
「これから町の方々と接していく中で、どのような距離感をとればいいのか不安です」
距離感。ソトモノとして町に関わる上で一番大切なことでしょう。どんな土地にも現住している人にしかわからない「土地のコンテクスト」があります。特に福島県浜通り地域はもともと山に区切られた小さな町が連続していて、そこに津波被害、原発事故、という災禍が襲ったため、ソトモノには絶対にわからない、たとえ知れたとしても身体化が極めて困難な複層的なコンテクストが存在するはずです。
そういった町の方々が持っている前提に、どれくらい踏み込んでいいのか。そもそも踏み込むべきではないのか。人によってコンテクストの濃淡は全く異なるでしょうから、「こう接すればいいよ」と一元化して基準を示すことは不可能です。ある町の方がフランクに答えてくれた質問でも、別の方に問うと無言で去ってしまう、そういったようなケースが多々あるはずです。
しかし、学生に問われたからには僕は何か答えなければならない。逡巡した挙句「入り込もうとしないよりは、入り込もうとしたほうがいいのでは。ただし、入り込み方に気をつけて」と答えました。1日経った今でもこれが正しいのかどうかはわかりません。
でも、話をしなきゃわからない。何も始まらない。結果として変な空気になるかもしれない。気分を害してしまうこともあるかもしれない。でもやっぱり、話さなければわからない。問わなければ知れない。少なくとも、話しも問いもしないのにわかっているようなフリをして接するよりははるかにいいだろう、と僕は考えました。
傷つけることを恐れていたらコミニュケーションはできない。どんなに耳障りの良い言葉でも場合によっては人を傷つけることもある。他の人は何とも思わない言葉が、ある人の心には刺さってしまうこともある。そういう可能性が常にあるのだ、と自覚していれば、自然と対話にも質問にも敬意の裏付けが生じるだろうし、そういう敬意はきっと相手にも伝わるはず。
と、道徳の教科書みたいな答えをたどたどしく口にする中で、自問しました。お前自身はどうなんだ、と。
僕はもともと人との距離感を測る、保つ、近づける、という社会的な作業が極めて不得手(例:人見知りを全くしない)ので、富岡町でもそういった距離感を考えずに接してきたことが多々あるのだろうなあ、と今更ながら気づかされました。どこかでもう、自分は半分中の人なんだ、という驕りとも呼べそうなものもあったのかもしれません。仮にそうだとしても、もう半分は外なのに。
風景の奥にある前提。人の中に眠る過去。気にしすぎると何もできない。けどリスペクトは必要。それでもやっぱり、人と人の間に流れる通奏低音は「わかりあいたい」であってほしい。
若い学生さんたちから貴重な気づきをたくさんいただきました。4月の桜祭りにどんな成果が見られるのか、とても楽しみです
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