曖昧な不安と「『利己』と『利他』」
記念すべき初回は、在宅勤務について日々思うことを「利己」と「利他」という視点で書いてみようと思います。
仕事のなかの曖昧な不安
3月から在宅勤務が始まりました。まあ、やってみれば出来ますし、なんとなく上手くいっているのが現状です。だけど、その期間が長くなるにつれ、曖昧な不安を感じ出しているのも事実です。
仕事のなかの曖昧な不安・・・仕事の意義、組織での自分の居場所が薄れていく感覚。もちろん、ZoomやTeamsなど様々なツールはあるのですが、オフィスという空間だからこそ、偶発的な接触が生まれ、自分の居場所を見出せる側面があったのです。
「利己」と「利他」
在宅勤務の1番の課題は人との繋がりが薄れること。心の比重が「利己」に傾くことだと思います。メールのやり取りが荒くなる。意図が伝わらないメールを送ったり、受け取ったりする。そんなぶつかりが多少なりとも増えているように思います。
相手を想いやる気持ちが希薄になる。
この感覚を変えていかない限り、「曖昧な不安」は解消されません。「利己」の逆にあるのが「利他」になります。よって「利他」の重要性が増しますし、「利他」の比重を高めることが「曖昧な不安」を解消させる鍵になるのではないかと思うのです。はた(他者)を楽にさせるで「はたらく」という格言は「利他」そのものですし、こういう格言があるということは働くことにおいて「利他」が非常に重要であるということを示しています。
「利他」がすべてか?
ただ、「利他」に100%心を注ぐなんてことは普通はできません。当然、自分が大事だし「利己」も大事です。そこで「利己」と「利他」はどちらかしか選択できないのか?という疑問がわきます。
その答えになり得る言葉として「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」というものがあります。自分なりの解釈は「『利己』と『利他』の心の比重を半々でいなさい」ということです。あまり詳しくないのですが少林寺拳法の言葉です。
イメージ的にはまずは自分に100%比重をおいて、50%を他者に使うくらいの感覚で捉えています。
この「利己」と「利他」の半々の共存が、自分を偽ることなく「仕事のなかの曖昧な不安」を解消する方法なのかなという気付きでした。
本日の一冊
今日の記事で何度が書いた「仕事のなかの曖昧な不安」というのは、私が学生時代に読んだ玄田有史先生の本のタイトルです。絶妙なネーミングなので使わせてもらいました。
ちょっと調べたところ新たに刷られているわけではなさそうなので、猪木先生の書評を載せておきます。