安藤さん
これまで出会った方の中で一人だけ目標にしたいと思える人がいました。その人は捜査一課で多くの事件に携わり経験が豊富で知識、知恵、すぐれた判断力と素早く動ける行動力のある方でした。そして何よりどこまでも優しい人でした。
私は運の良いことに尊敬できる方とたくさん出会うことができています。特に社会人になってからはそう思います。その中でもただ一人だけ尊敬を超えて「この人のようになりたい」という方がいました。
20代後半で出会ったときのその方は屈強な体躯ではなくほっそりとしたスーツ姿に少し赤ら顔の白髪の方でした。体格は筋肉質ではなくても眼光の鋭さというか目の奥の力強い光というか、気性が荒いことはなく穏やかなのですが「強さ」を感じる方でした。
普段は大声を出す人ではないのですが判断が難しい状況になるとすかさず声を発しました。そして一番困難な役割を必ず自分が請け負っていました。いつも「ここはワシがやるでえーよ」てな感じで。
当時の私は経験も知識もまだまだ乏しかったのですがそんな私をうまーく機能させ、うまーく成長させ徐々に負荷をかけていってくれました。「この人の期待に応えたい」とこれほど思ったことはありません。
当時私が属していたシマは特捜本部に人をとられていたため残された課員で管内の事案対応をしているという人員的に厳しい状況でした。私も特捜要員だったのですが管内事象への対応が厳しくなってきたため特捜を外れて管内の事案対応に戻ることになりました。
管内の事案対応というと簡単そうに聞こえますが特捜本部は1つの事案のみに対応しますが管内対応となると一人でいくつも事案を抱えることになります。そして対応する事案も刑事事件なわけで決して簡単なものではありません。
それでも班長とデカ長の二人でやるしかなく班長は手を抜くことなく迅速に無駄のない判断と指示で次々と進めていきます。私も捜査に出たり午前はA事件、午後はB事件の取り調べ、夕方からはC事案の裏取りなど頭を切り替えながら次々と対応していきました。
事件て発生が留まることがなくて次々と発生しては対応し対応しては対応しが続き息をつく間もなかかったのですが班長の的確な判断と指示、厳しくも思いやりのある眼差しに支えられ、そして何より被害に遭われた方の無念さを少しでも…という気持ちで走り続けることができました。
それもこれも私が全力でやれるよううまく技量を見極めながら指揮をとってくれた班長のおかげだと思っています。
ちょっとわちゃわちゃしていて他の人が手を出しあぐねている件があると「ナカちゃん、もう一個(1件)いけるか?」と聞いてくるのでちょっと厳しいなぁ〜と思いつつも「いけます!」と返事をして対応したことを思い出します。
そんなこんなしていたら私が昇任試験に合格してしまい異動となり送別会となりました。送別会と言っても刑事がそんな時間を作れることもないので仕事上がりに班長と焼き肉食べに行っただけなのですがそのときに「ナカちゃん、ようやってくれたなぁ。あんたと二人でどんだけやったぁ?」と言われて振り返ったらこれを二人でやってきたのか…と思うような件数で一年が二年にも三年にも感じました。このときほど「駆け抜けた」という言葉がしっくりくる時間を過ごしたことはあれから20年以上経っても経験はありません。
班長から褒められたこともこのときが初めてで「ああ、この人とお別れなんだ」と実感が湧いてきたことを憶えています。
そのときの班長の年齢が54歳、私が30歳同じ階級になるので部下になることはないだろうし同じシマになったとしても他に部下もいるだろうから二人で仕事をすることはないだろうな、と思ったら何か目の奥が熱くなりました。
その後自分がその職を辞めるとは予想もしていませんでした。あの人ほど強く、思いやりのある人はそれ以降会っていません。一緒に他署へ行くと必ず「安藤さん、お元気ですか?」と多くの人が笑顔で近づいてきました。みんな“ともに駆け抜けた仲間”って顔で近づいてきていたのをよく憶えています。この人はこんなふうに長年戦ってきたんだろうなと思いました。
いま自分が当時の班長の年齢に近づいてきて「周りを活かしているか?一人で抱え込んでいないか?」などと考えます。当時の安藤さんに年齢だけではなく中身で一歩でも近づきたいと思うようになってきました。
先輩、お元気ならいま一度お会いしたいです。