村弘氏穂の日経下段 #53(2018.4.15)
送られた写真に映り込む影の耳が長くてうさぎだと思う
(札幌 石河いおり)
写りこんでいた影がいったい何であるのかも気になるが、メインの被写体が何であるかも作中では一切触れられていない。そうやって読者のイマジネーションをくすぐる技法だ。さらに誰なのか判らないが、誰かから送られてきたということは作者が写っているのかもしれない。もちろん野山で撮った草花の向こうに本物の野兎の影が映りこんでいたという可能性も否めないが、ここでは仮に作者を撮ったスナップとしよう。そう考えると、逆光で写さない限り耳の長い『影』は撮影者のものである可能性が高い。つまり写真が送られてきて初めて気がついたのだが、そのとき『私』を撮影してくれた親愛な人は実は『うさぎ』だったのだ。勝手にメルヘンタッチな解釈をさせてもらったが、この作品にはそういう幻影が映り込んでいるような気がする。意図的ではなく『映り込む影』が鑑賞する作者の主役になってしまっている写真のように、詠草の背景が読者の主題になっている作品といえよう。これも読者を惹き込む効果的なフレーミング技術の一つだ。現代ではデジカメやケータイによる撮影だとその場で画像をチェックできるが、作中のスナップはおそらくフィルムの現像をした写真だからチェックは後日ということになる。しかし、その場では見出せなくても時が経過してから鑑賞するからこそ、くっきりと見えてくる影や情景があったりもするのだ。それは詠草のチェックにおいても言えることなのかもしれない。