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村弘氏穂の日経下段 #54(2018.4.21)

寄せる波風に吹かれる黄水仙君の鼓動の香りを放つ
(横須賀 新倉由美子)

 水仙っていう花の名前は水辺に佇む仙人のようだから付けられたらしいんだけど、ここではそれがさらに『君』に喩えられている。故に『君』がそれほど尊い存在であることが伝わってくるのだろう。黄水仙は匂い水仙なんて呼ばれたりもするくらいだから水仙よりもずっと強い芳香がある。植物でありながら動物的な匂いを強く放つ品種だ。そして『鼓動』とは言うまでもなく、動物の心臓の律動的な動きのことであり、ある意味その響きのことだ。だけど作者はその音を聴き取るのではなくて香りを感じ取っている。これは自然界に対する凝視力と、自己が有する発想力、そして『君』に対する執着力のなせる技術だろう。鑑賞をした者が読後に鼻からすーっと息を吸い込んでみてしまうほどだ。また『鼓動』には心臓のみならず、心象や気持ちが震え動くことや震わせることの意もある。ここではきっと黄色い『君』がその役割を果たしたのだろう。全体的にはあえて比較的ありがちな表現を多用したことが、かえって下の句のこの『鼓動の香り』という強烈なインパクトのあるワードを凛と咲く黄水仙のように際立たせてくれたようだ。上の句の『寄せる』と『吹かれる』は作者や『君』の動向を暗喩していて、それらに句跨って存在する『波風』が憂節を暗示しているのかもしれない。黄水仙が持つ花言葉は「私のもとへ帰って」らしい。『君』が放って作者が感じたのは、巡り来る春の鼓動でもあるのだろう。


本物の蕎麦はめちゃくちゃ不味そうに啜る落語家をサガミで見た
(名古屋 小坂井大輔)

 著名人は何らかのイメージを纏わされて街に出ているから大変だ。人によっては試合のユニホーム姿や衣装の姿や、出演した作品の役柄のイメージだったりもするから尚更だろう。中でも、落語家による蕎麦の食事というピンポイントのシチュエーションなんてもう、目撃する側の期待感はマックスだ。『時そば』や『そば殿』や『そば清』といった演目を一度は観たことがある人々の視線がおのずとそこに集まってしまう。そして、それを感じてしまったらおそらく当人の緊張感もマックスだ。もしかしたらチンピラ風のいでたちをした、筋肉隆々の作者に見られていることに気が付いて、普通に食べることさえもままならなくなった落語家は、美味しく啜る術を全て忘れてしまったのかもしれない。これは決して蕎麦が実際にまずいわけではなくて、啜り方や食べ方がまずいだけなんだけど、落語家が蕎麦を美味しそうに啜る為にはまず座布団と着物と手ぬぐい、そして何より扇子が必要なのだろう。それらや、向かいの観客の視線があればこその技術であり、後ろや横からの視線がなければこその技術ということか。一方、こちらの下の句には、技術がさりげなくも見事に盛られている。『啜る』で始まることによって歌中では言及していない、落語家の上演中の蕎麦を巧みに啜る仕草と対比させているのだ。これが『食べる』だったらその巧拙を表現しきれないだろう。八・六の破調も拙い啜り方を効果的に伝える修辞といえよう。また、この秀作の舞台が屋台や屋敷や信州や老舗の蕎麦屋ではなくて、ファミレスチェーンの和食麺処サガミってところも抜群にいい。落語家の市民感と、市民の臨場感と、至極のリアリティがそこに鮮やかに宿った。


はるはると虹がたわめば街中の送電線から蜜のスパーク
(東京 櫻井朋子)

 つい先日の東京歌壇にてシロップまみれだった櫻井氏を見かけたが、今回は蜜のスパーク、どんだけ甘党なのだろう。とはいえ、この作品には執拗なほどの甘味はない。緊張と緩和の中に、むしろ早春の爽やかな空気感が存在している。雨後の筍のように生き生きとした電柱から放たれた電線を伝う言葉たちは、きっとみな春の喜びに溢れていることだろう。憂慮などない街中に煌めき滴り落ちる蜜のそれぞれは、紛れのない喜びであり、憂さ晴しであり、期待であり、愉楽なのだ。読者をそんな気持ちにさせる主要因は、初句の『はるはる』というオノマトペにあるのだろう。歌壇では初めて目にする畳語のオノマトペだ。この畳語を用いたことが一首全体に途轍もない効果を発揮している。『はるはる』は虹にかかるオノマトペだからどこか麗らかな印象があるが、訪れる季節の『春』であり電線の『張る』でもある。その『はる』を『はるはる』と二つ重ねたことによって期待感や高揚感がすでに最高潮の域へ達する。しかし二句目には『たわむ』が現れる。緊張がいったん解かれるが、三句目で街中へ視線を下げると、四句目で送電線が張り詰めている。『たわんだ』愉しさを目にした作者は、虹と送電線の逆転現象を詠ったのかもしれない。そして結句では一気に蜜がスパークする。クリスタルピアスのような閃光が降り注ぐ街並みが見事だ。『はる』を二つ重ねた初句から畳みかけてくる、あり得ない現象のすべてが正論と思えてしまうから、なんとも巧妙で不思議な作品だ。そして作者名にも貝が二つ、月が二つあって、これらもまた銀と金のピアスのように耀いている。颯爽と街を歩けばうなじから水菓子の香を放つ詩人だ。



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