村弘氏穂の日経下段 #57(2018.5.12)
たまごかけごはんみたいな陽だまりの道路に銀色のおばあさん
(枚方 久保哲也)
枚方の久保氏の欄に久方と書きそうだったほどに久しい。イギリスの絵本作家のような描写で詠い上げる久保氏のファンとして心待ちにしていた一首だ。それにしても、なんてやさしい歌なんだろう。目にする世界のあらゆる対象と愛情を経由して繋がりを持つ作者の本領発揮といったところか。ほぼ平仮名で綴られた上の句は、平坦で穏やかな春の日の舗道や遊歩道を連想させる。そこには車なんて走っていない。この、ゆっくりと読ませる修辞技法によって読者は、その静かな道路の傍らに身を置くことができる仕組みだ。読み進めた者はもう陽だまりの中にいる。下の句の銀色は銀シャリのシャリの序詞だろう。結句を『コシヒカリ』にすれば、至極のランチとなるところなんだけど、唐突に現われたのは銀髪の『おばあさん』だ。読者を最後の最後まで引っ張ってから「あっ」と完成させた絵本の中にもう一度「はっ」と引き込む手法が心憎いほどに巧みだ。言うまでもないことなんだけどあえて言わせてもらうと、いわゆる特Aのブランド米には五文字のものが多い。人気のコシヒカリをはじめ、ななつぼし、ゆめぴりか、ひとめぼれ、みずかがみ、あきさかり、きぬむすめ、夢つくし、ヒノヒカリ、さがびより、夢しずく、あきほなみ、などなどだ。『おばあさん』というブランド米で、たまごかけごはんやおにぎりを作って陽だまりで頬張ったら、どんなに美味しいことだろうと思わせる名作だ。
画一化してたい君に選ばれたSNSの写真はおにぎり
(東京 上坂あゆ美)
引っ張って結句に置いた大オチがおにぎりだから映えた作品。もしこれがパフェやパンケーキだったら「へー」とか「知らんがな」でスルーされてしまうところだ。『君』にとってフォトジェニックは二の次なのだろう。投稿画像が映える映えない以前にある、自己に与えた規律のほうが重要なのだ。一連の投稿が揃っていることに『君』は第一の意味を見出しているのだから。SNS映えの三大要素っていうと、カラフル、非日常、規格外、といったところだろうか。その点でいうと、おにぎりはカラフルどころかほぼ白黒の二色だ。非日常どころか現代のコンビニ世代の日常の代表食だ。しかもほとんどが似たり寄ったりのサイズ感だ。もちろん、色とりどりの具材が頭をのぞかせている可愛らしいおにぎりもあるけど、その名はやっぱりおにぎりだ。ときに、おむすびと名乗ったところでその凡庸な語感に変わりはない。「リコッタチーズパンケーキ!」とか、「ストロベリーマルメラータとシチリア産ピスタチオムースのいちごづくしフレジェ風パフェ!」などという商品名を画像に添えて女子の目を惹くこともできない。それでも『君』はアップ画像の対象として「おにぎり」を選定したのだ。自己に課した画一化することの大義のもとに。その体系は自我を統治するイデオロギーなのだろうか。没個性もそれが統一化されれば、立派な個性に成り得るのかもしれない。同時にそれは人としての個性でもあり、揺るがない『君』さえも愛しく思えてくる秀作だ。