人類規模で考える成功と失敗の総量
最近、歴史の本をよく読んでいる。僕は「ヒト」という動物の一種だ。今に至るまでヒトが何を考え、どう生きてきたかを知ることで、不確実性溢れる未来に対処することが可能になると思っている。全く同じ出来事は二度と起きないけど、似たような出来事は再び起きる。歴史は繰り返すとはよく言ったもので、繁栄から衰退に至るまでのストーリィどの歴史も似通っていて興味深い。
その中でひとつ気付いたことがある。それはヒトは成功より失敗の方が圧倒的に多く経験しているということだ。イメージはこんな感じ。成功はごくごくわずか。圧倒的に失敗の方が多い。
例えば狩猟採集時代に生きたヒトたちのことを考えてみよう。文字通り彼らは獣を「狩猟」し木の実や山菜を「採集」し食べることで生きていた。つまりその日暮らしだ。今日食べるものは今日獲る必要があり、明日のことは明日になってから考えればよかった。
彼らは生きるために、文字通り死ぬ気で狩りをした。しかし一番最初に狙いを定めた獲物が捕まえられることなど滅多にない。何度も逃してはまた次の獲物を見つけ、追いかける。また逃しても次を見つけ追いかけるを繰り返す。なぜなら狩ることができなければ、こっちが死んでしまうからだ。だから何度失敗しても狩に成功するまで追いかけ続ける。仮に99回失敗しようが、最終的に1回仕留められれば全て解決するのだ。
失敗から反省し学ぶことはあっても、悔いてる暇などなかったはずだ。そんな暇があったら、次の一匹を探す。何回失敗しようが関係ない。最後の一回の成功のために、今日も生きるために、彼らは荒野を走り回ったのだ。
失敗といえばエジソンを思い浮かべる人もいるだろう。一説によれば彼は電球の発明の際、フィラメントに適した素材を見つけるために2万回もの実験を行ったらしい。そして2万回の失敗の末にやっと出会えたのが京都の石清水八幡宮の竹だった。
2万回の失敗を経て誕生した白熱電球に初めて明かりが灯った1879年12月31日。集まった3000人を超える聴衆は、暗闇を真昼のように照らす白熱電球に感嘆の声を上げた。「私は失敗したのではない。1万回うまくいかない方法を発見したのだ」という有名なエジソンの言葉の通り、何回失敗したかは全く問題ではない。それまで経験した何万もの失敗は、たった1回の成功によって報われたのだ。
このように、失敗の方が成功よりもずっと多いという事例は枚挙にいとまがない。野球経験者ならご存知だと思うが、バッターは打率が3割あればいい選手だと評価される。裏を返せば10回打席に立って7回凡退でもいいのだ。これはプロでも同じだから、トップ選手ですらヒットを打つ回数より凡退する回数の方が遥かに多い。
「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎない。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である」
ホンダの創業者 本田宗一郎は、自らの事業の成功と失敗を振り返りこう語った。ホンダですら数々の試行のうち、99%失敗している。しかし1%の成功だけで世界に名を轟かす大企業にまで成長したのだ。
狩猟採集時代から現代に至るまで具体的な成功と失敗の比率について述べてきたが、その他もろもろ、今に至るまでの人類の歴史に存在した成功と失敗の総和を取ってみたら、どうなるだろうか。きっと間違いなくこうなる。
1000兆にもおよぶ失敗のうち、成功はたった1兆。この兆という単位も1:1000という比も適当だが、とにかく僕が伝えたいのは人類規模で考えると「成功の数なんてほんのわずかで、圧倒的に失敗の方が多い」ということだ。そして失敗の方が圧倒的に多いにも関わらず、ほんの少しの成功があっただけで人類は繁栄を極めている。
以上から導き出されるのは「失敗するのは当たり前」というありきたりな結論だ。ただ、ヒトは嘘をつくけど、数字は嘘をつかない。「失敗するのは当たり前」と耳にタコができるくらい聞いても納得できなかった人でも、この言葉が何十万年にもおよぶ人類史から導き出された結論だと聞けば合点がいくのではないだろうか。人類規模で考えて成功1兆に対して失敗が1000兆、この比は一個人にも当てはまる。要するに、1000回失敗して1回成功するくらいで当然なのだ。
そう考えると、失敗に対して前向きになれる。受験に落ちた、好きな子にフラれた、試合に負けた、面接で落ちた、起業して失敗した、などなど。それら全て、人類が今まで積み重ねてきた1000兆の失敗のうちの1つでしかない。些細なものだ。取るに足らない、気にかけるのも無駄なちっぽけな失敗だ。だったらいつか成し遂げる1回の成功のために、日々精進した方がよっぽど生産的ではないだろうか。その1回の成功には、今までの1000回の失敗を全てペイし、さらにはお釣りがたんまりくるほどのインパクトがある。これは綺麗事ではなく、人類の歴史が物語っている。1000兆の失敗に対し成功は1兆だけ。しかしその失敗の総数の1000分の1の、たった1兆の成功が今の人類の繁栄を築き上げたのだ。だったら僕たちも、堂々と1000回失敗できる。なぜなら、人類の歴史が1000回失敗しても大丈夫だと物語っているからだ。
悩みやストレスはより大きな規模で、視座高く捉えると解消されることが多い。歴史を学ぶことは多いに役に立つ。ぜひ困ったとき、立ち止まったときには歴史の本を読みながら、人類規模で考えてみてはいかがだろうか。
それでは素敵な1日を。