商売優先主義の歪み



ロケチキ通信27(これはスタッフ向けに書いたLINEをコピペしたものです)




とある有名百貨店から出店オファーがあり出店しました。
閉店になった時、コロナの影響もあり、周りのテナントもすごく商品が余ってしまってた。 レジをしめようと思ったけど、ある光景を見て手が止まってしまった。 向かいのお店の焼き鳥屋さんが、ざっくり計算しても100本くらいの焼き鳥を捨てる作業をしていた。

いてもたってもいられず本能的に声が出た『それ捨てるならもらえませんか!』と言った。そしたらやはりパートのおばちゃん達も捨てるのは本当に辛かったみたいで、大量の余った商品をパック詰めして自分にくれた。


そこまでは良かった…



仕事を終えて、百貨店を出ようとした時、警備員に止められた…


その大量の食べ物が入った袋を持ち出すことを指摘された。持ち出すのであればレシートか、持ち出しの許可の紙が必要だからってことで、建物からの退出を拒否されてしまった、出れないし帰れないけど捨てれないのでとりあえず自分達の売り場に戻った。


警備員の彼らにとってはそれが仕事であって、そう教育されているのだから、真面目に仕事を全うしたまで、彼らを責める気は無い。

売り場に戻ってスタッフたちと一緒にどーするか考えた、隣の売り場のベテラン女性スタッフに相談したら、『百貨店から多めに作るように指示されてるからね、私がマネージャーの許可とってきてあげる』と言ってくれた。

しかし、マネージャーからは直接申請に来いと言われたらしく、結局自分がマネージャーの元へ向かった。

『今回は許可を書くけど、これから絶対にやめてください、もったいないかもしれないけど決まりだから、今後絶対にダメです』とこっぴどく怒られた。 もうイライラしすぎて悲し過ぎて、悔し過ぎてどうしようもなかった。 なぜそんな気持ちになったかって、自分が怒られたからそんな感情になったわけじゃない。そんなしょーもない話ではない。

自分から無意識に出た返答は
『先進国の歪みですね。自分途上国に住んでたりもしたので、こーゆうの本当に苦しくて仕方ないです』と言って事務室を出た、本当はあと100倍くらい言いたかったけど、これもまた同じで、マネージャーは真面目に決まりを守ったにすぎず、きっと良いマネージャーだと思う。

でも、やっぱ相当アタマの中で凄まじく引っかかることがある…

『食べ物が食べれなくて死んでく人もいるのに、今捨てたその食べ物があれば、どんなに幸せに食べてくれる人もたくさんいるのにも関わらず、、、!!!!。
多めに作って、売れ残ったら絶対に捨てなければいけないと徹底されている商売のルールもある…』



ってゆう歪みがすっごく引っかかるわけです。というかマジで苦しい、苦しいんですマジで、苦しすぎる。

経済的には合理的かもしれないけど、人間的にめっちゃ非合理な気がする。

実は最近、百貨店への出店が増える中で、余った商品の廃棄を何度も何度も目の当たりにしている。 半端じゃない量ですマジで。普通の人が見たら本当に驚くと思う。

飢餓に苦しんでる人が見たら、マジでぶっ殺したくなるかもしれない。

経済的な合理性だけ追求して、環境や人類に対する合理性などはずーーーっと後回しにされている…この歪みを見るたびに本当に苦しくなる。 これが先進国か?そんな先進国ならばクソッタレだとマジで思う。
なんのリスペクトも見出せない。


そんで、やはりこれを思い出す。


ハンナ・アレントというユダヤ人哲学者の『エルサレムのアイヒマン』という本はめちゃ有名だけど、この本が伝えたことは『無思想なマジメ人間ほど、いとも簡単に残虐な行為を行う』っていうこと。

この本はナチスドイツのもとで働くアイヒマンという男がユダヤ人虐殺に関する仕事をこなし続けたが、彼はただ淡々と真面目に上の指示を聞いて仕事をし続けてただけだ。

だから無罪だと主張した。


このエルサレムのアイヒマンの話とすごく似ている気がする。 多分あの焼き鳥を捨てまくっていたパートのおばちゃんも『もったいないけどルールだから』と思ってる。 自分を止めた警備員さんも、自分をこっぴどく叱ったマネージャーも『もったいないけどこれがルールだから』と真面目に働いてるだけだろう。この方々をディスってるわけではなく、自分もそこでずっと働いていたらそうなっているかもなって思う。だからその方々を責めることはできない。



利益追求を求め続けた結果、お客様至上主義になりすぎた結果、どこまでこんな資源の無駄を続けるのだろうか…。 どこまで環境への合理性を徹底できないと人類の未来はないとマジで思う。 

日本は食品ロスは世界一、 食品ロスってのは『まだ食べられるのに廃棄するもの』のこと。いちごの形が悪いから売れない?(味は一緒なのに)。 たくさん作って残るくらい商品陳列しておく(捨てるのわかってても?)。 この歪みを本当になんとしなくちゃいけない気がする。


自分達は先進国で何不自由ない国に生まれた、だからそれはラッキーなことだから、そのラッキーを十分に甘えれば良いと思う。 無理に我慢する必要はないし、ラッキーを十分味わえば良いと思う。

だけどさ、だけども!

わざわざ余るように飯を作って、バンバン捨ててもいいのだろうか? いま捨てられた料理を土下座してでも食べたい人もいるだろうに。 今まではそれで良かったかもしれないけど、もうそんな時代は終わった。 絶対に絶対に間違ってる。

クールじゃないしダサい。 はいぱーダサい。そんなんで金儲けしても1ミリも嬉しくない。



さて、話は戻す。


その大量の捨てられるはずの料理を持って、マネージャーから怒られながらも許可証をもらって、警備員のゲートから抜け出すことができた。 繁華街のアーケードを通っていると無数のホームレスの方々が隅っこにポツンポツンと座っていた。 『飯たくさんあるよ、みんなと分けて食べて』と言ったら、とても嬉しそうに、みんな寄ってきて分け合っていた。

そのホームレスがなんでホームレスなのかは知らない。もしかしたらめちゃがんばったのにホームレスになっちゃったかもしれないし、怠け者のダメ人間でホームレスになったかもしれない。そんなのは知らん。

その日から出店の最終日まで三日間、毎日捨てられるはずの商品を大量にもらって、隠してゲートを出て、 カプセルホテルに向かうまでに無数にいるホームレスにあげた。 

こんな行動が増えすぎたら、ホームレスはもっと増えるかもしれないし、働かない人が増えるかもしれないし、悪い面もたくさん出るだろう。

でも事実が一個だけある。

『捨てられるはずの料理が、捨てられずに誰かが食べた』ってこと。 


こんな当たり前のことさえも先進国の今までのビジネスの倫理観にはない。 もう日本なんて国は素晴らしい国でもなんでもない。

いつも言ってることだけど『優しさとは=行動』だと思う。ほとんどの人は優しい、だけど優しさとは行動に移してはじめて優しさになる。 みんな子供ができたら『優しい子に育ってほしい』と心底思うだろう、それならばその優しい気持ちを行動にまで移せるようにしないとダメだと思う。これは難しいことだけど。

いまだにユダヤ人の間でとても有名な日本人がいる、『杉原千畝(すぎはらちうね)さん』。 彼はリトアニア駐在の外交官だった、第二次大戦時に日本やドイツの命令に反して、ユダヤ人に出国ビザを与え続けた人。 彼は彼の正しいと思う倫理観に従って、ビザを発行し続けた。『命のビザ』 『東洋のシンドラー』などと未だに英雄として語られている。

誰にどう言われたかじゃなくて、『それはおかしい』と思う自分自身の倫理観に従って、行動し続けた。 あの時代にこの行動をとったことって、マジですごいことだと思うな。

話はそれたが、食べ物捨てるのほんとやめよ。百貨店こそそーゆう取り組みしてほしいです。

こんなこと書いたら百貨店からのオファーなくなってしまうかも…って思ったけど、このブログ見てる人なんてめっちゃ少ないし、とにかく書かずにはいられなかった。
もーマジでこーゆう時代は終わりにしようよ、クソだせーって本当に。





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