見えてる世界と見えてない世界
最近つくづく思うことがある、ほとんどの世の中の動向(トレンド)もしくは世間的な価値観は『見えてる世界』の中で作り上げられているんだなってこと。
どうゆう意味かと言うと、クリスマスひとりぼっち、いわゆる『クリぼっち』とか、年越し一緒に過ごす人がいない…など。
あたかもすっげー孤独なように感じる。
だけど、実際そーゆう人の方が大半なんだと思う。以下の記事を読んだ。
20代で交際経験ゼロが男性の約半数になっている、29歳も20代だからね。
自分はとくにモテたわけでもないけど、学校でも目立つ側の人間として育った、ナンパもしたし、ある程度は若い時にワイワイやってきた。だから、あまりその陰キャ側の視点は持ち合わせてないのかもしれない。
先日まで出店していた、クリスマスのイベント、若いカップルが押し寄せていた。
あたかもこの風景が、世の中の若者の全てのように見えてしまうが、実際には20代の約半分が交際経験ゼロなのだ。
ということは、ここにきてる人たちはどっちかと言うと『交際とかデートとかできてる組』の集団なんだな…
思えば、イギリスのブレグジット(EUから離脱するか否かの選挙)も残留派が勝つと言われながら、離脱派が勝利した。
思えばトランプ大統領の時も、最後の最後までヒラリーが勝つと予想されていた。
クリスマスにひとりぼっちとか、年越し寂しいだとか、その気持ちは分かるが、それはあくまで『見えてる世界側の孤独』であって、かなりの大部分は見えてもいないし、語られれてもいないし、ネット社会で認識されることもない層がいるんだと思う。
だから、
『自分は苦しい』『自分だけ不幸だ』と思ってる人は、まず、けっこうみんな苦しいんもんだよ、寂しいもんだよ、自分だけ苦しいってもんでもないよっこと。
世の中は見えてる世界の意見を中心として進んでいくしかない、それも受け入れることは必要、自分は商売人なのでとっくにそこは受け入れてるから、寂しさも苦しさも必然と思ってるから、あんまダメージはない。
でもそれを俯瞰できないと苦しいと思う、それって進めば進むほど残酷な未来が待ってるような気もする。