知らないおじさんの車に乗った
先日、道を歩いていたら、僕の前方の駐車場に車が入ってきた。グレーの高級そうな車なのだが、その窓からひげのおじさんが顔を出して、何かを僕に聞いてきた。よく聞き取れなかったが、道でも聞きたいんだろうと思って、近寄ってみた。
「学生さんでしょ?」というので、
「はい」というと、
「さっき大学に行ってきたんだけど、伝票の数が合わないんだ…」
このおじさんいわく、自分は服を売る仕事をしていて、大学の先生や職員に服を届けたりしてるけど、さっき服を三〇着売ったはずだけど伝票が三二枚あって、服が二着分あまってるらしい。つまり、実際三〇着売ったのに、三二着売れたことになってしまったらしい。
「で、いつも大学にはお世話になってるしさあ。こういうときに学生さんにでもお礼のつもりで、(つじつまあわせで)二着服をあげようと思ったんだけど。いちおうおじさんもビールとか飲みたいしさあ、うちもいいものあつかってるから、気持でいいからいくらかくれればさあ、ほらおじさんもビール飲めるし、服は財産として残るものでしょ」
なんだろうこの人は、つまり服を買えって話か?
僕も急にこんなことを言われて、話の内容を分析しようという気分にはならなかったが、とにかくこのおじさん怪しいという警戒心がまず第一に働いた。そういえばマギー四郎と筒井康隆を足して二で割って、一を引いて、悪の心を足したような顔に見える気がする。
「きみはどこの人?」
「出身ですか?群馬ですけど」
「ああ、群馬にもたくさんあるようちの店。紳士服のアオ○って、知ってるでしょ?」
「ああ、ア○キ…」
確かに紳士服のア○キは知っているが、この人はほんとに○オキの人なのか?
「でも学校にはアオ○のおじさんがなんか言ってたとか言っちゃだめだよ、これおじさんが個人的にやってるんだから」
この学校には言うなというところが怪しい。
その後もこのおじさんは同じようなことを繰り返し言い続けた。
「いまここにいくつか服あるから気に入るのがあったらあげるけど、そのかわりおじさんにビール代すこしちょうだいよ」
さらに
「今いくら持ってるの?おじさんもこうやって腹割って話してるしさ」
と僕の財政事情にまで話が及んできた。なんとも図々しいオヤジである。
おじさんの質問に適当に答えていると、おじさんは後ろの座席からスーツなどを取り出して僕に見せた。
「こういうさ、『ばれんちの』とか知ってるかい?こういうのを買ってくれる先生はあまりいないなあ。どうしてもスーツがよければそれでもいいけど」
まあ、いいブランドのものなんだろうけど、僕にはあまり興味がない。
「いくらなら出せるの?」
なんて聞かれたので、ここは相手の反応を見るためにさぐりを入れてみることにした。
「まあ五千円くらいですかね」
「五千円かあ、もう少しがんばれないかなあ。たとえばこの服だって、普通に買うと八千円するんだよ。さっきのスーツだって三〇万だよ」
いったいこのおっさんはいくらのビールを飲もうというのか。まあこういうタイプのおっさんはどこかそういう店で酒を飲みたいのだろうが。
「まあ、暑いから車の中入りな。クーラー効いてるから」
うわ。とうとうきた。このまま車に乗ったら僕はどこか遠くに連れて行かれてしまう。そして最悪の場合、連れて行かれた先でしまっちゃうおじさんにしまわれてしまう。
これは怖かった。小さいころから「知らないひとの車に乗ってはいけない」と、学校の先生に言われてきたのだ。ここで車の乗ったら何をされるかわからない。
しかし、ここで車に乗ったほうが後ではなしのネタになるという誘惑もあった。しかもそのころミスターチルドレンのCDを毎日のように聞いていて、「どんな事が起こるんだろう?」とか「どんな化学変化起こすか軽くゆすってみよう」とかのフレーズが頭に残っていたため、ここは思い切ってこの車に乗ってみようと思った。
ためらいがちながらも、助手席に回って座席に座った。
怖くて仕方ないので、軽くドアを閉めたら、
「半ドア」
と注意された。それだけでもこっちは気が気ではない。
さて、車に乗ってからも、おじさんは普通に話しをしてきた。
「これ長袖じゃなくて半そでなんだよ。この赤とか、君色白いから似合うと思うよ」
とか。で最終的に。
「いくら出せるの?」
という話になったので、
「いや、出せません。服は自分で買うんで…」
と答えた。すると
「じゃあだめだ。ただでやるわけにはいかねえから」
とおじさんがいうので。
「ではしつれいします」
と言って車の外に出て、逃げるようにその場を去った。
あのおじさんはたんに人のいいおじさんだったのかもしれないが、僕としては九死に一生を得たような気分だった。
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今はすっかり静かなバーの似合うナイスミドルになった中井佑陽ですが(行ったことはない)、大学生だった頃もあります。そんな若かりし頃に書いたエ…
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