「決心」があればどこでも行ける【出口光】
理想の社会を創りたいと思った小学生時代
皆さん、こんにちは。
あなたは小さい頃、妄想を持っていましたか?
小学校の頃から、
私には一つの妄想がありました。
「理想の社会を創りたい」
とあなたは思ったことはありませんか。
私には小学生の頃からその想いがありました。
そして
「こんなちっぽけな、能力のない
自分にはとてもできない」
と一生懸命その想いを
打ち消していました。
自分の心の中の会話は
「頭も悪いし、体も弱い。
とても良い世の中を創ることなんて無理だ!
じゃあ何をして生きていけば良いのか?
それもわからない!」
本当にやりたいことはありながら
その突拍子もない考えを必死で打ち消し
諦めながらも懸命に生きようとしていました。
人生は面白くないのは当然ですよね。
本当の想いを諦めて生きていたはずなのに
様々な人生の岐路に直面すると
その困難な道を行くことを選択していました。
前回お話しした空海の言葉に
「ちまたに臨んでいくたびか泣く」があります。
【前回の話はこちらから】
偉人ですら自分の道を選択できずに嘆く
私はこの空海の嘆きにどんなに
力づけられたかわかりません。
なぜなら空海のような偉大な人でさえ、
自分の道を選択できずに嘆いていたからです。
これから私の嘆きを何度かに
渡って描いてみたいと思います。
私の人生で2つの想いが常に葛藤していました。
一つは、良い世の中を創りたい。
もう一つは、そんなことできるわけがない。
ディズニーの漫画で出てくる
天使と悪魔の声のようなものです。
私はこれをやりたい!というものもなく
入学した慶應義塾大学では、
実験心理学を勉強していました。
私の先祖は
出口なおと出口王仁三郎という二人が
大本という宗教を開き、
戦前多くの人々に影響を与え
国家から二度の弾圧を受けました。
そんな先祖を持っていたので、
こんなちっぽけな自分では
できないと思うのは当然かもしれません。
宗教というスピリチュアルな世界から抜け出し
「心」を全く扱わないで科学的に
人間を研究するという行動分析学を選んだのです。
「そんなことができるのか」
という否定的な想いがある一方
科学的に人間を理解するという
アプローチに少し惹かれたというのが
本当のところだと思います。
大学三年の終わりの春休みに
指導教授の佐藤方哉先生に
就職の相談に行きました。
そのころは、大学の先生が
ゼミの生徒の就職の面倒を
見ることは先生の仕事でもありました。
でも私には、
何もやりたい仕事がなかったのです。
しかもこんな自分は、
将来何をやってもダメだと思っていました。
行く!と決心すると…
先生の研究室にある椅子に座ると
「キミは、将来何をやりたいんだ?」
との第一声。
とっさに
「先生、アメリカに行きたいと思います!」
「そんなことを訊いているんじゃない。
どんなところに就職したいんだと言っているんだ」
佐藤先生は、本当に厳しい先生で、
私だけでなく学生は皆、戦々恐々としていました。
私は
「商社に入ってアメリカに行きたいと思います!」
「商社に入ったからと行って
アメリカに行けるとは限らないんだ。
キミの先輩で商社に就職して、
アフリカで10年も仕事をやっているのもいる!」
「あ、アフリカですか。アメリカに行きたいんです」
「第一、商社に入ると
英語の試験があるんだぞ。
キミの英語の成績ではとても
外国には行けない!」
先生は、机の上に積まれた
書類の上にある一枚のペーパーを取り出し
「米国のカンザス大学の
ベアー先生のところで勉強してみないか。
応用行動分析学のメッカと言われている。
この学部の大学院は全員が
応用行動分析学派の教授だ。
私もサバティカル(一年の研究休暇)で
この大学で研究をしたんだ。
もし行く決心が
ついたら推薦してあげるよ!」
「え、先生、留学ですか!」
「当たり前じゃないか。何を訊いているんだ!」
「わかりました。親と相談してお返事します!」
成績の悪い私は、
留学など全く考えもしていなかったのですが
帰り道では、なんと行く気になっていました。
このまま就職してもろくな
人間にならないと思ったからです。
夜、父親に電話をしました。
「佐藤先生が、アメリカの大学院に
留学したらどうかと言われた。行きたいと思う」と。
私が何も勉強していないことも
ひどい成績なのも知らない両親は
「先生がそう言われるなら
留学したらいい。やるなら最後までやってこい!」
翌日、佐藤先生のところに行くと
「え、ほんとに行くのか。
キミの成績ではとても
ベア先生に推薦できない。
しょうがないキミの心理学の
科目の成績を書き換えよう」
かくして私の心理学の科目は全て
B を A に。C を A に
D を A にまで
書き換えたか
どうかはわかりませんが、
とにかく優秀な成績にしてくれたのです。
そして大学院の博士課程の先輩の丁稚をやれと
1年間朝から晩まで
先輩について実験のやり方から
考え方まで鍛えて頂きました。
そして米国のカンザス州に飛び立ったのです。
何が待ち受けているかも知らずに!
つづく
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