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『終焉の家』

タイトルいきなり怖くてすみません。全然怖くないのでご安心ください。こんにちはこんばんは、あるいははじめまして。今回はちょっと長めのお話です。

奄美大島を代表する画家の一人に、田中一村さんという方がいます。ここ数年、テレビで特集が組まれたり、上野の東京都美術館で回顧展が催されたりしたのこともあって、ご存じの方も多いかもしれません。
(例によって例のごとく私は父から教わるまで存じ上げなかったため、大変恐縮に感じながらこれを書いています)

島出身の方ではないながら、50歳で単身奄美に移住。紬工場で働いて、制作資金が溜まったら仕事を辞め、ひたすら絵を描く。貯金が尽きるとまた働いて描く。そんな暮らしを続けていたそう。亡くなるまでの19年間、奄美の自然を見つめ続けていた方です。

今回は、そんな方に関するすこし不思議(かもしれない)おはなし。

一村さんも沢山描かれているアダン。パイナップルみたいなのにヤドカリしか食べない。
サンゴの削れた白い砂浜に、強い影が濃く焼き付いていく夏。

久しぶりに島に帰ったとある日のこと。父の運転する車に乗って、奄美大島の中心街、名瀬へ向かっていた時です。不意に『田中一村 終焉の家』という看板が目に入ったので、父に「田中一村さんって、あの一村さん?」と尋ねました。どうやら、お家がまだあるらしい。しかも、「この先300m先」にあるらしい!

その時の私は書籍をすっかり読んでいたので、すぐさま「行きたい!」とねだり倒しました。

日本のゴーギャン 田中一村伝』(小学館文庫)

父自身、一村さんの絵と制作に賭ける思いには胸打たれるものがあるらしく、かくして我々は民家の間を自家用車でノロノロと進み、「そこの道じゃないか」「あれ、こっちじゃないか」などと言いながら、ようやく『田中一村 終焉の家』にたどり着いたのでした。

ご近所さん方の邪魔にならないあたりに車を停めて、山へ続く小路の脇を流れる水路を眺めていた時。翡翠に輝く美しさの塊が、山のほうからすっ飛んできました。私のすぐ目の前を飛び過ぎたカワセミは、雨上がりの新鮮な緑葉のような、それでいて森の奥深くでしっかりと時間を過ごした苔むした群青のような、とにかくありとあらゆる青と緑の宝石を詰め込んだような色をしていました。水に濡れて光を銀に煌めかせる羽ばたきが、一瞬だったにもかかわらずスローモーションのように飛び込んできて、目を奪って過ぎたのです。呼吸を忘れて軌跡を追いますが、その時にはもう素早いハンターは林の中へ姿を隠して、何の痕跡も残されてはいませんでした。今思えば、この時のカワセミの襲来で、頭のどこかがすっからかんになり、正常な判断が出来なくなっていたのかもしれません。

思いもしなかった眩い衝撃にボーっと呆けたように突っ立ってしまい、父に呼ばれてようやっと『田中一村 終焉の家』が建っている、広場のように開けた場所へ足を踏み入れました。後から知ったことなのですが、そこは「ずっと一村さんが住んでいた場所」ではなく、二度の移築を経て現在に至っているそうで、ここも実際に住まわれていた場所から2キロほど離れている場所なのだとか。とはいえ、実際に一村さんが住まれていたというお家。他の来訪者がいらっしゃらなかったこともあり、静かに、けれど確実にワクワクした空気を全身からほとばしらせつつ、家の周囲やすぐそばの景色を貸し切りで満喫させていただいたのでした。

10年前の『田中一村 終焉の家』にて

残念ながら全ての雨戸(木製)は閉じられていて、中を伺い知ることはできませんでした。「お堂に似た印象を抱いた理由はこの雨戸のせいかもな」などと思いつつ、ふと再び家へと目をやると、こちら側に面した雨戸の一部に、それこそ本当に「のぞき穴ですこんにちは」といわんばかりの大きさの穴が開いていることに気が付きました。同じくそのことに気づいた父親が、腰をかがめて覗き込み、少ししてから私にも覗くようにと促してきます。普段なら絶対にそんなことをしない人なので、思い返すとむしろそっちのほうが不気味なほどでした。

中に、何か、怖いものがいれば。先に覗いた父が言うはず。正直ものすごく怖い。でも、一村さんのお家だったお家なのだし。由来のおかしなものではないし。そう思いながら少し近づいて、離れたところから様子を窺ってみましたが、当然雨戸が完全に閉められた室内に採光はなく、黒い小さな穴は黒いままでした。なんとなく背中がゾワゾワする本能を無理やり押し込んで放り出し、えいやっと覚悟を決めてその穴を覗き込みます(今思い返しても「どうして」でした。普段なら絶対にしないことですし、決して褒められたことではないとも思います)。すると。

「「キャハハハ!」」

タイミングが良すぎて夢を見ているかと思いました。不思議と怖いとは思いません。幼い男の子と、女の子。二人が同時に笑う声がしたのです。家の中から聞こえたのではなく、どこか遠くから、それでいて頭の中の記憶の端で笑ったような。けれど確実に耳が聞いた声。すぐそばにいた父に尋ねても、「いや、聞いてないけど」と首を振ります。「近くの家の子が遊びに来たのかな」くらいの雰囲気と距離感だったので、思わず家の周囲を見回って、近くに誰かいないか確かめたくらいに、日差しに溶け込んでまったく違和感のないその声。山から湧き出した水のように澄んで悪意もなく、ただただ心の底から楽しそうなそれ。

奄美をはじめとする南の島には、木々を住処とする精霊がいると言われています。時に妖怪とも呼ばれる彼らは、この島においては『ケンムン』と呼ばれ、昔から愛され、恐れられてきました。長い手足に毛むくじゃら。頭には河童のような皿があって、この中の水が零れると元気をなくしてクタクタになってしまうそうです。カタツムリや魚の目玉、そして相撲が大好物! 苦手なものはグネグネのタコ。江戸末期には既にその記述が書物に残されているくらい、有名で人気な存在です(戦後、GHQの命令で島の木々を伐った折には、アメリカまでいってマッカーサーを呪い殺したという逸話も残されているほど。そのくらい、身近でもあり、恐れられているそう)。

私が聞いたあの声を、本土に伝わるお話と照らし合わせるのなら、一番近いのは座敷童の類、なのかもしれません。けれど、美しいカワセミと、耳にうるさいセミたちと、山々を走り抜けて吹く風の中では、その子供たちの嬉々とした声は私にとってはすっかりケンムンで、正体がどうだとか空耳がどうだとかは「どうでもいいな」と感じるほどでした。一人で南の島までやってきて、亡くなる直前まで人生を賭けて絵を描いた人の、そんな姿が島の存在に「面白い」と思われないはずがないのではないか。一村さんが筆を重ねていく姿を、一体どんな存在が見ていたのだろうかと考えると、『孤高の画家』などと呼ばれた一人の人が一人きりで絵に向き合っていた日々は、決して一人きりではなかったんじゃないかという気すらしてきます。

島の北部から海を臨む

一村さんの絵を通して感じる奄美大島と、その絵たちを見た後だから気づける島の魅力。「何も特別なことなどないよ」という島の人たちの特別素敵な当たり前のあたたかさ。画家として生きた一人の人生を魅了し続けた、奄美の自然と人々の日々。次に奄美に帰った時には、十数年ぶりに一村さんのお家を訪ねられたらいいなと思います。怖いもの見たさは絶対だめですし、人様のお家を覗くのもいけないことだぞと自戒を込めて。

ストレリチアの咲くころに

今日もお読みくださり、ありがっさまーりょーた!

追記
ヘッダーのおじいちゃんは、奄美パークの有名人。親戚が人形と気づかず「暑いですねぇ」と話しかけてしまったくらいにとても素敵なおじいちゃんです。私は勝手に「いもーれ(ようこそ)じいちゃん」と呼んでいるのですが、このおじいちゃんが出迎えてくれる奄美パークの中に『田中一村記念美術館』があり、年に四回入れ替わる常設展では常に一村さんの絵を見ることができます。空港からすぐのところなのです、島に行かれる方は立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

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