また・・・
先日、同業者の方(Aさんとします)が亡くなられたと家族の方から連絡がありました。
同業者といっても、Aさんは昭和7年生まれ御年93歳の大ベテラン。以前に一旦引退を決意されましたが、諸事情で現役畳店主として続けてこられた方です。
Aさんと私は知り合ってからまだ3年ほどです。
一度引退をしようとされた際に車の運転免許を返上してしまい、その後は車が必要な仕事は手伝ってもらっていたそうですが、その手伝っていた方も体調を崩されたとかで「若いのおらんか」と探されていた時に「東住吉にこんなんおる」と共通の知人に紹介されたのが出会いでした。
その後は気に入っていただけたようで、仕事の注文がある度に声を掛けてくださり、私の都合に合わせて段取りしてくださいました。
畳に限らず「職人」というのは年配者が年若の者にエラそうにモノを言うものだと思っていましたが、Aさんは決してそんなことはありませんでした。
常に穏やかで、丁寧に、しかし言うべきところははっきりと指摘される。そういう畳職人としては私はなかなかお会いしたことのないタイプの方でした。
またいくつかの畳店を職人として渡り歩いて来られたのでさまざまな技術をお持ちだったり道具を自分で考えて作ったり改良したりされていて、父を喪った後の私としては本当に教わることの多い方でした。
「手間賃少なくてごめんな」とよく言われましたが、私にとってはAさんと一緒に仕事できることが大きなことだったのでお金は二の次でした。
仕事が終わった後はいつも「お茶飲んで行きますか」と言ってコーヒーを振る舞っていただきました。
その日は朝から二人で採寸に行き、いつものように「お茶飲んで行きますか」と誘っていただきましたがあいにく私にすぐ次の予定があったため「今日はちょっと」とお断りしました。翌々日にも二人で採寸の予定があったのでまたその時に、と挨拶してAさんの店を後にしました。
翌日14時ごろAさんから電話があり材料の搬入について打ち合わせた後「明日また採寸お願いします」と言って電話を切りました。
16時半ごろに別の畳屋のBさんから電話があり、「今から畳を持っていくから表替え頼む」と言うので「はいはい」と受けたのですがそのBさんがウチに来るなり「今Aさんとこ行ったらこれから救急車で病院行く言うてたで」と。「えー僕さっきAさんと電話で喋りましたよ」「うーん、なんか急にあかんようになったみたい」
その後Aさんから連絡がなく翌日の採寸は私一人で行き、どうなってんのかなあと気を揉んでいるとAさんのご家族から電話があり脳梗塞だったとのことでした。幸い発見が早かったので今すぐどうこうということはないが、なんせ年齢的にちょっと・・・ということでした。
そして約2ヶ月後、Aさんは旅立たれました。仕事後のコーヒーをお断りしてしまった、あの日がAさんとお会いした最後の日になってしまいました。
もっとたくさん話を聞けばよかった。
もっと教わりたいことがあった。
もっと一緒に仕事したかった。
後悔も未練も尽きませんが、もはや取り返しのつかないことです。
今はただ習ったことを忘れないように、そして引き継いだ仕事をしっかりやり遂げることで恩返しをするしかない。
「故郷から送ってきたから」と野菜や果物をたくさん分けていただきました。
今年の春には「友達に釣り旅行に連れて行ってもらった」と言って立派なイシガキダイをくださいました。
短いお付き合いでしたが思い出が尽きません。
幼少期に戦争を体験し「終戦で世の中の価値観がいっぺんにひっくり返って驚いた。人間ってええかげんやなと思たわ」と話しておられました。その「人間のええかげんさ」を目の当たりにしたことが、「ええかげん」では済まない職人を志すきっかけになったのかもしれません。あくまで憶測ですが。
また一人、学ぶべき人を喪ってしまった。
Aさんに心よりの感謝を。
そして、ご冥福をお祈りいたします。