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韻律的世界【9】
【9】日本語詩の韻律論─山中桂一『和歌の詩学』
山中桂一著『和歌の詩学』から、いくつか‘参考’になる事柄を抽出します。第Ⅰ章「和歌の詩的カノン」から、日本語韻律論の「根幹」にかかわる問題と、その「韻律構成法」をめぐる議論。
いわく、五音と七音の反復を基本とする和歌の詩法は、「日本語における美的機能のもっとも基本的な発顕形式」をなしているが、詩的言語における韻律に限っていうと、「少なくともリズムの構成要素をなす韻脚と、その展開形式をさす格式とのふたつが定義項として特定されなくてはならない」。
《この点から見ると、格式だけを指す五七体、七五体、詩形にたいする名称である短歌、長歌、俳句、あるいは句切れの感覚をさす五七調、七五調などの呼び方は、まだ韻律の基盤をなす韻脚の認定を欠いている。これを何にもとめるかが、日本語韻律論の根幹にかかわる問題である。
韻文は、いうまでもなく、何がしかの韻律要素の反復旋回をもって形のうえで定義される。韻律の構成法は言語によって異なり、強/弱、長/短、高/低その他の韻律要素のうち、概して当の言語において意味の弁別にかかわらない要素によって、そうでない場合は、意味弁別を妨げないようなパタン化によって行なわれる。日本語では長短と高低アクセントが意味の弁別に関与するので、うえの原則によれば、音節の強弱を利用する、各行のアクセント核の数をそろえる、その他、ごく限られた韻律構成法しか選択の余地がない。
リズムと韻脚については、二音が一単位をなし、これが、「強弱」のリズムをになって和歌の詩律を構成しているとする、いわゆる等時拍[*]の仮説がある(川本、一九九一[『日本詩歌の伝統』])。強弱二音を一拍とする律動は、それ自体では際限のない起伏に過ぎないが、これにさらに四拍ずつのより大きな刻みが逓減しつつ被さることによって詩律が生まれると見なすのである。これはただちに、なぜ四拍を五音と七音で埋めるか、また、なぜそれを交互に繰り返すのかという疑問につながる。》(28-29頁)
引用文の最後に書かれた「疑問」に対する山中氏の応答は、「説得力のある答えは見出しにく」いというもの(47頁)。──以上、『和歌の詩学』の序論的考察から。
[*]ここで言われる「等時拍」すなわち「二音一拍四拍子」は、たとえば次のように図示することができる(『日本詩歌の伝統』284頁及び『和歌の詩学』31頁参照)。
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◎○|◎○|◎○|◎●|
◎○|◎○|◎●|●●|
※ ◎○:強弱二音一拍(韻脚)
●●:固定休止(短句の末尾)
●:移動(浮動)休止
▼:強拍
▽:やや強拍