
文字的世界【3】
【3】パースの記号過程論─『生命記号論』から
文字は音声から独立して、より精確には、他のなにものとも関係せず、それ自体として自律的に言語体系をかたちづくる。
この第一の仮説について考えをめぐらせる手がかりを得るため、(ここでもまた)パースの記号論を参照したいと思います。読むたび新鮮な刺激を受ける書物『生命記号論──宇宙の意味と表象』(ジェスパー・ホフマイヤー著、松野孝一郎・高原美規訳)から、パースの「三項論理」の解説と「記号過程」の実例(今回)、そして意味の発生と言語の誕生をめぐる議論(次回)を引きます。
Ⅰ.パースの記号過程論
ⅰ)ホフマイヤーによるパースの記号論(三項論理のもとでの記号過程論)の解説(43頁)
・記号Ⅰ「記号そのものを表す物体」
:その意味に関わりなく記号そのものを担うもの(例:赤い発疹)
・記号Ⅱ「対象」
:記号Ⅰが示す物もしくは抽象物(例:麻疹)
・記号Ⅲ「観測者」(解読をするもの、翻訳者)
:記号Ⅰとその対象=記号Ⅱの関係を解釈する過程(例:医者の診断)
記号Ⅰ 記号Ⅱ
\ /
│
記号Ⅲ
ⅱ)記号の三項論理に基づく「意識」のはたらき
① 意識とは身体の環世界の空間的物語的解釈である
「私たちが私たちの身体[記号過程を行う身体‐脳システムの全体]で考えているという事実は、意識(そして言語)は物語でなければならないことを意味する。(略)
そこで私は意識を純粋に記号過程による関係として見ることを提案する。意識とは身体の実存的環世界を、肉体が空間的物語的に解釈したものである。[*]」(195-196頁)
環世界 意識
\ /
│
身体
② 神経系が意識を解釈することで神経ペプチドの音色が調整される
「内なる記号圏[脳内で起こる電気化学的現象を統御する記号過程]におけるコミュニケーションの手段のうち最も興味深いものは…神経ペプチドである。(略)
…アメリカの生化学者ルフ(Michael Ruff)はこの身体の神経ペプチドへの備えに対し、「神経ペプチドの音色」という表現を使い、ある考えを展開した。…生化学的なレベルにおける特定の精神状態は身体‐脳における特定の神経ペプチドの音色に関連していると認めうる、というのがその骨子である。
このことから意識、神経系、神経ペプチドの音色の間の関係は…三項関係を伴う記号として描くことができる。」(201-202頁)
神経ペプチド
意識 の音色
\ /
│
神経系
③ 免疫系の細胞は神経ペプチドを細胞分裂を始めるシグナルだと解釈する
「細胞表面のレセプターが神経ペプチドと結合したときに細胞に起こることは、それがどんな神経ペプチドかということよりも、その細胞がどんな種類のものか、またその時点で細胞社会の中でどんな位置にあるのか、また細胞の発達のどの段階にあるのかということの方に大きく依存する。(略)ここでも再び、記号それ自体が意味を持つのではないことを私たちは見ることができる。記号を受け取る細胞での解釈によって、初めて記号は意味を持つことになる。この関係は…新しい三項関係を伴う記号を私たちに見せてくれる。」(202頁)
神経
ペプチド 分裂
\ /
│
細胞
──パース=ホフマイヤーの記号連鎖のプロセスで、要となるのは記号Ⅲの“位置”です。それは、たとえば“於てある場所”(西田幾多郎)などと言い換えていいもの、もしくは、「ある」ものではなく「いる」もの、「何か」ではなく「誰か」と言うべきもののように思います。そして、この第三項の存在が、パース=ホフマイヤーの記号過程を、単なる「記号」の動態ではなく「言語」のそれに近づける決定的な要素にほかなりません。
[*]ホフマイヤーはつづけて次のように書いている。
「しかし、もし意識をこのように想像上の物語として精神空間の内に配され、そこで意味のある繋がりが為され、絶え間ない自己言及によって構成されるものであると見なすなら、この意識はどうやって私たちの思考や行動に影響を与えることができるのだろうか。答えは簡単だ。意識はいわばオン、オフの切り替えをするスイッチとして働くのだ。」
そして「スイッチ現象」をめぐるベイトソンの議論──「それは二個の導体(これ自体スイッチがオンのときしか導体としては存在しないが)の間の単なる切れ目──無なるもの──にすぎない。/スイッチとは、切り換えの瞬間以外は存在しないものなのだ。“スイッチ”という概念は、‘時間’に対して特別の関係を持つ。それは“物体”という概念よりも、“変化”という概念に関わるものである。」(佐藤良明訳『精神と自然』(岩波文庫)205頁)──に言及し、次のように論じる。
「意識はもちろん一つのスイッチではなく、多数のスイッチ、巨大なキーボードのようなものである。そして身体がこの意識のキーボードを演奏すると、意識はオルガンやトランペット、図形や単語、記憶や希望、筋肉や腺組織のスイッチのオン、オフを切り替える。この群れ集まった身体-脳は、新鮮な行動、感情、空想をもたらす。これが身体による解釈である。」(196-197頁)