仮面的世界【19】
【19】予備的考察(余録ノ弐)─聖堂のような心をめぐって
ネオテニーに(も)関連するもう一つの話題。山田仁史著『人類精神史──宗教・資本主義・Google』から、スティーヴン・ミズンの『心の先史時代』[*1]を取りあげた文章を引用する。
《人間の心がどう進化したか。それはどうすれば分かるのだろうか。先鞭をつけたのは認知考古学のスティーヴン・ミズン(マイズン)だった。彼は「個体発生は系統発生をくりかえす」という命題を心の領域にも適用し、さらに先史遺物ともつきあわせることで、大きな展望を得ることに成功した。
彼によれば初期人類の考古学的資料を説明するには、現生人類がもっているのと根本から違う型の心を想定するしかない。それは、子どもたちの心が大人の心と異なっているのと似ている。そして両者のアナロジーを立脚点とする認知科学をとりいれた結果、人間の心の劇的な変容は六万年前から三万年前のホモ・サピエンスに起きたとし、この爆発的変化を「文化のビッグバン」と呼んだ。
ミズンによると変化の核心は、認知能力に流動性が生じたことだという。つまり初期人類の心では、蹄の跡などの「自然のシンボル」を解釈するような博物的知能、意図的な伝達をおこなう社会的知能、心の中で作った型をもとに人工物を作る技術的知能、といった領域が別個に機能していた。ところが現生人類になってはじめて、こうした各領域が流動的にむすびつき、連動して働くことが可能になった。それにより芸術の開花をはじめとする大きな革命が起きたというのだ…。》(『人類精神史』73頁)
山田氏の要約の出来が素晴らしかったので、孫引きによる‘省力化’を図った。
スティーヴン・ミズンの「聖堂のような心」──複数の特化した知能の「礼拝堂」群と一般知能という「広間」からなる心──をめぐる議論には、博物的知能、社会的知能、技術的知能のほかに言語的知能という第四の礼拝堂が登場する。
そして、これらの礼拝堂が認知的流動性によって直結するようになった現生人類の心は、「比喩」や「類推」や「無限の想像力」による思考様式を獲得する。この心をスティーヴン・ミズンは「音と空間と光が相互作用してほとんど無限の空間の感覚をもたらす」(96頁)ゴシック様式の聖堂に喩えている。
──以上の(スティーヴン・ミズンの)議論を踏まえて、かの「仮面的世界の基本構図」の別バージョン[*2]を作成し、仮面の記号論に向けた予備的考察を終えます。
[メタフォリカルな界域]
【Ⅱ】
┃
┃
想 起 ┃ 知 覚
┃
┃
【Ⅲ】━━━━━━╋━━━━━━【Ⅰ】
┃
(過去自体)┃(物自体)
┃
【Ⅳ】
[マテリアルな界域]
※【Ⅰ】博物的知能:「蹄の跡」
【Ⅱ】技術的知能:「型」
【Ⅲ】社会的知能:「伝達」
【Ⅳ】言語的知能:「虚構」
[*1]ネオテニーに(も)関連すると思われる個所を含む文章を『心の先史時代』から引く。
《…言語は、社会的なものから汎用の機能をもつものへと切り替わり、意識は、他者の行動を予測するための手段からあらゆる行動領域にかかわる情報をカバーする心のデータベースを管理するものへと切り替わった。心には、新しい処理能力ではなく新しい連関を反映した、認知的流動性が現れた。そのため、この心のあり方の変形には脳の拡大は伴わなかった。それは本質において人間の心に固有で、…狩猟採集民の行動に多種多様な影響をおよぼした、象徴の能力の始まりだった。そしてここまで来ればわかるように、この特化型の心から一般型の心への切り替わりは、最初期の霊長類にまでさかのぼる一連の振動の最後の振れだった。
…この認知的流動性を導いたいちばん強力な選択圧の一つは、女性に食物を供給することだったらしい。脳の拡大は大人に依存する幼児期を長期化させ、そのことが女性のエネルギー消費を高め、また、女性は自分の食物を工面することが困難になった。そこで男性が女性に食物を供給することが欠かせなくなったと考えられ、それによって博物的知能と社会的知能の間に連関が必要になった。だから、この二つの認知領域が最初に統合され…、技術的知能はすこし遅れてから加わったと見られることも、もしかすると驚くことではないのかもしれない。それだけでなく、幼児期が長くなったことで認知的流動性が発達する時間も生まれた。》(『心の先史時代』275頁)
[*2]平井靖史氏は『世界は時間でできている──ベルクソン時間哲学入門』で、時間スケールをめぐる四つの階層を呈示している。
《…時間の流れを体験する〈持続〉の水準を中心にして、ベルクソンの議論は、上方[階層2・階層4]と下方[階層1階層0]に時間階層が広がっている。(略)
階層0には「物質」が位置し、階層1との時間スケールギャップを通じて「感覚質」(現代でいう感覚クオリア)をもたらす。これが、ベルクソンが『物質と記憶』第四章で展開している「凝縮説」であ[る]…。凝縮のメカニズムは、上の階層まで貫く…。
階層1と階層2のあいだに持続が成立するわけだが、ここでは上下の時間階層間の‘縦方向の’相互作用が必要になる…。なお、「注意的再認」(意識的にものを見聞きすること)におけるトップダウンのイメージ投射…もこの現場で起こる。つまり、私たちの外界認識というものも、下の速い処理と上の遅い処理からなるハイブリッドな仕方で構築される。今のところは、「持続」と一口に言っている現在の流れが、実際には‘下と上の時間スケールが合流する’ことで成り立つらしいということを押さえておいてほしい。
階層2は体験の現象的側面の「記憶」(これを本書では「体験質」と呼ぶ)を構成し、それらが累積した 階層3は「心」の現象的側面を構成する(同じく「人格質」と呼ぶ)。私たちは、現在の枠内に切り詰められた物体ではない。人生という巨視的な時間を貫いて存続する一人の人格である。この巨大な時間的リソースが、その粒度をダイナミックに変動させうるようなシステム形成を可能にする。これが「意識の諸平面」を擁するベルクソンの記憶の逆円錐モデルのコアを成す考えであり、ここから私の意志的活動・志向性が与えられる…。
そこに含まれる膨大なリソースを展開し、自動的あるいは能動的に操作することで得られるのが想像や想起、一般観念、注意といった高次認知の働きである…。》(『世界は時間でできている』54-56頁)
私は、ここに示された「感覚質」「体験質」「人格質」に「語質」とでも言うべき第四のクオリアを加え、それぞれ本文図中の【Ⅰ】~【Ⅳ】に対応させたいと考えている。(あるいは、語クオリアを感覚クオリアに対応させ、体験クオリアと人格クオリアに対応するものとしてそれぞれ「文クオリア」「文章クオリア」なるものを立てたいとも考え始めている。)