仮面的世界【5】
【5】旧仮面考─舞は声をもって根となす(後段)
前回抜き書きした坂部恵の文章から、声・顔・身(舞)の、いわば‘仮面三態’が導き出されることを、簡単な模式図をもって示します。
[コスモス]
┃
【舞】
┃
δ ┃ γ
β
┃
━【顔】━━━━╋━━━━【声】━
α
┃
【身】
[カオス]
説明を加えます。まず、図中の直交する二本の線が、カオスとコスモスの「はざま」[*1]としての仮面(素顔に対する仮面ではない広義の仮面=「おもて」)のあり様を示しています。次にαは「おもい」(重心、思ひ)を、βは「形」を、γは「かたり」を、そしてδは「かたどり」をそれぞれ表します。こうした「仮面的世界」の布置の上に、あるいはその下絵として、「声」と「顔」[*2]の水平軸と「身」の垂直軸が、すなわち、思ひをかたる声と思ひをかたどる顔が、そして「自在なメタフォルと変身」を表現する舞=身が、三位一体の関係を切り結ぶことになるわけです。
およそ以上のような予備的考察を念頭において、私は旧仮面考の試みに、すなわち仮面をめぐる資料蒐集と若干の基礎的な考察の作業に入っていきました。まずは、ペルソナの語の来歴にそくし、「音=声を通して」。
[*1]カオスとコスモスの「はざま」は、死と生の「あわい」でもある。坂部恵著『モデルニテ・バロック──現代精神史序説』に収録された講演録「生と死のあわい」から。
《…私なりの生と死の相互浸透、Ineinander、のあり方とその位置づけを考えてみたいと思います。その手がかりとしてとりましたのが、〈あわい〉という現在では古い言葉となりましたが、皆様当然この言葉の持つニュアンスはお分かりになると思います。この語の通常の意味は、間、ドイツ語でいうZwischenraumという意味ですね。しかし、それは単なるstatischな、静的な、静かな間とは違う。むしろ、〈あわい〉という言葉が、語り・語らい、はかり・はからい、というような造語法と同じで、「あう」という動詞そのものを名詞化するところでできた言葉、〈あわい〉という言葉はそういう意味で、元来スタティックというよりはダイナミックな動的な意味、あるいは…、動詞的な意味、述語的な意味をはじめから非常に強く含んでいる言葉であります。これは西田哲学の根本概念である「場所」というのがやはり動的な述語の「場所」として考えられていることと符合、一致することだと思います。私は外国語で〈あわい〉という言葉を表すときには、自己流でありますけれどもZwischenheit-Begegnungとか英語の場合にはBetweenness-Encounterと、フランス語ではentreté-rencontre、そういうふうにして〈あわい〉という日本語のニュアンスを伝えようとしております。》(『モデルニテ・バロック』17頁)
[*2]仮面(顔)には二つの裂け目、孔がある。すなわち口と目。口からは声が洩れ(宣り)、目からは邪霊を祓う視線が照射される。『仮面の解釈学』所収の「仮面の論理と倫理にむけて」から。
《仮面[マスク]ということばは、一説によれば、ギリシャ語のβασχαίνωすなわち、他人にのろいをあびせる、もしくは他人からの邪視を防ぐ、という語と、語源的に関連を有するという説がある[斎藤正二「仮面の原始性」(『理想』1970年7月号)]。この説の当否の検討はさておくとして、日本語の「のろう」という語も、また、「のる」(宣る)の延引形として、元来、邪霊やもののけをはらい、カオスを追放して、あらたな「のり」(法)を宣り、告げ知らせ、コスモスをあらたに建て直すという意味をもっていたと考えられることをおもいあわせるとき、この説は、仮面というもののあり方について一つの示唆を含んでいるものとみることができる。ペルソナ(ラテン語のpersonareに〝ひびかせる〟〝声高にいう〟という意味があることはよく知られているところ)を通じて、告げ知らされ、宣られる「のり」(法)は、間柄のかたどり、〈わけ〉différenceの基礎的な枠組・間柄(ないしはその体系)をして間柄たらしめる限度としての「のり」(度、軌、矩)のありようを素描する。〈のり〉としての神語[ことば](ロゴス)が、いわば人間界を含めた宇宙の間柄の束の構成の原初の分節のあり方を示すように、マスク、ペルソナもまた、間柄のなかにおかれた人柄あるいは役柄の原初の分節を、たとえば、何らかの自然物にかたどられた善神、悪神などとして、隠喩的に表示するものにほかならない。》(『仮面の解釈学』81頁)
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