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文字的世界【4】
【4】言語の起源をめぐって─『生命記号論』から
Ⅱ.「誰か」─言語の起源をめぐって
ⅰ)意味の発生
ホフマイヤーはウィルデン[Anthony Wilden,“System and Structure”(1980)]の議論を援用して次のように述べている。──“何かがないこと”すなわち「~ない」は円周、つまり穴にも穴以外にも属さない境界である。それは観察者の心の中以外には存在しない。「これが意味の大本を形成する。別の言い方をすれば、その境界は「誰か」がその穴を認識しないかぎり、この世の中には存在しないのだ。」(28頁)
「ウィルデンは、私たちは心の中で考えるときでさえも、AとAでないものの境界を引くことで、現実と非現実をともに含む全世界を二つの部分に分割している。その境界を設定するという行為は、少なくともAにも非Aにも含まれない一つの系あるいは領域を定義している。/この系こそが「誰か」である」(29頁)
ⅱ)言語の出現
① 生物学的自己
生命の誕生をめぐる生物学上の論争「ニワトリが先か、タマゴが先か」を、ホフマイヤーは次のように言い換える。生体すなわち細胞(原形質)が先か、DNA上のデジタル記号が先か。そしていわく、その両方が揃うことによって、すなわち「デジタルとアナログの二つの形に託されたメッセージの間の記号論的相互作用に依って」初めて生命が存在できるようになったのだと。
「言い換えるならそれは‘記号双対性[code duality]’とも言うべきものである。生物の中ではこの二つの形態が互いに融合する。これこそが「自己[self]」である。人間における自己が肉体と精神とから成るように、「生物学的自己」は原形質とDNAの両方から成る。」(79頁)
② 宇宙から切り離された孤独な自己
この「生物圏[biosphere]」における生物内部の分裂が「記号圏[semiosphere]」(ユーリー・ロトマンとは独立にホフマイヤーが導入した概念)を生み、アナログな経験とデジタルな言語による新たな記号双対性の出現をもたらした。
「私たちが人間となって以来、言語はその菌糸を私たちの神経システムの奥深くまで伸ばしており、今日ではたとえ理論の上であっても、この二つを切り離すことはできない。(略)そしてこの事実、音声言語が‘世界を共有する’ための手段であり、共有財産であるという点が、おそらく言語の出現を説明する真の理由であろう。」(181頁)
「その時[ホモ=エレクトゥスの心のスクリーン上に、彼らを生んだ宇宙から切り離された孤独な存在としての自己の姿が浮かび上がってきた時]、世界に存在する事物を分割する線、「~ない」の基礎となるものが効力を発揮し始めたに違いない。それは、AとAでないものを区別できる「誰か」がカテゴリーの間の線引きを行うということ、そしてその言語を操る彼らもまたその「誰か」であり、それゆえ相いれないもの、世界の外にあるものであるという事実の認識を迫ることになる。なぜなら、世界の内部にいるためには、「誰か」は「誰か」であることを止めなければならないのだから。
そしてこのことが、会話の発達をもたらす動機づけであることを、私たちに示すものだと私は信じている。(略)言語を持たない生物が自分自身の限られた環世界を頼りに生きるしかないのに対し、会話によって世界は象徴的に作り上げられた共有の居住場所となった。そして私たちの祖先が世界の神話を創るとき、彼らの周囲の世界を過度に捕まえたのである。ここに言語が立ち現れ、自走しだした。」(181-182頁)
③ 第三の断絶─生命記号論的自己と人類記号論的自己の調和
「言葉を話す生き物となることで、私たちは生物個体としての無垢な記号双対性を失い、その代わりに言語によって併合された共同体での記号双対性に吸収合併されてしまった。こうして、私たちの個人の生命の物語は、その遺伝子のものだけではなくなって来る。別の言い方を擦れば、‘一つではなく二つの物語が、人間の身体と意識の中で演じられるようになったのだ’。」(214頁)
「このようにして、三つの断絶がもたらされてきた。一つは生体とDNAの間の原理的なもの、二つ目は言語に伴う自己と自己のイメージの間の実存的な断絶であるが、三番目の個人と社会との間のものは少なくともつかの間は癒されることができる。(略)
三番目の断絶は本質的に前の二つとは異なる。同時にこの二つの物語に関与しているという事実から来るものである。なぜなら、自意識を持つ主体となることで、私たちは自己本位な文化の迷宮に糸を繰りながら迷い込むこととなってしまった。そこでは肉体が残すねばねばしたカタツムリの這い跡のような痕跡はいとも容易に見失われてしまう。
第三の断絶に対する治癒も、共感に対して真摯に耳を傾けることからもたらされると期待される。ここで必要なのは、人間同士の共感だけではない。地球に存在する生物全てへの共感である。私たちの祖先は模倣文化から石器文化へと至る境界のどこかで、自分を他者の心理の論理に従わせる方法を学ぶのに成功したに違いないと、これまでに述べてきた。心理の論理という言葉を、私はできごとや話を支配する物語[*]の論理の意味で使ってきた。だから、私たちの先祖は、他の人間が占めていると思われるのと同じ物語、心理、関係を理解する術を獲得した。
しかしながら、私たちの祖先はこの心理の論理に加えて、生物の論理も作ったようだ。この生物の論理に従えば、人は他の生物と自分を置き換えるのを可能とする認知のモデル得ることができる。」(214-215頁)
「もしこの断絶を埋めることで、私たちが‘癒されたい’と願うならば、私たちの知性は私たちの身体が集団となることで作りだされたのであり、私たちはこの惑星の記号圏の中である地位を占めており、そこで私たちは他のすべての生物と共にある基本的な関係の中に組み込まれている、という事実を受け入れること、それがその唯一の方法である。他の生物に共感することで、私たちは象徴的なレベルにおける二つの内なる主体、人類記号論的自己と生命記号論的自己を一つに調和させることができる。」(218頁)
──第一の断絶における「デジタル記号」、第二の断絶における「音声言語」、そして第三の断絶における「文字言語」、すなわち数千年前に誕生し、やがて音声と拮抗する「文字」へと“変質”していった《文字》ではなく、数万年前の石器時代の洞窟に出現した〈文字〉?
[*]言語の起源をめぐって、ホフマイヤーは、「模倣による表現が次第に標準化された音声パターンとして具体化されることにより、言語が出現してきた…。それは崩した書体から、判じ絵紋の紋章(リーバス)がつくられるのに少し似ている」と書いている。
「話をもう一度まとめてみる。最初に個体間で伝えられるようになったのは物語であり、個々の単語は、そうした物語の一部が固定されることにより少しずつ成立してきたのだと考えられる。(略)言葉を覚え始めた子供にとって文章が単位であり、文全体が一塊で一種の単語のように捕えられ、実際の単語が文章全体の中から個別に切り出されるようになるのはもっと後になってからである。(略)
言語の起源についてのこのモデルは、言語が持つ二つの非常に重要な側面を明確にできるという点で、私には非常に惹かれるものがある。第一の側面は、言語とは基本的には私たちが口を使って話をするための物であり、その構成からして根本的には物語風のものである。(略)そして第二に、…隅々までまぎれもなく肉体的なものである。」(178頁)
──物語(神話)としての〈文字〉から文(物語の一部)としての《文字》へ、そして単語としての「文字」へ?