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自分の物質使用障害について(アルコール編)
今回はわたしがアル中に片足突っ込んだお話をしようと思います。
わたしは高校卒業後、福岡から出て東京の私立大学に進学しました。
書いた通りわたしにはすでに精神疾患があったのですが、それでも家を出たい欲望の方が強かったし解放されたい思いで山々の中いざ東京で一人暮らし生活が始まりました。
※まだコロナは流行っていませんでした
最初の2年までは順調だったんですが、コロナ禍になって家に引こもるようになってからずっとアルコールを身体に入れている状態になってしまい、昼夜逆転どころか24時間寝て24時間起きてみたいなことをやっていました。そして起きている時間はずっとお酒を飲みながら配信したりアニメを見ながらタバコを換気扇の下で吸いながら文字通り廃人のように過ごしていたのです。近くのコンビニとかスーパー(東京ではPeacockが近かったです!懐🔥)の酒の陳列事情を把握するほど毎日飲んでたし、でもなぜ飲むのかはあんまり分かってなかったかも。
※現在はなぜ飲むのか分かっているから大丈夫です。
当時はお酒がないと人にも会えないし大学にも行けないし外に出かけられないし起きられないし眠れないしで生活に支障を来すまでになってたからまぁ片足突っ込んでたと思うんですよね。
というかつい最近までも日中お昼からコンビニで買って路上で飲酒するとかもあったもんな。(ここだけの話にしてください!)
新宿歌舞伎町へ10日間連続で通った話をしますね。
その時わたしには失うものはもう何も無くて(家族以外)まず始めに余っているお金を使おうと思ってパチンコに行ったのです。その当時打ち方も(今もわからんけど)分からなくてなんか余った玉?を景品と交換し忘れたかなんかで後ろから親切なジェントルメンが声をかけてくれたのです。そしてその人が「暇なら自分がやってるバーでお酒を飲まない?」と誘ってくれたのでそうすることにして夜にガバガバお酒を飲んでその時は朝の5時台かなんか新宿始発の電車に揺られて帰ったのです。
そこで翌日も翌々日もとズルズル芋づる式で自殺を1日ずつ先延ばしにしてそのお気に入りのバーに連続して通って緑茶ハイを飲み続けて、でもお金は底を尽きるし結局毎日は行けない事に気づき10日後にたまたま母親が東京に来てわたしを福岡に連れて帰ったのでした。
ちなみにこの時もバーテンダーへの見捨てられ不安の症状が顔を出して試し行為をしたのはここだけの話…。女をダメにする3Bに入ってるじゃないですか、それそれ、まさにその通り。
今思えばよく親はわたしを東京という遠い所(少なくとも行くのに数時間はかかる)に出してくれたなぁと思う。
そしてどんどん生活リズムは崩れていって授業には出られない単位は取れないの繰り返しで結局3年生の時にはほとんど取れずに、自殺未遂も2回くらい(これも記事にすると思う)して、なぁなぁになって親には嘘をつきメンタル面も不安定で入退院(3回)を繰り返しながら4年生の冬を越し5年生の春に九州の実家にほぼ強制送還(それが歌舞伎町10日連続後の東京生活最後)されました。
ちなみに4年生の頃とかだったかな、ペットボトルのキャップを外して緑茶と焼酎を混ぜて緑ハイにして授業出たりとかしてたなぁ、もちろんODもセットで。
文学部英米文学科ハッピーセットなお菓子(OD)付き。
さぁいよいよとても大学に行かせられる、というか一人暮らしさせるわけにはいかないよなぁ?!!(笑)とかいうわけで福岡に舞い戻ったのです。
これがわたしのアルコール依存症事情でした。
いまは抜けてるから大丈夫だけど、当時はもし自動車免許とか持ってたら運転しかねないから危ないなと思った。
「アルコールは飲んでも呑まれるな」これは本当にその通りだと思いました(耳が痛いです)。