私がフリーランサーになった理由
どうも。ショボフリーランサー代表りむです。今回は私が何故フリーランスという道を選んだのか書いていこうと思います。脱線もしますが、良ければお付き合いくださいませ!
生みの苦しみが好き
キュレーションサイトで仕事していた頃、やったこともないLPデザインや動画編集をやらせてもらったことがありました。フォーマットもわからない、アプリも使ったことがない、でも納期はやってくる。頼まれた時はリーダーの頭を疑いましたが、辛いながら、もがきながら、でもとても楽しかったのです。あーでもないこーでもないと話ながら徐々に出来上がっていく過程がどうしようもなく刺激的だったのです。「あー…私はデザインが、何かを生み出すのが好きなのだ」と実感したきっかけになりました。
プツンと切れた糸
キュレーションサイトを辞めて入ったのが編集プロダクションでした。編集プロダクションの仕事は波があり、忙しい時は残業続きで大変でしたが、楽しかったですし、まだまだ学ぶ点もありました。ですが、業務に追われる中で今までなかった年功序列制度が私の代で発動し、押し付けられた美化委員という名の社内清掃係、社長から任された社内の働き方改革…業務でも精一杯なのにこのための打ち合わせで時間を割かなければならず、プレゼンテーションも行いました。それでも淡々とこなしやる気をみせる同期と上手くいかない自分。比べてしまう自分自身に嫌気がさしました。そんな時、本当にプツンと糸のようなものが切れるのを経験しました。ここからは淡々と仕事をする日々が続きます。大好きなデザインも楽しめなくなっていました。
出会った先駆者たち
デザインが楽しめなくなって数ヶ月、旦那さんが読んでいた一冊の本に出会います。その名は「10年後の仕事図鑑」。
その中にはAiによってこれから無くなるかもしれない仕事とこれからも必要とされていく仕事について書かれてました。職業についても驚きましたが、何より堀江貴文さんと落合陽一さんの考え方に衝撃を受けたのです。
「自分の好きなことを仕事にしていく」
この考え方は私にとって輝かしいものでした。それからお二人はもちろん、前田裕二さん、箕輪厚介さん、西野亮廣など同じ生き方、考え方の人たちに憧れを抱くようになりました。
子供と仕事
私は元々子供が好きでした。小学生の頃は自分よりも小さい子と遊びたくて、でも声をかけるのが恥ずかしくてストーカーの様に後ろを付け回すヤバイやつでした。
それでも「いつか私にも子供ができるのかな」程度の考えでした。
プツンと糸が切れる数ヶ月前、初めて旦那さんの実家に行く機会があり、鹿児島へ。そこで出会ったのが旦那さんの甥っ子3人(2歳、4歳、6歳)でした。仲良くできるか不安でしたが、名前も知らない私と遊んでくれたのです。しかも鹿児島弁の訛り付き。それはもう言葉に表せないほどの可愛さで強張った心も解されました。今まで出会った子供の中で一番可愛い。持って帰りたい…。そこから子供欲しい欲が爆発したのです。
好きなことを仕事にしたい私、子供が欲しい私。淡々と仕事をしていた私の心に見事にその二つが突き刺さってしまったのです。
来年の結婚式の後に妊活を始めよう!→子供ができても大好きなデザイン、イラストの仕事を家でやりたい→その前の土台作りをしなくては…と考えるようになりました。まだ仕事を続けていてもよかったのですが、会社の契約が切れるタイミングでやめた方が良いと思い、思い切って辞めました。そしていまに至ります。
そうです。プロフィールにも書きましたが、仕事がありません。知り合いの人からの仕事は都合により休止中、クラウドソーシングも中々上手くいかずです。でも自分が決めた道なので折れるわけにはいきません。開業届出しちゃったし。応援してくれる人たちもいるので、やるからには成功させたいです。コミュニケーションが下手ですが、人と関わるのは好きなので、いろいろな人との繋がりも楽しめたら良いなと思います。
最後までお付き合いくださりありがとうございました!