極自分史 #2 YMO「雷電」
「RYDEEN」(Official Music Video)
「ライディーン」は1979年9月25日に発売されたYMOのセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サバイバー』のA面3曲目であるとともに、80年6月21日にセカンドシングルとして発売された大ヒット曲だ。もともとは雷電と表記される予定だったという。80年9月5日発売の『X∞MULTIPLIES』にも収録されていが、当時『増殖 - X∞ Multiplies』と『X∞MULTIPLIES』がなぜ収録曲が違うのかわかっていなかった。
「ライディーン」やファーストシングル「テクノポリス」は、同じ時期に流行っていた高中正義さんの「ブルーラグーン」や「Redy To Fly」と同様、カセットテープやオーディオ機器のCMに使われれていて、音楽ファンのみならず一般のオーディエンスの耳に入ることも多かった。その影響かわからないが、小学校の運動会で徒競走の時に使われる「天国と地獄」にかわって「ライディーン」を使っいる学校もあった。—高中さんの「フィンガーダンシング」を使っていた学校もあったと思うが、記憶違いかもしれない。
同時期にカシオペアもALFA レコードからデビューしていた。シングルになっていた、「アイ・ラヴ・ニューヨーク」が収録されたセカンドアルバムのA面の最後の曲「朝焼け」はギター小僧たちがこぞってコピーしていた。また僕らは全く認知していなかったが、79年には大阪で山下達郎のファースト・ソロ・シングル「LET'S DANCE BABY」B面収録の「BOMBER」がヒットする。翌80年には代表曲の「Ride On Time」がリリースされていて自身も出演したMaxellのCMでブレイクする。
YMOが与えた影響
アイドルシーンでは新3人娘の天地真理さん、南沙織さん、小柳ルミ子さんの後継で、山口百恵さん、桜田淳子さん、森昌子さんが中三トリオでブレイク中、男性では新御三家の西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さん、ソロボーカルアイドルの沢田研二さん、男性グループでは大人気だったフォーリーブス、女性ではキャンディーズ、ピンク・レディーが大ブレイクする。ピンクレディーなど、5歳年下の妹が「渚のシンドバット」の振りを覚えるために、彼女たちの出演する番組をハシゴするので、野球が見られない父親は歌番組録画用にビデオデッキを買ったと記憶している。
「ライディーン」が大ヒットした80年は山口百恵さんが引退して、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」がヒットする。絵に描いたようなスーパーアイドルの交代劇だ。聖子さんに象徴される80年代のアイドルの楽曲にはYMOの影響が色濃く出ることになる。例えば、キャンディーズの「やさしい悪魔」や山口百恵さんの「プレイバック part 2」はギターが印象的な曲だ。—「やさしい悪魔」はドラムをやり始からかっこいいと思った。2拍目からのフィルインが3連系で、ブロンディの「Call me」はこれをパクったんじゃないかと思ってる。
これらのギターサウンドが、80年の「ライディーン」後はキーボードが印象的な曲が多くなる。81年のヒット曲、4月21日発売の「夏の扉」はイントロからキーボードだ。その前1月に発売の「チェリーブロッサム」はまだアレンジが70年代っぽい。イモ欽トリオはライディーンそのまんまで、「春先小紅」はバンドがほぼYMO、「赤道小町ドキッ」はギターパートをシンセでやってる(と思われる)。
80年のヒット曲にはまだ70年代の香りがする。「ロックンロール・ウィドウ」、「不思議なピーチパイ」、「風は秋色」、「TOKIO」、「パープル・タウン」、「さよなら」、「別れても好きな人」、「順子」、「大都会」、「異邦人」、街角トワイライト、「ダンシング・オール・ナイト」等、70年代の香がするアレンジの楽曲が多い。—唯一ニューウエーヴだったのはジューシー・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」だけだ。
影響は日本だけではない。#1で紹介した第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンのヒューマン・リーグ、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、バナナラマ、ABC、ユーリーズ・ミックス。ヤズーなどは確実に影響を受けていると思われる。Band Aid の「Do They Know It's Christmas」に参加しているアーチストは多くがYMOの何らかの影響下にあると思われる。
また、YMOの海外での成功は日本人アーティストのみならず、日本人のモチベーションを上げたのだと思う。ピンクレディーは79年に、松田聖子さんも85年に海外進出を図った。87年には中島悟さんがロータスホンダでF1参戦する。そして95年野茂英雄さんがロスアンゼルスドジャーズと契約、大活躍して日本人投手がメジャーで通用することを証明した。
その後のMLBではイチローさん、松井秀喜さんが打者でも通用することを証明し、今日大谷翔平がその遺伝子を引き継いだ。他にもNBAに田伏さんがサンズと契約するなど、直接は関係がないかもしれないが、YMOが成したことの影響はアスリートへと続いているように思う。
軽量小型高性能
「ライディーン」が発売される2か月前日本企業から画期的な商品が発売される。ウォークマン「TPS-L2」だ。デート中カップルで聴けるよう、ヘッドホンジャックは2こついていた。歩きながら聴けるウォークマンの登場は、70年代の重厚なロックから80年代のダンスミュージックへの変遷に多大な影響を与えた。80年代ダンスミュージックのキング、マイケル・ジャクソンは『スリラー』で「ビハンドマスク」をカバーした。これもウォークマンとYMO後の現象だ。
80年代の日本は60年代同様、右肩上がりの無双状態となる。エレクトロニクスでは日本企業が次々と売上を伸ばし、1986年当時の半導体のシェアは売上で、世界1位がNEC、2位が日立製作所、3位が東芝、4位が米国モトローラ、5位がTI、6位がフィリップス、7位が富士通、8位がパナソニック(松下電器産業)、9位が三菱電機、10位がインテルなのだ。しかし、これもその前の年85年にあったプラザ合意と86年の日米半導体協定で霧散霧消することは既知の通り。続く