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三つの願い

【『黄色い部屋の謎』、『オペラ座の怪人』の作者、ガストン・ルルーの単行本未収録作品】

Les trois souhaits (1902.2.14 )
ガストン・ルルー
中川潤 訳

フランチェスコ会士、L・ド・S師に

 きみはわたしの家にやって来た。扉がノックされるので開けてみると、きみは身を傾けた。頭頂部を丸く剃り、粗布の法衣を着ている。革紐付きのサンダルを履いた裸足が敷居の上に嫌でも目についた。
 きみは修道士になった。わたしがそれに気づいて驚くと思って、顔を伏せたんだな。何も声までごまかさなくてもいいのに。わたしの識る声と違っていたので、全然気づかなかったよ。きみはこう言った。
「息子よ、パンをひと切れ、お恵み下され。バターをたっぷり塗ったやつを」
 まだ謝肉祭の時期じゃなかった。確か、一月の十五日だった。支払い期日だ。わたしは思った、この男は誰かな。頭を剃り、裸足である。フランチェスコ会の法衣を着た、正真正銘の修道士。しかしきみはやっと、わたしに親しげな視線を向けた。わたしたちは抱き合った。ああ、思い出したよ! きみと最後に会ったのは、八年前だな。俗な場所だった。
 たぶん、カフェだ。きみはフロックコートを着た、なりたての医師だった。人生って面白いものだね、無神論者だった友が、再会したときには修道士になっているんだから。まあ、入れよ。遠慮せずに、そこのテーブルの席につきたまえ。まずは〈食前の祈り〉を唱えてくれ、それからきみの晴れやかな顔を拝ませてくれ。きみがそんなに澄んだ眼をしているとはね。そんなに曇りなく、爽快な顔つきをしているきみを、見たことなかったよ。主の安らかな心に浸されて、きみがどんなに幸福か聴かせてくれ。真理を説き、病人を慰め、物乞いをして歩くようになったいきさつを語ってくれ。
 あんなに誇り高かったきみが物乞いとなり、あんなに金持ちになりたがっていたきみが、こんなに貧乏になっているとは、いったいどういうことだ?
 きみは話し出した。
「こういうことなのだ。七年前、わたしは神の恩寵に恵まれた。以来わたしは、見てくれはこの世で最もみじめな人間となったが、同時に真の幸福を知ることとなった。財産などというものは、この世に存在しないのだ。貧乏という言葉には意味がない。わたしが豊かであるとわかっているのなら、きみもその豊かさだけを望めばよいのだ。それは、金には代えられない豊かさだ。七年前から、わたしは聖フランチェスコの法衣を引きずって歩いている。その間わたしの指は、金貨どころかちっぽけな銅銭にさえ触れたためしがない」
 それからきみは、微笑をたたえながらこう付け加えた。
「わたしのやり方が、お金の悩みから縁を切るいちばんよいやり方なのだよ。おかげで、お金を持ち歩かなくてよくなった」
 わたしはついうっかり、こう言ってしまった。
「きみみたいになりたいものだな」
 そう言ったとたん、管理人が訪ねてきた。請求書を手にしている。わたしはポケットを探った。
「ムッシュー」わたしはどぎまぎしながら言った。「請求書は持ち帰ってくれ。どんな奇跡が起こったのかわからないんだが、一銭も持ち合わせていないんだ」

 わたしは全く飽きることなく、きみを眺め、きみの話に耳を傾けた。きみの食べっぷりは見事なもので、話しっぷりにはためらいがなかった。わたしたちは昔のことを、カルティエ・ラタンで過ごした日々のことを語り合った。きみが卒業した医学校時代のことを。当時のきみは物質崇拝を隠しもしなかった。サンミシェル大通りでバカ騒ぎをしては、つかの間の生きる喜びを肯定していた。それからきみは医者になり、たちまち患者が引きも切らなくなった。きみは早くも、あの奇妙な熱狂に取りつかれていた。金持ちから得たものを全部、貧しい病人たちにやってしまうんだからね。《三十人訴訟》のことは憶えているかな? 三十人の無政府主義者が一年半も未決勾留された末に無実を証明された、あの事件さ。生活手段を絶たれ窮地に陥った彼らの妻たちに、きみは施しをしてやった。友よ、思い出さなきゃいけない。そういう行為があってこそ、きみは神の恩寵を授けられたのだ。ただ、そのときには気づいていなかっただけさ! きみが神への愛を抱けるようになったのは、先に人間への愛があったればこそなのだ。
 きみがオーギュスト・ニコラ(訳注 フランスの護教論者)を発見した顛末はよく憶えているよ。きみはある修道士に出会ったときにこう言われた、「オーギュスト・ニコラを読まなければならない」と。きみは長い間探したが見つけられなかった。ある日、天啓によって、きみはオーギュスト・ニコラを見つけた。レンヌ通りの古本屋の店先でね。オーギュスト・ニコラは神の実在を証明した。無神論者が三十にもなって、神の実在の証明を突きつけられるというのは、恐ろしいことだ。すぐさま修道士になりたくもなるな。
 友よ、もしきみがわたしのように、ごく若いうちからミサに列席し、聖餐用の葡萄酒や、香の煙や、鐘の澄んだ音に浸されていたならな。もしそうならば神の実在は自明だろうし、わたしが今日、頭を剃って裸足でいるきみを見ることはなかっただろうよ。
「主に祝福あれ」きみは言った。「あまりに遅く知ったおかげで、最もよく知ることとなったのだからな。きみが供してくれた昼食は素晴らしかったよ。そろそろお暇しよう。しばらく一緒に街中を歩こうじゃないか。馬鹿げた自尊心がきみを家に引き留めなければの話だがね。確かに、わたしと並んで歩いたら、人々の笑い者になるかもしれないが、何、大丈夫さ。おや、きみのところの階段は見事だね、そのことに気づいていたか? そもそもわたしには、階段どころか家もなければ居場所もないのだよ」
 わたしはついうっかり、こう言ってしまった。
「きみみたいになりたいものだな」
 そう言ったとたん、わたしを待伏せしていた管理人が、紙切れを突きつけた。
「ムッシュー、明け渡し通告書です。支払い期日を守れない場合は、橋の下でお暮らしください」

 外気は烈しかった。背後から吹きつける風が、きみの頭巾を膨らませ、きみは両手を袖の下に突っ込んでいる。わたしの視線はどうしても、革紐が付いた木のサンダルを履いた、きみの素足に向いてしまうのだった。きみのむき出しの足指を見ていると、同情を禁じえない。わたしは尋ねた。
「きみは、風邪をひくなんてことがないのかね?」
「修道士になってからというもの、風邪などひいたこともない。今はかつてないほど、体力壮健だよ。物乞いとして、与えられるものを受け取っているしね。今日はきみの昼食を、明日は誰かからひと切れのパンを、というように。わたしの精神は明晰そのものだし、比類なき生きる喜びを感じている。何しろ聖トマスと、聖アウグスティヌスと、聖フランチェスコが一緒なんだからね。そうさ、彼らはいつもわたしの傍らにいてくれるのだ」
 わたしたちは大通りまでやって来た。周囲では、吹きすさぶ風が衣装の裾を鳴らしている。人々は笑いさざめきながら、急ぎ足で行きかっている。わたしたちの目の前で腰を揺らしながら。修道士に向けられる好奇のまなざしは、どこか意地悪げだった。そして女たちの唇は、帽子から垂れたヴェールを隔ててさえ、どぎついばかりに赤かった。
 出し抜けに、わたしは連れに向かって言った。
「女たちのお出ましだね!」
 相手はひどく重々しい口調で応じた。
「恩寵がやって来て、女たちは立ち去った。確かに、わたしは女たちを愛した。まさに美しい創造物だものな。今ではもう、わたしは魂しか愛していない。美しい魂よりも美しいものは、この世に存在しないのだよ」
「絶対に女たちを愛さない? 絶対に?……」
「絶対に」
「もう女たちのことは考えないということ? でも憶えているが、きみは女たちとさんざん浮名を流したし、面倒もたくさん引き起こしたよね」
「これからはどんな女だって、わたしに面倒を引き起こしはしない」
 わたしはついうっかり、こう言ってしまった。
「きみみたいになりたいものだな」
 そう言ったとたん、わたしは何か奇妙な脱力感にとらわれた。気がつくと、電信局の若い局員が、電報の青い紙切れを差し出している。それにはこう書かれていた、《いとしい人、これ以上貴方にご迷惑をかけるわけにはいきません。貴方のかけがえのないお友達と一緒に、フエゴ島(訳注 南米大陸南端の群島)に旅立つことにします。》

 許してくれたまえ、おお兄弟よ。修道士たるきみに、三つの愚かな願いの形式で、こんな風変わりな与太話を聴かせてしまって。しかし、わたしはきみの姿に、心底から感動していたのだ。きみの簡潔な言葉の厳粛な響きに。そしてきみが、貧しさを愛する境地にまで達した点に、わたしは心を打たれたのだ。ただわたしには、その感動の本質をあるがままに吐露することができなかった。わたしたち俗界の人間は、きみがもう持ち合わせていない不幸に苛まれているのだ。どんなときでも微笑を絶やしてはならないという不幸にね。

【訳者付記1】
 本作品はシャルル・ペローの童話「おろかな願い」(木こり夫婦とソーセージの話)のパロディーですが、「三つの願い」と題して多数のジョークや笑い話のバリエーションが存在するようです。

【訳者付記2】
 本作品は1902年2月14日付のLe Matin紙に発表されました。ガストン・ルルーの最初期の作品と思われます。
 教訓話を典拠としているため色々な解釈が可能でしょうが、一読して抱いた印象は「幽霊Fantômeとの対話」というものでした。後に書かれた『オペラ座の怪人』Le Fantôme de l'Opéra (初出1909年)と結びつけるのはこじつけに過ぎるでしょうか?

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